第2話 少女とおばけ

 長い間、深い眠りに落ちていたかのような感覚だった。


 意識が浮上し、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。


「⋯⋯」


 眩い光が目に飛び込み、思わず目を閉じる。


 再度、瞼を開く。

 太陽の光が降り注ぎ、ユウキの視界を白く染め上げる。


 何度か瞬きを繰り返すうちに、ようやく光に目が慣れてきた。


「⋯⋯どゆこと?」

 ユウキは困惑して呟いた。


 目が覚めると、そこはどこまでも続く広大な草原。

 そして、眼下には見知らぬ街並みが広がっている。


「本当に⋯どういうこと?」


 眼下の光景もさることながら、透き通る自身の体にも困惑を隠せない。


 ユウキは状況を整理しようとして記憶を辿る。


「ああ、そうか。僕は死んだのか」


 死んで、霊になったのだろう。

「ルーシィ!」

 周囲に誰もいないと分かっていながら、ユウキは彼女の名前を呼んだ。


 共に死んだのだ。霊になっているなら近くにいるかもしれない。ひょこっと現れるかもしれない。でも返事はなかった。


 ─でも、ルーシィが死んだというのは思い込みできっと何処かで生きているのかもしれない。彼女に会いたい。


 ユウキは溜息を吐き、胸に込み上げる切なさを押し殺す。


「絶対見つけ出すよ。ルーシィ」


 気持ちを切り替え、眼下の街へと向かう事にした。


 降りていくにつれて、目の前の情景が鮮明になっていく。


 石造りの建物、点在する緑、活気ある大通りと露店。

 物珍しそうに商人の話に耳を傾ける旅人。

 広場で無邪気にはしゃぐ子供たち。

 歌い踊り、人々を魅了する大道芸人。

 遠巻きにそれを見物する豪奢な服を纏った貴族。駄弁る三人組の冒険者。


 ユウキは行き交う人々の流れに紛れ込む。

 しかし、誰もユウキに気づかない。


 目の前に話をしながら歩く、とんがり帽子の二人の魔法少女。

 その片方とぶつかりそうになり

「⋯⋯ぶつからないか」

 ぶつかったと思った魔法少女は、ユウキをすり抜けていった。


「本当に死んだんだな⋯」


 不思議な感覚だ。

 ユウキはそう思いながら、露店の果物に目を留めた。


「人目がないなら⋯」

 ユウキは果物の籠に近づき、瑞々しい赤色の果実を手に取る。


 顔に近づけて、匂いを嗅ごうとする。

「⋯匂いがしない」

 そして、一口齧ってみる。

「⋯味もしない」

 ユウキは衝撃を受ける。嗅覚も味覚も失ってしまったのだ。


「最悪だ⋯」


 ユウキは嘆く。人としての楽しみが、消えてしまったのだ。


 ●

 それから何日か経った。


 霊体となり、ユウキは人が持つ欲求を失っってしまった。

 食欲、睡眠欲、性欲⋯。

 かつては当たり前だった欲求が、今はただの記憶となった。


 悲しいのは、その身になってしまえば、意欲すら湧かないことだ。


 しかし、目の前で美味しそうにご飯を食べる人、気持ちよさそうに眠る人、イチャイチャする恋人たちを見ると、やはり羨ましいと思ってしまう。


 だから、ユウキは腹いせにちょっかいを掛けることにした。


「ワイのアズサたんが消えたでござる!大事にしてたお人形なのにぃい!」

 人の物を隠したり。


「ねぇ、ヒビ入ってない?」

「え、嫌だ。美味しく食べたかったのに破片とか口の中入ったら最悪じゃん」

 人の食事中に食器を割ったり。


「気持ちね〜お風呂。生き返る〜」

「ね、ねぇ⋯⋯。あそこ誰も居ないのに変に水面たってない?」

 浴場を見つけたら、綺麗な女性と一緒に入浴したり。


 他にも、様々な悪戯を繰り返した。

 夜、今日も何かしてやろうと、イチャイチャしている男女を脅かしに行こう。


 そんなことを考えながら近くの共同墓地の前を通りかかった時だった。


「おい、お前かね。最近の荒くれは」

 声をかけられた気がした。


 声の方を見ると、そこにはユウキと同じ霊がいた。

 かなり年配の姿だ。


 初めて自分以外の霊と出会い、ユウキは呆然とする。


「お前だろ。最近、街で人にちょっかいばかりかけておるのは」


 タイムリーすぎる。


「お前。その様子だと死んで間もないのだろう。気持ちはよく分かるが、悪ふざけはそれくらいにしてくれんかの」


 諌める言葉に、ユウキは「まぁ、ちょっとやりすぎてる感じはあるけど」と返す。


「お前さんのせいで、霊滅隊が動くかもしれんじゃろ」


 霊滅隊。初めて聞く単語だった。


 しかし、霊を滅するという意味であることは容易に想像できた。


