第11話 蘇りし亡骸 (3)

 彼女は頷き「少し長くなりますが」と真剣な表情で語り始める。


「私たちは、この世界を脅かす原初を封印する旅をしていました」

「原初は全部で十二。創造と破滅─この二つの属性に分かれています」

「私たちは破滅の原初を標的にしていました」

「これまでに赤の原初、紫の原初を封印しています。そして此度は灰の原初を打ち果たしました」

「灰の原初を討つには、シャナさんが宿していた白の原初の力が不可欠でした。そしてその力を用いたことでシャナさんが持つ白の原初の力を失ってしまいました」

「─そう、あれは戦いの最中のことでした。

 今回の戦いは極めて過酷で、私たちは大きな消耗を強いられました。

 いくら七英雄と呼ばれていても、使徒であるシャナさんを除けば私たちはただの人間。しかし敗北する訳にはいけません」

「そこで私たちは苦肉の策として、シャナさんに宿る白の原初を召喚し、私たちの命を代償に、本来の力を振るわせたのです」

「白の原初は封印術式を展開し、牢獄結晶を生み出しました。

 私たちはそれを維持するための要となり、七芒星という幾重もの結界を張って、こうして眠りについたのです」


 最後に「以上です」と締めくくる。

 ジンは彼女の語った古譚を耳にして、自ら聞いたとはいえ、まるで遠い世界の物語を聞かされたような心地に囚われ、心の中で小さく嘆息した。


 シャナという人物は、この女性や他の仲間たちと共に、世界を脅かす強大な敵に果敢に立ち向かっていたらしい。

 七英雄と謳われていたその一行は、世界に消えぬ爪痕を遺した、まさに勇者と呼ぶに相応しい存在だったのだろう。


 ──つまり俺は、そんな英雄の体を受け継ぎ、転生した勇者、というわけか。

 勇者として持つ力も申し分ない。


 彼女が簡潔に語ってくれた概要で、大体の流れは理解できた。前世のシャナが秘めていた原初の力を用いて、己の命を代償に、敵対する原初の力を宿した使徒を封印した、と。

 そして、その封印を何も知らない自分が、いとも容易く破壊してしまった。

 結局、封印されていた使徒は打ちのめされ、シャナたちの目的は果たされた、はずなのだが。拭いきれない違和感が、胸の奥底に蟠っている。


「話してくれてありがとう。何となくわかったよ。⋯でも、そんな強力な封印が、なんでこうも簡単に解けたんだ?ましてや、俺一人の力で」


 ジンが疑問を投げかけると、彼女は何かを思案するように眉を寄せ、首を傾げ、紫水晶のような髪を揺らした。


「それは私も訝しんでおりました。あの封印は、白の原初の御力を用いた、幾重にも複雑な術式によるもの。そう、まるで糸を切るように容易く破られるなど、常識ではありえません。考えられる原因としては、封印の効力が弱まっていた。ということでしょうか。それを紐付けていくと、術者の魔素の不足。そして単純な時間の経過が挙げられます」


 彼女はそこで言葉を区切り「⋯そうか」と小さく呟いた。


「高度な術式を維持するには、膨大な魔素を継続的に消費します。その消費する時間が長きに渡れば渡るほど魔素は枯渇し、当然、封印の効力も徐々に減衰していくでしょう。結論から言いますと、原因はやはり長きにわたる時間の経過、ということになるようです」

「⋯時間の経過、か。それほどにも、時間が経ったのか?」


 彼女はジンの呟きを耳にすると、焦点を合わせない瞳で虚空を静かに見つめた。しばらくして、ようやくジンに視線を戻す。


「⋯はい。どうやら、三百年もの長きにわたる時が経過しているようです」

「は?」思わず間抜けな声が漏れてしまった。

「⋯今は、何年なんだ?」

「10074年です」

 ジンは、おい、おい、おい、おい、と心の中で盛大に嘆いた。

 ──俺が死んでから、まさか350年も経った!?完全に故人じゃねえか。

 しかし、過ぎ去った時間の流れには抗いようもないからどうしようもない。

 ただ、自分が知る世界から隔絶されたこの世界が、どのように変貌を遂げたのかは、否が応でも気になる。それはおいおい、この目で確かめればいい。


 思考を現在に戻す。

「⋯そうか、途方もない時間が経ちすぎて、封印の力も限界を迎えていた、と。それで、俺一人でも封印を解くことができたわけだ」


「そういうことでしょう。ちなみに「俺一人」と仰いましたがシャナさんは、お一人でも並外れた御力を秘めていらっしゃいます。封印の効力が弱まっていたのであれば、打破することくらい、容易いでしょう」


 いまいち、シャナの強さのほどを実感できていないジンは、どう反応すればいいのか言葉に詰まり、

「そんなものなのか」

 と、どこか他人事のように呟いた。すると彼女は、「そんなものなのです」と、疑う余地もない事実を告げるように眩しい笑顔で当たり前のように返した。

 彼女のその様子からは、シャナに対する、絶対的な崇拝にも似た強い感情が滲み出ている。

 ジンはその熱烈な想いを向けられる対象が今は自分自身ではないことに居心地の悪さを感じてしまう。


「⋯あとは、使徒について軽く教えてくれないか」

「わかりました。簡潔に申し上げますと、使徒とは、原初の強大な力をその身に宿す者のことです」


 やはり、そうか。と内心で納得しながら頷くジンに、彼女は言葉を続けた。


「使徒となられた方は、もはや人の身の枠を凌駕し、常識では考えられないほどの存在となります。並の人間には、決して手が届かない領域の力を持つようになるのです」

「原初の力は、それほどまでに強大です。先ほども申し上げましたが、シャナさんは白の原初を御身に宿していらっしゃいました。その原初は特に平和を司る象徴として古くから謳われていました。その名に恥じぬ、絶大な御力を保有されていたのです。─例えば、決して治らないとされた不治の病を癒したり、常識では絶対不可能だとされる死者蘇生でさえも。その一端の力を貴方は行使できたのです」


