第12話 蘇りし亡骸(4)

「あ、遅蒔きながら、記憶を失ってしまわれた貴方に改めて申し上げます。私の名前はクラウディア。かつて、貴方と共に旅をし、幾多の難関を文字通り共に乗り越えてきた、かけがえのない仲間の一人です」


 彼女─クラウディアは、吸い込まれるように美しい紫の髪と、知的な光を宿した瞳を、ジンに魅せるように、雅やかにそう告げた。


 優美。頭を下げ、腰を滑らかに折り、膝を軽く曲げる。飾り気のない、ただそれだけの挨拶なのに、ジンは目を奪われ、息を呑む。紫紺の瞳からは、溢れんばかりの親愛が、まるで温かい光のように注がれている。


 妙な間が流れ、ジンが言葉を探していると、クラウディアは堪えきれないように小さく笑って、優雅に姿勢を正した。


「では、シャナさん。魂の行方が時の流れに攫われる前に、他の者たちを目覚めさせましょう」


 クラウディアの言葉に、ジンは周囲に点在する棺桶を見渡し、「⋯そうだな」と、呟く。


 シャナの、かつての戦友たちを目覚めさせる。

 ─完全な生ではなく、ジンに操られる人形として、意識を取り戻す。

 クラウディアの言動からは、シャナに対する深い敬愛の念が見て取れる。それは忠義と言っても過言ではないだろう。自身が傀儡として蘇った事実を承知していながら、そのことに対する不満や悲哀を微塵も表に出していない。