「霊と対峙できる人がいるってことか?」

 ユウキの言葉に、お爺さん霊は鼻で笑った。


「そうだ。お前だけが霊滅隊の敵になってくれたらいいんじゃがな」

「そうもいかないんだ?」

「そうだ。奴らはワシら霊が視え霊を消滅させる力を持っておる。それに、話の分からん奴らだ。ワシはお前と違って自由に動けるようなものじゃない」


 ユウキは首を傾げた。

「ワシ以外にも、もっとおる。地に縛られて不自由な魂がの。じゃから、巻き込んでくれるなよお前さん」


 よく分からなかったが、ユウキは深く追求せずに「すみません。気をつけます」と謝って、その場から立ち去った。


「霊滅隊かぁ。恐ろしい組織があるわけだ。気をつけよう。死にたくないし。死んでるけど」


 ユウキはお爺さん霊の話を聞いて、人にちょっかいを掛けるのは自重しようと思った。


 ●


 今、ユウキが過ごしているのはウルカディア大国の領地にあるミディムという田舎町だ。


 暇潰しで町を散策する中で見つけた、腕自慢、金稼ぎ、興味本位、探索や冒険を好む者たちが集う施設。


 冒険者組合に、ユウキはいた。


 この冒険者組合は、役所と酒場が合併していて活気がある。


 ユウキは、役所と酒場を繋ぐ広間にある、壁に埋め込まれた魔導映晶を見ていた。


 魔力を使うことで、板状にされた魔力伝導率の良い晶石に映像を映す魔導具だ。


「僕が生きてた頃は、こんな凄い物なかったんだけどなぁ」


 映像もまた、管理された魔導伝波を使うことで、多くの場所で共有を可能にしているようだ。


 他にも、小型の魔導携帯という魔道具もあり、文明が進んでいるなぁ⋯とユウキは思う。


 魔導映晶には、ウルカディアから離れた聖王国シガリスというところで、剣聖の異名を持つ存在が凄まじい成果を出しているという報道が流れている。


 アリサという名前で、世界の神が生み出した十二原初のうち、一つの原初の力を保有するのだとか。


 よく分からないが、簡単に言ってしまえば人の形をした核兵器なのだろう。


 しかし、その人間核兵器が金髪に全身金色の装備をした20代の美女というのは、中々にパンチが効いている。


 冒険者の憧れらしく、報道を見る者たちの眼差しは熱い。

 視線で魔導映晶に穴があきそうだ。


『モッカモーカにしてあげる〜』


 番組が切り替わると、歌番組が流れる。

 ウルカディアの都市で活動する、アイドル。

 モカの歌唱に、ユウキはうっとりする。


 このようにして、ユウキは一日を何となく過ごしていた。


 そして、その時が訪れた。


 人が行き交うホールの入り口から「危ねぇぞ!」と怒鳴り声が聞こえ、続いて「ごめんなさい!」と謝る少女の声が聞こえた。

 こういう事柄は、冒険者組合ではよく起きることだ。


 しかし、今日はなんだか騒々しい。


 ユウキは気になって、意識を魔導映晶からそちらに向けた。

 ユウキの胸が高鳴った。そんな気がした。

「⋯ルーシィ?」

 目にしたのは見た目十二、三歳程の幼い少女だった。


 目を惹く白い髪に、翡翠の瞳。身なりは痩せ、あちこちが擦り切れ、汚れている。

 いかにも、闇を抱えてそうな女の子だった。


 顔はあまりにも似ている。

 しかし、髪の色も目の色も、ルーシィとは全く違う女の子だ。


 なのに、なぜかあの少女と頭の中を過った少女が重なった。

 なんでだろう。何故だろう。


 少女は周囲の視線とひそひそとした声に気まずそうに縮こまる様子を見せた。

 それでも、その場から引き返そうともせず、何かを探すように辺りをきょろきょろとする。


 その拍子に、少女の視線がユウキと絡んだ。


 ユウキはどきりとした。


 しかし、それは一瞬の事で、少女は何もなかったかのようにユウキから視線を外した。


 ユウキは「気のせいか」と小さく笑う。


 やがて少女は求めていたものを見つけたのか、一点を見つめ、早足で歩き出した。


 ユウキは何となく少女の後を追うことにした。


 少女は冒険者組合の受付に立ち寄り

「あ、あの!」と声を上げた。


「あの!仕事がしたいの!」

 受付の女性に、そう告げた。


「仕事がしたい」

 そのような相談をする人は、冒険者組合では毎日見かける光景だ。


 それが、当たり前の環境だからだ。

 普段なら受付も手際良く取り計らうのだが今回はそうはいかない。



 受付のふくよかで人の良さそうなおばさんの役員は少女の言葉に「仕事ねぇ」と苦笑いを浮かべる。


「そもそも、あなたは何歳なの?」

「28歳」


 ユウキは思わず吹き出してしまった。

 28歳?その身なりで?

