第13話 矛盾の決意と宿命

「貴方たちは、人の姿をしていながらも、完全な人ではないのです」

 クラウディアが、重い楔を打ち込んだ。


 ──ここからだ。ここから、一体どうなる。ジンは固唾を呑んで、仲間たちの反応を見守った。


 静寂が空間を支配し、それぞれの表情には、信じられないという困惑の色が張り付いていた。


「⋯傀儡、だと?俺達が、操り人形だと?」

 ルークスの低い声は、歴戦の傷跡のように深く、かすかに震えていた。

 歴戦の戦士としての誇り、何よりも自らの意志で剣を振るってきたという自負が、根底からぐらりと揺らいでいるようだった。


 マリアベルは、可愛らしい顔を歪ませ、紅玉の瞳に露骨な嫌悪感を宿らせた。

「それ、本気で言うてんの?」生意気そうな態度の奥底に隠されていた、誰にも縛られない自由への渇望が、赤炎となって揺らめいた。


 リベルタは、相変わらず気怠げな雰囲気を纏っているものの、吸い込まれるような青い瞳の奥には、深い陰りが落ちていた。「そう⋯なんすねぇ⋯」

 その声には、先ほどまでの軽妙さはなく、諦念にも似た静けさが漂っていた。


 アベルは、顔を覆う金糸の隙間から、琥珀色の瞳を鋭く光らせ、無言のままジンを射抜いていた。

「シャナ。このような形で再び目覚めさせられた意味を、我々はどのように理解すればいい?」

 冷静な声の奥には、存在意義そのものを問いかけるような、重い響きが潜んでいた。


 ジェイクは、巨岩のような体躯を微動だにさせず、ただ沈黙を守り、ジンを見つめ続けていた。

 飾り気のない硬派な面差しからは感情を読み取ることは難しいが、激しい葛藤が渦巻いているようだった。


 彼らの反応は様々だったが、共通して言えるのは、自らが人ではなく、操り人形として蘇ったという事実に、魂を根こそぎ揺さぶられるような衝撃を受けているということだった。


 ジンは、鉛のように重い沈黙の中で、彼らの様々な表情を前に、言葉を失っていた。

 クラウディアは、そんなジンを静かに見守っていた。

 紫紺の瞳には、揺るぎない忠誠の光と共に、微かな憂いが宿っているように見えた。

 彼女自身もまた傀儡でありながら、かつての仲間たちの心境を慮っているのだろうか。


 円卓を囲む沈黙は、底なし沼のように深く、永遠にも感じられた。この後、彼らがどのような行動に出るのか。

 絶望に身を任せる者、怒りの矛先を向ける者、あるいは、ジンに牙を剥く者もいるかもしれない。

 クラウディアの言葉が脳裏を掠める。

 ─反意を起こした者は無に帰すことができる、と。


 不安と緊張が、見えない鎖のようにジンの全身を締め付けていた。しかし、目を逸らすことはできなかった。これが現実なのだ。記憶を失い、力を得た自分が、真正面から向き合わなければならない現実。

