春風に問う
あわぼしつく
最後の問いかけ
春の終わり、桜の花びらが風に舞う頃、僕は病室の窓際に腰掛け、薄曇りの空を眺めていた。
病院特有の消毒液の匂いが鼻をつくが、それにもすっかり慣れてしまった。
「今日も来てくれたんだね」
ベッドに横たわる彼女——桜は、穏やかな笑みを浮かべて僕を見つめた。
彼女の声は以前よりも弱々しく、それが何よりも胸に突き刺さる。
「あたりまえだよ」
僕は持ってきた本を手に取り、ページをめくる。
彼女の好きな物語——主人公が夢を追いかけ、仲間とともに困難を乗り越える話。
それを読み聞かせるのが、僕の日課だった。
しかし、今日の桜はあまり聞いていなかったようで、静かに目を閉じていた。
「疲れた?」
そう尋ねると、彼女はゆっくりと目を開け、柔らかく微笑んだ。
「ううん。ただ……少し思い出していたの」
「思い出す?」
「私たちが初めて出会った日のこと」
それは、小学校の入学式の日だった。
僕たちはクラスメイトで、同じ席の隣同士だった。
緊張で縮こまっていた僕に、桜が満開の笑顔で話しかけてくれたことを、今でも覚えている。
「『よろしくね』って言ったら、君、すごく驚いた顔をしてたよね」
「そんなことあったっけ?」
「あったよ。私、ずっと覚えてるもん」
彼女はクスリと笑い、少し遠くを見るような目をした。
「ねえ、私って幸せだったのかな」
唐突な問いに、僕は言葉を失った。
彼女の病気はずっと治ることのないものだった。
小さな頃から病院と家を行き来する生活をして、それでも明るく笑っていた。
「桜……」
どう答えるべきか、わからなかった。
しかし、彼女はふわりと笑って続ける。
「私ね、本当はもっと学校に行きたかったし、遠足にも修学旅行にも行きたかった。でも……行けなかった」
「……」
「だけどね、君がいたから、私はずっと楽しかったよ」
僕の手をそっと握り、彼女は続ける。
「君と一緒に過ごせた時間が、何よりも宝物だったんだよ」
涙がこぼれそうになるのを、僕は必死にこらえた。
「……だったら、幸せだった?」
僕の問いに、桜はしばらく黙った後、静かに頷いた。
「うん。私は幸せだったよ」
その言葉が、彼女の本心であることを願わずにはいられなかった。
それから数日後、桜は静かに息を引き取った。
最後の瞬間まで、彼女は穏やかな表情をしていた。
桜のいない日々が始まった。
彼女のいない春がやってきた。
けれど——
桜の言葉は、僕の心の中で、今も優しく響いている。
——私は幸せだったよ。
春風に舞う花びらを見上げながら、僕はそっと呟いた。
「きみは幸せでしたか?」
きっと、その答えはもう聞こえない。
だけど、僕は信じている。
彼女が残してくれた笑顔と言葉が、嘘ではなかったことを——。
春風に問う あわぼしつく @Awaboshi_Tuku
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