 周囲の人々も、ユウキと似たような反応を示す。

 それが気に食わなかったのか、少女は「ホントなの!」とムッとした態度をとる。

 しかし、それが余計に子供っぽく見えた。


「はいはい。28歳のお子さんね」

 おばさんは少女をからかった後、険しい表情で言った。

「あなたのような子は、ウチには必要ないわ」

 きっぱりと告げられた少女は一瞬たじろぐ。

 しかし、すぐに「なんで!」と反発した。


「あなた、そこに鏡があるから見てみなさい。見るからに幼い。何か力があるならまぁ。でも、見た感じ、何の力も無さそうで、いかにも弱々しい」


 辛辣な言葉を並べた後「実際そうじゃないの?」と追い打ちをかけた。

 手を払い追い払う仕草に少女は苦い顔をする。


「わたし、頑張るから!」

 そう声を張るも「気持ちだけじゃ駄目よ」と冷たく言い放たれた。


 おばさんの対応に、少女は呻く。

 ユウキは「しょうがないよ」と傍観する。


 冒険者は実力主義。力こそが絶対という概念がある。

 もちろん、力だけでなく、経験といった積み重ねも大事だが、少女にはそれが全く感じられない。

 その点、ルーシィはちゃんとした実績があった。だから年少で冒険者にもなれた。


 頑固なことに今も尚食い下がる少女。

 面倒くさそうにあしらうおばさん。

 二人の攻防が続く。


 そのやり取りを見ていたらしい男が「おいおい」と笑いながら二人に近づいた。

 近づいてきたのは見るからに気障な中年の男だった。


 男は気安く少女の肩に手を置いた。

 少女の顔が強張るのをよそに、男は言う。


「タレッタさんよぉ。こんなに、やる気に満ちてるんだぜ。この子の気持ちを無碍にしてやんなよ」

「キザール⋯」


 受付のおばさんはタレッタ。気障な男はキザールというらしい。


 タレッタは、キザールに「そう言われてもねぇ」と困ったように返した。


「どうだ嬢ちゃん。俺たちについてこないか?」


 キザールは少女にそう提案し「お前らもいいよなぁ?」とホールで寛いでいたらしい仲間に声をかけた。


「おー!いいぜー」

 声を上げながら、男の仲間たち二人がこちらに寄ってきた。


 皆、キザールと同年代だろう。


「おおっと、俺の名前はキザール。こっちがテライで、こっちがヘイボンな」


 キザールは自分と仲間の名前を口にした。

 それに合わせてキザールの仲間が「よろしく」と笑みを作った。


 少女は、キザールと彼の仲間の対応を見て「本当!?」と嬉しそうに目を輝かせた。


 話が進み「もう」とタレッタは呆れてしまった。

 しまいには「その子を守って、無事に帰ってくるのよ」と折れた。

 少女は「やったぁ!」と更に喜びを露わにした。


 そして、もう待ちきれないといった様子で、ホールの入り口へと駆け出した。


 その姿に、男たちは頬を緩ませた。

「じゃあ」と男はタレッタに告げ、少女を追って走り出した。


 これは何か起きそうだ。

 そう思ったユウキも、少女たちについていくことにした。


 ●


 山の道。幾つもの荷物を抱え、少女は苦悶の表情を浮かべていた。