 そんな張り詰めた空気を、破ったのはリベルタだった。


「⋯⋯まぁまぁ、そんな暗い顔、やめましょーよ皆さん」


 先程までの沈んだ様子が嘘のように、彼女はどこか達観したような、それでいて諦めにも似た微笑みを浮かべた。


「操り人形だろうがなんだろうが、こーしてまた皆で顔を合わせられたんすから」

 彼女の言葉は、場を和ませようとしたのか、それとも本当にそう思っているのか、記憶のないジンには判断がつかなかった。


 しかし、その軽い一言は、重苦しい空気にほんの僅かながらも、しかし確かに変化をもたらしたようだった。


 ジェイクは、深く、重い溜息を吐き出し、まるで岩を動かすかのように重い口を開いた。

「リベルタの言う通りだ。今は、この状況を受け止めるしかないだろう」

 彼の言葉には、混乱の奥底から湧き上がる、前を向こうとする強い意志が感じられた。

 重苦しかった空気が、ほんの僅かにだが、確かに和らいだ。


 クラウディアは、小さく頭を下げ、リベルタに「ありがとうございます」と礼を述べた。


「そやなぁ。こうなってしもた以上はどうしょうもないからな。問題は、これからの事やな」

 マリアベルの、どこか諦めたような、しかし現実を見据えた言葉に、皆が静かに頷いた。


 ようやく、重い沈黙を破って言葉を発せそうな時が来た。

 そう感じたジンは、意を決して口を開いた。


「クラウディアから、今まで英雄的な活動をしてきたと聞いたけど」


 その言葉に、ルークスは不遜な笑みを浮かべ、マリアベルは「せやで」と得意げに胸を張った。アベルは静かに頷き、ジェイクの表情も僅かに和らいだように見えた。


「また、その旅をしようとか、そういうことを思ったりはしないのか?」

 ジンの問いかけに、リベルタとクラウディアを除いた三人は、腕を組み、うーん、と深く思案し始めた。


「旅か⋯。それは、悪くないな」

 ルークスが、遠い日の記憶を辿るように呟いた。


「そうだな。またこの面子で、何かを成し遂げられるというのなら、それはそれで喜ばしいことだ」

 アベルの声は、静かだが、確かに期待を滲ませていた。


「でも、アレやな。時間が経ち過ぎて、今の世界にウチら、ついてけへんかもしれんで」

 マリアベルは、現実的な懸念を口にした。


「それがいいんすよ!未知を探求しようっす!冒険っす!」

 リベルタは、目を輝かせて声を弾ませた。


「⋯その前に、灰の原初に打ち勝ったという事実を、しかるべき場所に報告しなければならないだろう」

 最後にジェイクが、生真面目な口調でそう言うと、ルークスは盛大な溜息を吐いた。


「ジェイク。お前は本当に、馬鹿が付くほど真面目だな。普通に考えてみろ。もう300年も経ってるんだぞ?報告する場所なんて、あると思うか?俺達はもう、世間からとっくに忘れ去られた、過去の亡霊に過ぎねぇんだよ」


 ルークスの言葉に、ジェイクは眉を顰めた。

「ほら、新しいこと考えようぜ」

「ならば、再び民のために剣を取ろう」

「⋯⋯戦うことに関しては、別に構わんけどよぉ。正直、もうあんまり気乗りしねぇんだよな」

 ルークスの言葉に、ジェイクは信じられないといった表情で振り返った。

「はぁ⋯?ルークス。貴様、それでもかつて、英雄と呼ばれた身であろうが!」

「だから、それは過ぎたことだって言ってんだろうがよ!」


 ──どうして、こうなってしまったんだ?


 目の前で始まった仲間たちの口論に、ジンは戸惑いを隠せない。

 アベルは諦めたように目を閉じ、マリアベルは露骨に白けた表情を浮かべている。リベルタは「あちゃー」と軽く額を叩いた。


 そうだ、こんな時頼りになるのはクラウディアしかいない。

 ジンは、縋るような思いで彼女の名前を呼んだ。

「く、クラウディア⋯⋯」

 クラウディアは、静かにジンを見つめ、その紫紺の瞳で「承知いたしました」と、無言のまま彼の訴えに応えた。


「貴方たち。シャナさんの御前で、そのような醜い言い争いは慎みなさい」

 あのお淑やかな物腰からは想像もできないほどの強い覇気が、クラウディアの言葉に乗った。鋭い眼光が、激しく言い争う二人を射抜き、文字通り圧迫する。

 ──こんな一面もあるんだ⋯。怒らせたら、とんでもなく恐そうだ。


 密かにそう思っていると、ルークスが突然、ジンに向き直った。


「そうだ、シャナに全部投げつけてしまえばいいんだ。シャナ、実を言うとよぉ、俺は今までの活動、割と嫌だったんだよ。最初は英雄!英雄!って、囃し立てられて気分が良かったけどよ。国が絡んでくるとよぉ、馬車に繋がれた馬みたいにコキ使われるのが、マジで気に食わなくてよ!俺はいつからお前の犬になったんだよ!って、何度心の中で叫んだか!」