 原初と使徒という存在が、いかに常識外れの強大な力を持つのか、ジンは何となく理解できた。


「元々俺⋯に、白の原初が宿っていたっていうけど。どういった経緯で、そんな力を得たんだ?」

 ジンの問いに、彼女は一瞬言葉に詰まり、「ええと、ですね⋯」と、どこか困惑した様子を見せた。


「そればかりは⋯原初の御心のまま、としか言いようがありません。気まぐれ、と表現するのが近いかもしれません」

「⋯なるほど。神の気まぐれのようなもの、か」

「そういうことです。しかし、原初にもまた、独自の趣向という概念が存在するようです。誰彼構わず、深慮なく加護を与えるようなことは決してありません。きっと、日頃から平和を築くために心血を注いでいらっしゃったシャナさんには、同じく平和を尊ぶ白の原初に選ばれるだけの特別な素質がおありだったのでしょう」

 ─シャナ⋯どんな奴なんだよ⋯

「⋯今は、灰の原初が俺の中にいるようだが」

「使徒となるには、原初の直接的な加護を受ける他に、継承という方法が存在します。継承は文字通り、その力を他の存在に受け継がせることです。シャナさんが灰の原初を御身に宿された要因は原初の気まぐれか、あるいは討たれた使徒がシャナさんにその力を譲渡したか。このどれかだと考えられます」


 ジンは「ありがとう」と小さく頷いた。これまでの彼女の話を聞いた限り、自分の中に原初の力が宿った理由は、間違いなく気まぐれによるものだろう、と彼は内心で結論付けた。


 ─しかし、こんな馬鹿げた力を手に入れたところで、記憶のない俺にどうしろと。

 また、英雄的活動をしましょう、なんて言われるのだろうか。

 ジンは、まるで他人事のように語られる壮大な過去と、目の前の状況との落差に、内心で小さく慄いた。

 ─ユウキたちと、他愛ないことで笑い合いながら何気なく放浪していた、あの穏やかな日々が酷く恋しいよ。


「ところで、シャナさん」

 不意にそう呼ばれて、ジンは一瞬戸惑い

「ん、ああ、何?」と、どこか上の空で返事をした。

 今までの会話で何度も耳にした固有名詞なのに、まるで他人事のように、その名がまだ自分の内側に馴染んでいない。


「⋯どうやら、私はアンデッドとして蘇ったようです。どのような蘇生魔術を用いたのでしょうか?そもそも、白の原初の力を保有していない状態で……ああ、そういうこと、でしか」


 彼女は疑問が氷解したかのようで一人で納得し、小さく頷いた。


「今は灰の原初の力を宿していらっしゃいましたね。灰の原初は、伝承によれば死を司るといいます。恐らくは、貴方の内に眠る負の力が作用したのでしょう」


 まるで核心を射抜かれたような、確信に満ちた彼女の一言に、ジンは完全に置いてけぼりを食らったような心地がした。


「使徒能力を念のため確認してみてください」


 言われるがまま、ジンは意識を集中させ、自分の能力を確認する。そして、小さく呟いた。


「─死者を傀儡⋯」

 その呟きを聞いた彼女は、まるで予想通りの結果だったというように、深く納得した表情を浮かべ、何も言わずに、うんうん、と小さく首を縦に振った。


「やはり、そうでしたか。しかし、古の噂では死者は意思を持たないとされています。何故、私はこうして生前の記憶を保持しているのでしょう」


 それからまた、彼女はまるで研究者のように一人で熱心に考察を始めた。そして、何か結論に至ったように、再び顔を上げた。


「⋯長きに渡った七芒星の結界が、私達の魂をその場に強く繋ぎ止めていたのでしょう。強固な結界は失われてしまいましたが、恐らくシャナさんが、私が完全に消滅するよりも早く目覚めさせてくださったおかげで、魂の還元がぎりぎり間に合ったのだと思われます」


 最後に彼女は、心底感服したように「流石ですね」と付け加えて、ふわりと頬を緩めた。

 ──はい?

「と、なりますと。蘇生魔術とは根本的に異なりますので─私は今、シャナさんの支配下にある、と解釈するのが自然でしょう」

 ──はい?

「今こうして私が意識を持ち、活動出来ているのは、貴方が使徒としての力を行使しているからです。もし私が貴方に反意を持ったとしても、恐らくは私の意思とは関係なく、術者である貴方の意のままに、反する者を無に帰すことができる。それが、死者を傀儡とする力の、本質でしょう」

 ⋯はい。

 つまりは、目の前の聡明そうな彼女は、ジンにとって都合の良い手駒、ということなのだろうか。

 そんな事実は、ジンにとって複雑な感情を呼び起こす。

「私は、絶対にシャナさんを裏切るような真似はしませんけど」

 と、彼女はまるで自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

 傀儡という言葉が胸に重くのしかかり、拭いきれない後ろめたさを感じるジンをよそに、彼女は改めて口を開いた。


「あ、遅蒔きながら、記憶を失ってしまわれた貴方に改めて申し上げます。私の名前はクラウディア。かつて、貴方と共に旅をし、幾多の難関を文字通り共に乗り越えてきた、かけがえのない仲間の一人です」


 彼女─クラウディアは、吸い込まれるように美しい紫の髪と、知的な光を宿した瞳を、ジンに魅せるように、雅やかにそう告げた。

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