「うう⋯」


 ユウキは、何もしてやれない己の無力さに歯噛みした。


 ユウキたちが今いるのは、ミディムの町から馬車で四時間ほどの距離にある、ドドン山岳という場所だ。


 ミディムの町では、人気の狩場として知られているらしい。


 山岳に着くなりキザールたちは各々の荷物を少女に押し付けようとした。


 傍目にも特に重そうなのは野営道具が詰め込まれた大きな背嚢だった。

 こんな大荷物を子供に持たせるのか。ユウキは眉を顰めた。


 少女は荷物の量に困惑の色を隠せない。

 そんな彼女にキザールはもっともらしい台詞を吐き捨てた。


「これも冒険者が通る道だぞ」


 それを聞いた少女は渋々といった様子で、荷物を担いだ。


 ユウキは一連のやり取りを見て、苛立ちと憐憫の念を抱いた。

 従わなくてもいいのに。しかし、少女にも何か思うところがあるのだろう。


 哀れだな。そう思った時、ふと少女が振り返り、こちらを見た気がした。


 しかし、すぐに荷を背負い直し、前を向いた。


 少女は、重い足取りでキザールたちの後を追う。


「何が冒険者が通る道、だよ」

 ユウキは、少女の後ろ姿を見ながら悪態をついた。


 山道を歩いていると、何度か魔物と遭遇した。


 緑豊かなこの場所には、虫系の魔物が多かった。

 拳大のアリ。人の子ほどのカマキリ。同じくらいの大きさの蝶。得体の知れない幼虫。


 前世のユウキなら、これらを見ただけで卒倒していただろう。

 ユウキだけではない。

 ルーシィもジンもナユキも、皆虫が苦手で、遭遇する度に悲鳴を上げて逃げ回っていた。


 今では、懐かしい思い出だ。


 目の前の少女は平然として、興味深そうに観察している。


 虫以外にも、可愛らしいウサギや鹿、時にはゴブリンも現れた。


 少女は魔獣と遭遇する度に「わっ」やら「ひゃっ」とやら小さく声を上げていた。

 その反応から察するに、あまり魔物と出くわした経験がないのだろう。


 よくもまあ、そんな状態で冒険者組合に仕事をせがめたものだ。ユウキは苦笑した。


 ちなみに、少女は戦闘に参加できないため、離れた場所で見学している。


 魔物が現れる度に、キザールたちは果敢に飛び込んでいく。


 手慣れた動きと連携で、魔物を屠っていく。

 その姿に、ユウキは感嘆の声を漏らした。

「おお」


「おおっ」

 可愛らしい声が聞こえたような気がした。


 戦闘が終わると、ユウキは自然と拍手を送っていた。

 ユウキの近くで、小さな拍手の音が聞こえる。


「?」

 何か違和感を覚える。拍手をしながら、違和感の正体を探る。


 視線を向けると、隣に少女がいた。こちらを見ながら拍手を送っている。

 ユウキは一瞬固まり、ぎこちなく手を叩く。


「⋯⋯え?」


 呆然とするユウキに、少女は小さく微笑んだ。


 思わず、何これ、君、え?と困惑していると「おーい」とキザールが少女を呼んだ。


「片付けてくれぇ」


 言われた少女はすぐに表情を変えキザールの元へ駆け寄る。