 だが、他の眠りについた者たちはどうだろうか。

 もし、自身に自由意志がないと知れば、絶望に打ちひしがれ自暴自棄になったり、あるいはその力を憎み、暴虐の限りを尽くしたりしないだろうか。

 その場合、反意を起こしたと見做し、その存在を無に帰すことができるらしい。とクラウディアは言っていたが。

 不安でしかない。しかし、それに向き合わなければいけないのが現実。


 ──ジンは残りの棺桶に歩み寄り、重い蓋に手をかけた。



「この方はルークス。前衛の戦士です」

 漆黒のプレートアーマーを纏う男。

 光を吸い込むようなその装甲は、無数の傷跡を刻み、歴戦の凄みを宿している。兜の奥は深く、底知れぬ威圧感が周囲を圧迫する。

 携える剛鉄の大剣といい、そこに立つだけで、強大な力が伝わり、畏怖の念を抱かせる存在だ。


「この方はマリアベル。魔導に長けた中衛です」

 亜麻色の髪に紅の瞳、二十歳前ぐらいの見た目。

 あどけなさを残す顔には常にムスッとした表情。

 程よいフリルの赤ずきん風の衣装をまとい、小柄で生意気そうな雰囲気を漂わせる。

 携えるのは複雑で精巧な細工が施された魔導杖。

 その紅い瞳は鋭く光を宿し、どこか人を値踏みしているかのようだ。


「この方はリベルタ。空間を操る力を保有しています」

 見目は二十代半ばの女性。

 鮮やかな青色のショートカット。吸い込まれそうな青色の瞳。どこか気怠げそうで今にも欠伸をしそう。

 その視線には、真剣さというものが微塵も感じられない。

 身に纏うのは軽装の装備。その上から、前をざっくりと開けたコート。その隙間からは、控えめながらも確かに主張する膨らみがある。


「この方はジェイク。前衛の守備役です」

 三十路を迎えたであろう、筋骨隆々の巨漢。

 鍛え抜かれた肉体を包むのは、鈍い光を放つ鋼の重装備。

 その威容は、相対する者に一目で手強さを悟らせる。

 飾り気のない硬派な面差しは、強い意志と確固たる正義感を宿しているように見える。

 携わる鉄壁を思わせる巨大な盾。揺るぎない守りの象徴が、彼の信念を物語るようだ。


「この方はアベル。魔物などの調教を得意としています」

 二十代後半の男。金糸のような髪が顔を隠し、その隙間から覗く琥珀色の瞳。

 日焼けした褐色の肌は、鍛えられた肉体の輪郭を際立たせる。長身痩躯に吸い付くような黒い装束は、彼のしなやかさを強調し、どこか影のような雰囲気を醸し出す。

 表情はまるで仮面のように微動だにせず、何を考えているのか窺い辛い。


 目覚めた彼らは、それぞれ異なる反応を見せた。

 やはり、目覚めた時のクラウディアのように焦る者が大半だった。

 中にはちょっと様子を把握すると欠伸する腑抜けも居た。

 その次に何故、自分が封印の要から解放されたのか疑問を持ち始める。

 それが落ち着くと皆の視線が、所在なさげに立ち尽くすジンに一点集中した。

「⋯⋯」

 たじろいでしまうジン。その横で、クラウディアが静かに口を開く。


「お目覚めになりましたね。皆さん。シャナさんが皆さんを起こしましたが、明確な意志によるものではありません。──彼は今、記憶を失っておられます」


「──記憶がない? 冗談じゃねえなシャナ?」

 ルークスが兜をカチカチ鳴らして目を覆う部分を持ち上げると、奥に宿る橙色の眼を眇めた。


「はぁ?そんなボケたやつに起こされたんかウチ。⋯本気で言ってん?」

 マリアベルは訛った口調に、露骨な困惑を乗せた。


「記憶を失ったんすか?頭叩いたら直るんじゃないっすか?」

 リベルタは軽口を叩いて戯けるが、その瞳にはどこか探るような光が宿っている。


「⋯シャナ。貴様の意志が無いなら、この再生は何の意味を持つ?」

 アベルは静かに、しかし重い疑念を述べる。


 ジェイクはただ何も言わずに、困惑の色を滲ませた瞳でジンを見据える。


 困惑と驚きが隠せず、皆が唖然とする。表情には憐憫と不安の色が見られる。

 ジンは、まるで無数の視線が重い鎖のように絡みつき、精神的に圧迫されたような感覚に苛まれてしまう。


 ──困った。本気で居心地が悪い⋯。

 ジンが心の内で嘆く傍ら、

「⋯⋯まぁ、立ち話もアレですし座って話しをしよ〜っす」

 リベルタがそう言う。

 突如、空間が歪み、巨大な黒檀の円卓と七つの椅子が現れた。

 それにジンは驚き瞠目した。一体、何が起こったのか理解が追いつかない。

 それにリベルタが愉快そうに笑った。

「あはは〜コレを初めてみたシャナっちもそういう反応してたっすね〜」


 他の面々は慣れた様子で、出現した椅子に腰掛けた。

 ジンは促されるように、その一つに腰を下ろす。


 そこで、漸く無言を貫いていたジェイクが、低い声で口を開いた。

「それで、この状況はどういうこと何だ?手短めに話してくれないか」

 ジンが言葉を探してまごついていると、それを察したように、クラウディアが落ち着いた声で口にする。


「先も述べたように、私達には過去の記憶がありますが、シャナさんにはそれがありません。何故そのような事になっているのかは不明ですが、恐らく此度の戦いで、原初の力を解放した影響でしょう」