 まるで堰を切ったように、不満が洪水のように溢れ出す。

「まぁ、皆が馬鹿真面目だったから、辛うじて留まってはいたけどよ!」

 ルークスの予想外の本音の嘆きを聞かされて、ジンはただ「お、おぉう」と間の抜けた声を上げるしかなかった。


「おお、めっちゃ愚痴ってるやん。思ってたより鬱屈溜めとったんやな、アンタ」

 それを見て、マリアベルは楽しそうに鼻で笑う。

 ルークスは「ああ!」とさらに声を荒げた。

 その姿は、まるで酒に酔って駄々をこねる中年男性のようだった。


「じゃ〜、いっそのこと逆にやるっすか?今までの逆の〜⋯世界、征服ってヤツ、しちゃおっすか〜?ほら、今、シャナっち破滅の原初の力を身に宿してるんすよね〜?」


 リベルタは、へたくそなウィンクと共に、突拍子もない提案を口にした。


 沈黙が、再びその場を支配する。


「あの⋯冗談っすよ⋯⋯よ?」

 リベルタが、今度は本当におどおどとし始めた。

「世界征服⋯か」その言葉を、皆がそれぞれの口の中でゆっくりと転がした。

 正直、その突飛な響きに、ジンは今まで感じたことのない、微かな高揚感を覚えてしまっていた。

 そんなこと、前の自分なら、考えもしなかっただろう。

 それを成し遂げるような力など持っていなかったし、冒険者をしていた頃は、ただその日その日を楽しく生きられたら、それでよかった。

 しかし、今はどうだ?原初の力という、想像もできない力を身に宿している。

 いくら古の存在とはいえ、自分の側には、かつて英雄と呼ばれた猛者たちがいるのだ。


「⋯シャナさん。興味がお有りのようですね」

 クラウディアが、ジンの微かな表情の変化を見逃さなかった。「いや⋯。ちょっと、あまりにも考えてこなかったことだから。つい」

 新しい生はそれで、いいかな。なんて思う自分がいる。

「─おい、待て!お前たち、それでも平和を願っていた者たちか!」

 ジェイクが、まるで雷鳴のような声で立ち上がり、巨大な盾を床に叩きつけた。

 凄まじい剣幕で、ジンへと詰め寄る。


「ま、待て!そう決めた訳─」


 ジェイクの拳がジンに向かって振り上げられる寸前、クラウディアがまるで壁のように立ちはだかった。

 彼女は、自身の傍らに置いていた日傘を手に取り──鋭い音を立てて、抜き放った。

 仕込み刀だったようだ。しかし、その瞬間、ジェイクの動きは唐突に停止し、まるで操り糸が切れた人形のように、崩れ落ちて膝をついた。

「──くっ⋯」苦悶の呻きが漏れる。

 クラウディアは、倒れ伏す彼を見下ろし「これが、使徒能力のようですね」と、静かに呟いた。


「俺は、最後まで⋯正しく、ありた」

 最後まで言い切ることはできず、ぷつんと糸が切れるように、彼の身体は完全に地面に倒れた。


「ジェイク!」

 ジンは、倒れたまま動かないジェイクに近寄り、再び起こそうとした。

 しかし、彼の意識は一向に戻らない。

「─どうしてだ」

 そう呟くジンに、クラウディアが冷徹な声で答えた。

「恐らく、一度反意を示した者は、蘇ることはないのでしょう。たとえ魂が消え去り、無になったとしても、動く屍にすらなれないのでしょう」


 そういうことなのか?