 キザールたちが倒した魔物の死骸に近づくと少女は荷物から鋭利な道具を取り出し、作業に取り掛かる。


 不慣れな手つきで、ぐちゃぐちゃと音を立てながら少女は顔を顰める。


 嫌な仕事をやらされているな。その光景を眺めていると、魔物の死骸から灰色の靄が立ち昇っていくのが見えた。


 少女にも見えたらしく、ユウキと少女は、靄の行方をなんとなく見つめた。


「おい、嬢ちゃん手が止まってるぞ」


 戦闘を終え、小休憩を挟んでいたキザールの仲間が、小言を言う。

「ごめん」

 少女は、作業に意識を戻した。

 手を赤黒く染めながら、魔物の体内から取り出した魔石を荷物にしまい込む。


 少女の作業が終わると、キザールたちは「行くぞ」と告げ、歩き始めた。


 少女は、再び重い荷物を背負い、嘆息する。そして、のしのしと重い足取りでキザールたちの後を追った。


 本当に哀れだ。ユウキは苦いものを感じてしまう。


 そして、ふと気づく。


「てか、あの子。僕と目合ってたよね」



 日が暮れ、空は薄暗くなっていた。

 一行は手際よく野営の準備を始める。


 少女はキザールの指示に従い、たどたどしくも楽しそうに手伝いをする。


 一方、キザールたちは慣れた手つきで、あっという間に準備を終えていく。


 ユウキはルーシィたちと野営をした時のことを思い出していた。

 ジンとナユキにテントの設営を任せ、ルーシィと一緒に水汲みや火種集めをした。


 料理は女性陣が担当し、その間、ジンと木剣で稽古をする。いつもの結果は十戦一勝。誰が九敗したかは伏せておく。


 稽古の後に口にする女性陣が作ってくれた料理は、本当に美味しかった。懐かしい記憶だ。


 思い出に浸っていると、いつの間にか少女たちは焚き火を囲んで食事を始めていた。


 狩った鹿の肉を焼いた、簡単な料理だ。


「ああ、肉食べたい」


 ユウキが心の声を漏らすのをよそに一行は美味しそうに肉を頬張っている。


 特に少女は誰よりも美味しそうに食べていた。

 その姿を見ていると、思わず頬が緩んでしまう。


 鹿肉を頬張る少女と目が合った。

 肉で口元が隠れていたが、笑った気がした。


 ●


 食事が終わり片付けが終わる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。パチパチと音を立てて燃える残り火が、辺りをぼんやりと照らしている。少女は、欠伸をしながら眠たそうに目を擦っていた。


「もう我慢できねぇっス」


 ヘイボンがそう呟いた。

 一体何を我慢しているのだろうか。

 その言葉に、キザールとテライが下品な笑いを浮かべた。


「お前はいつもそうだな」


 嫌な予感がする。ユウキに緊張が走る。まさか、この子に⋯⋯?


「何が?」

 あどけなく首を傾げた少女。

 その時、キザールたちが立ち上がった。


 テライが少女の後ろに回り、羽交い締めにした。少女が驚くのをよそに、キザールは少女の口を手で塞ぎ「こういうことだ」と、もう片方の手で服の上から体の線を触り始めた。


 その後ろでは、ヘイボンがベルトを緩めている。


 ⋯⋯は?は?は?は?