 彼女は言葉を選びながら続けた。

「かつて、白の原初が生み出した牢獄結晶、並びに私達が編み出した七芒星の結界は、永い時間の経過と共にその効力を弱めていたようです」

「目覚められたばかりのシャナさんは、記憶を失っていたために、目の前に映る物全てに困惑し、藁にもすがる思いで何かを得ようとした結果が、このような今に至ります」


 話を聞いていた皆は、各々に言葉を咀嚼する。

 何も出来ずにいるジンは、心の底からクラウディアに「ありがとう」と、感謝の念を送った。彼女の存在が、今のジンにとって唯一の頼りだった。


「──あそこに転がる使徒は?もう起き上がれるような形じゃないが」

 ルークスが、円卓の隅に倒れたまま動かない人影に気づき、問いかけた。

「はい。シャナさんが封印を壊す過程で、彼の者から灰の原初の力を簒奪したようです。私は再起は不能と見做しています」

「⋯そうか。丁寧にどうも」


 クラウディアの淀みない説明を聞き終えたジェイクは、静かに息を吐いた。


「話を聞いていて疑問があった」

 次に口を挟んだのはアベルだ。

「時が経ったと言うが?」

 クラウディアは「ええ、300年が経過しています」と、あっさり答える。


 それに、驚きの声を上げる者、興味なさそうに相槌を打つ者と、反応は様々だった。しかし、時間の経過に対する反応はそれまでだった。

 300年という途方もない時の流れは、彼らにとって抗うことのできない事実として、静かに受け止められているようだった。


「しかし、それだけ時が経ったのによく体が朽ちずにいられるな。流石にそこは腐ってもシャナのようだ」


 アベルがそう賞賛すると、一瞬の沈黙が生まれた。


 そこでクラウディアが立ち上がり、ジンの直ぐ真横に寄り、膝を屈めた。綺麗なスミレ色の髪が揺れ、紫紺の瞳がジンを覗き込む。

 彼女はジンの耳元まで唇を寄せると、囁いた。


「皆が蘇ったのは蘇生魔術ではなく、シャナさんの新たな使徒の能力である傀儡で目覚めた、ということを告白してもよろしいですか」


 それはジンが一番、口にすべきか悩んでいた核心だった。

 傀儡によって再びこの世に現れた、という事実を皆がどう受け止めるのか。

 席に座る皆が、顔を寄せ合う二人を怪訝な表情で見つめる。

 それにああー、嫌だなぁ、とジンは心の中で小さく呟きながら問い返した。

「⋯どうしたらいいと思う?」

「私の率直な意見としては、直ぐに事実を伝えるべきだと思います。この件は伏せていても、有能な彼等であれば直ぐに気付かれるでしょう。後々いざこざが生まれて面倒な事になるのは間違いありません。精神的な負担にもなります。⋯少々心苦しいかもしれませんが、今後の為にも、ここで告白するのが一番かと」

 ご尤もな話なので、ジンは覚悟を決めて息を吐き「頼む」と返した。

 結局はどこかで向き合わなければならない内容だ。ならば、早めに片をつけた方がいい。皆にどのような心境をもたらすのか分からないが、目を逸らさずに受け止めることが、今の自分にできる唯一のことだろう。

「はい」と口にしたクラウディアは、姿勢を正すも席に戻ろうとせず、ジンの隣で静かに佇む。

 シャナに心酔している彼女のことだ。恐らく、何かあればすぐに守れるようにと配慮しているのだろう。クラウディア様々だ。頭が上がらない。


「皆さんにお伝えしなければいけない事があります」

 彼女の前置きに、皆が表情を変える。


「私達は今、シャナさんの支配下に置かれている状況です」


「は?」と、抑えきれない驚きの声が幾つも重なった。


「シャナさんは、かつてお持ちだった白の原初の力を失い、死者を蘇らせる奇跡の御力を行使できなくなりました」


「でも⋯ウチら今こうしてはるやん?」

 マリアベルが、混乱の色を濃くして問い返す。


「はい。確かに活動は出来ています。ですが、それは仮初です。私達は今、シャナさんが新しく得た灰の原初の力で動けるのです。その原初の力とは、死者を傀儡化する能力です」


 沈黙が生まれた。皆が愕然とした様子で、ジンとクラウディアを見つめている。


「貴方たちは、人の姿をしていながらも、完全な人ではないのです」

 クラウディアが、重い楔を打ち込んだ。


 ──ここからだ。ここから、一体どうなる。ジンは固唾を呑んで、仲間たちの反応を見守った。


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