 たった今、共に言葉を交わしたばかりの仲間が、一人失われた。

 だが、ジンにとって、ほんの短い間の関係でしかなかった。

 正直なところ、口には出せないが、深い悲しみは湧き上がってこない。

 しかし、記憶を共有する彼らは違う。

 特にリベルタは、堪えきれない悲しみを滲ませた顔を歪めていた。

「ごめんなさい。あたしが、変なこと言わなければ」

 リベルタの謝罪にルークスが「いや、俺のせいだ」と吐く。


「悔やんだらアカンよ。もう過ぎた事や⋯。でも、よーわかったわ。シャナには、逆らえへんなぁコレ」

 リベルタを宥めるマリアベルの声は、どこか乾いていた。


「いや、俺は⋯⋯」

 言葉が喉に詰まる。別に好きで、人を無に帰したわけではないのに。

 この力に対する、拭い去れない畏怖の念が、ジンを支配していた。


 口淀むジンに、マリアベルは諦念にも似た悟りを含んだ声で言った。

「わかっとる。わかっとる。アンタのせいでもない。──それが、原初の力で使徒になってしもうた者の、宿命や」


「使徒になってしまった者の宿命、か」


 ジンは、その重い言葉を静かに反芻した。それは、単なる力ではない。

 軽はずみな好奇心で触れてはならない、抗いがたい何かを宿していることを、肌で感じ始めていた。


「俺は⋯」

 この先、自分が何をすべきなのか、言葉が見つからない。喉の奥で、問いかけが何度も行きつ戻りつする。


 ふと、脳裏に過ぎったのは、自分と同じように原初の力を身に宿し、世界のどこかで、同じように苦悩しているかもしれない存在だった。

 たった十二人。その数だけが存在するという使徒。

 こんなにも重く、逃れられない宿命を背負わなければならないのは、どこか根本的に間違っているのではないか。

 ならば、その呪縛から原初の力に翻弄される人々を解放してやろう。

 たとえ、そのために征服者という悪名を受けようとも構わない。

 この力で、同じ苦しみを味わう者たちを救済する。

 それが、今の自分にできる唯一のことかもしれない。


「──決めた。世界征服をしよう」


 唐突なジンの言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。


「この原初の力で、苦しむ人々を解放したいんだ」


 マリアベルは、紅い瞳を訝しげに眇め、首を傾げた。

「⋯あんたの言う解放と、やろうとしとる征服って矛盾してはるで」

 ジンは自嘲の笑みを浮かべ頷いた。

「ああ、矛盾しているのは分かってる。⋯それでも、いつか、その矛盾の先に、微かな希望が見えるはずだと、そう信じたいんだ」


 皆が一瞬、言葉を失い、そして、堪えきれないように小さく笑い出した。

 その含み笑いに、ジンは内心、また突拍子もないことを言ってしまったかと、一抹の不安を感じた。


「⋯いや、やっぱり、馬鹿なこと言ったかな」

 ルークスは、喉の奥で小さく笑った。

「ああ、紛れもない大馬鹿野郎だよ、お前は」


 マリアベルも「はん」と鼻を鳴らし、呆れたように同意する。

「せやで、ホンマ大馬鹿やで」


 クラウディアは、柔らかな紫紺の瞳に、遠い日の記憶を映すような、どこか懐かしむような微笑みを浮かべた。

「記憶を失っても、シャナさんの根幹は変わらないのですね」


 リベルタも、苦笑いを浮かべながら付け加えた。

「そうっすね。初めて会った時も、そうやって理想論を、自信満々に語ってましたもんね」


 少しもどかしい想いをしながら、ジンは改めて周囲を見渡し、静かに言った。

「それに、これは、ジェイクを失ってしまった、俺なりのケジメでもあるんだ」


 その言葉に、先ほどまで笑っていた仲間たちの表情から笑みが消え、神妙な空気が流れた。


 ジェイクの消滅は、彼らの心に深い影を落としているのだ。


「私は、シャナさんがそう決めたのであれば、何処までもお供いたします」

 クラウディアは、迷いのない強い眼差しでジンを見つめ、そっと寄り添うように告げた。


「まぁ⋯言い出しっぺはこの、あたしっすからね」

 リベルタは、自嘲気味に肩を竦めて言った。


 その言葉には、軽い調子の裏に、仲間を失ったことへの僅かな後悔の色が滲んでいるようだった。


「ウチもそれでええで。それが、今のウチらにできることや」

 マリアベルの声は、普段の生意気さとは裏腹に、どこか覚悟を決めたような響きを持っていた。


 アベルは、静かに、しかし力強く頷いた。

「俺も貴様のその理想に力を貸そう」


 最後に、ルークスが締め括った。

「じゃあ、決まりだな。世界を征服する。これが、新しく俺たちが進むべき目標だ」


 ─これが俺の新しい生のはじめの一歩だ。


 決心するジンの内側で、抑えきれない狂気が奔流となって渦巻き、どこまでも響く笑い声が木霊した。

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