 今起きている出来事に思考が止まってしまいそうになる。


 自分の身に迫る危険を悟ったのか、少女は悶える。


「んっ、んんん!」

 しかし、その抵抗は小さく虚しい。ユウキは、ただ立ち尽くすことしかできない。

 歪む少女の表情。虫が鳴いたような呻き声。


 ユウキの頭の中が、真っ白になっていく。


 その時、か細く思えた少女の声がユウキを震わせた。


 ハッとした。キザールが少女の服の中に手を入れようとしている。鈍く甲高い呻き声が、胸に突き刺さる。


 そして、今更ながら気づいた。少女の視線が、ユウキに釘付けになっていることに。


「助けて!」


 少女の叫びがユウキの心に響いた。そんな気がした。そして、ユウキの中で何かが爆発した。


「ごめんね。今、助ける」


 ユウキは、少女の服の中に手を入れようとしたキザールの手を掴み、肘を反対方向に曲げた。少女をキザールから引き剥がす。

 キザールは、目を剥き出し絶叫する。

 やってしまった。もう後には引けない。

 突然のことに、少女を羽交い締めにしていたテライが少女から離れて身構える。


「キザール!何が起きた!?」


 羽交い締めから解放された少女を見てテライが叫ぶ。


「お前か!?お前がやったんだな!?」

 テライが少女に敵意を向けた。


 ユウキは、テライに体当たりをして押し倒し、近くにあったテライの得物で胸元を刺した。


 初めての殺人に、その感触に、ユウキは顔を強張らせる。


 テライの体から白い靄が立ち昇った。

 咄嗟に、これを放置してはいけないと思ったユウキは、その靄を掴んだ。その瞬間、靄は消失し、ユウキの中で何かが満たされた。


 振り返ると、少女が目を見開いて息を呑んでいた。


 若干心が痛むが、やったからには最後までやり遂げることを決めた。


 キザールは、悲鳴を上げて走り出した。

 ヘイボンも逃げようとするが脱ぎかけのズボンが脚に引っかかり転んだ。


 ユウキはヘイボンに近づき脚を掴んだ。悲鳴を無視して、ヘイボンを引きずりながら逃げるキザールを追う。


 ヘイボンは地面に指を立てて抵抗しながら、必死に命乞いをする。


「許してくれ!許してください!俺が悪かった!許してください!ああああ!」

 キザールの姿が近づく。


 ユウキは、煩いヘイボンを近くにあった木に何度も叩きつけ、殺した。



「ああ!死にたくない!」



 ユウキがキザールの最期を見たのは、突然のことだった。


 泣き言が聞こえた直後、影から三、四メートルほどもある獣が現れた。

 狼のようだった。


 キザールは突然現れたその獣の大きな口に呑み込まれたのだ。


 自分の手で殺めるつもりだったのに、最後は肩透かしを食らったようだ。


 しかし、何はともあれ少女を助けるという目的は達成した。


 ユウキは、汚い咀嚼音を背に、急いで少女のもとへ戻った。


 少女はへたり込んで呆然とユウキを見つめていた。


 何度も荒い呼吸を繰り返す姿に、ユウキは居た堪れない気持ちになる。


 ふと、思う。僕は、この子の願いを叶えた。けれど、あのやり方でよかったのだろうか。


 別の解決を望んでいたのではないだろうか。

 そう思うと胸が締め付けられる。


 何も声をかけられず、少女が落ち着くのを待った。


 やがて、震える声で少女が話しかけてきた。

「あ、あなた、の、名前⋯は?」

 ユウキは素直に「ユウキだよ」と答えた。少女は「そう」と応えると言った。


「わたしの名前はリン。⋯助けてくれて、ありがとう」


 ●


 ユウキとリンは、夜空を駆けていた。

 夜の山中は危険すぎる。視界は狭く、魔物は活性化する。それに、腕の中にいるリンはあまりにもか弱い。


 先程の出来事で、心身ともに疲れ切っているだろう。


 ユウキは、おせっかいだと思いつつも、幽霊である自分の能力を活かし、リンを運ぶことを提案した。


 傍から見れば、小さな女の子が宙を横座りに滑るように移動している奇妙な光景だろう。


 実際は、ユウキがリンをお姫様抱っこしているだけなのだが。幸い、今は誰も見ていない。


 ユウキには、リンに聞きたいことがたくさんあった。


「なんで、冒険者になろうと思ったの?」

「わたしには、やりたいことがあるから」

「やりたいこと?聞かせてくれる?」

 ユウキの問いに、リンは表情を歪めた。

「わたしの故郷が⋯」


 苦しそうに告げるリンを見て、ユウキは察した。


 何があったかは分からないが、彼女の様子から、故郷に大きな傷跡でも出来たのだろう。


 復讐?そんな線だろうか?こんな幼い子が?


「ぶん殴りたい人でもいるの?」

 ユウキの言葉にリンは険しい顔で「⋯うん」と答えた。


 ユウキは口を尖らせる。


「酷なことを言うけど、やめなよ。今日の自分を覚えてる?」

 リンは渋い顔をした。

「君みたいな幼い子が、そんなこと―」

「本当に28歳なの!」


 地雷を踏んだらしい。ユウキは面食らいながら「そ、そう⋯」と答える。


 リンをよく見ると、風に揺れる白い髪、普通の人間より少し尖った耳。

 ああ。と納得する。

 リンは、普通の人より寿命の長いエルフだったのだ。


 ユウキは言い方を変えてみた。

「君みたいな、か弱い女の子が、そういうことやめた方がいいと思うよ」

 するとリンは小さな鼻に皺を寄せた。


「あなたも、受付のおばさんみたいに、見た目で決めつけるの!?」


 また地雷を踏んだらしい。

「い、いやあ。うん、そうなるんだけど⋯」

 ユウキがたじろいでいると、リンは恐ろしいほど睨みつけてきた。


 ユウキは顔を引きつらせながら言う。

「そういうことは、他の強い人に任せる。もしくは、時間が解決してくれるよ」

 君みたいな子は、守られて平穏に毎日を過ごすのがいい。そう付け加えたら、リンは口調を荒げた。


「さっきから!さっきから!君みたいな子!君みたいな子って!⋯そんなんじゃ、ダメなの!」

 次第にリンは目を潤ませ、「もう!降ろして!」とジタバタし始めた。


「危ない!危ないって!」

 リンが落ちないように、ユウキは必死に彼女の動きを抑える。


「そんなんじゃ⋯」

 リンは目を潤ませる。

 そんなんじゃユウキも泣きそうだ。


 腕の中で拗ねるリンを見て、ユウキは根負けした。なんだか放っておけない。そんな気持ちが湧き上がってきた。


 ユウキは「はあ」と息を吐き、「わかった」と呟いた。

 目を逸らすもユウキの一言にリンは眉をぴくりと動かす。


 ふと、リンが笑った光景を思い出す。怒ったり泣いたりしている顔より、笑っている方がずっと可愛い。きっと根は良い子なんだろう。あの子のように。


「君の、その、目的に僕も付き合わせてよ」


 ユウキの心変わりに、リンは訝しげにユウキを見た。


「どうして?」と言いたげだ。案の定、そう聞かれた。


 なんて答えようか。それっぽいことを言おう。ユウキは口を開く。


「ほら、見てごらんよ。僕の姿を」

「⋯おばけ」

「そう、おばけ。おばけって、すごく暇なんだよね。だから、暇なおばけは君についていくことにしたよ」


 リンは「⋯え?それだけで?」と目をぱちくりさせる。その姿に、ユウキは頬を緩めた。


「だから、よろしくね、リンちゃん」


 ユウキがそう告げると、リンは「⋯うん。よろしく」と返して、少し照れくさそうにユウキの名前を呼んだ。


「ユウキくん」

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