3 初めての会話
第9話
その日も、美月は部屋で煌の長着を縫っていた。
家で着てくつろいでもらえるよう、ウールのアンサンブルを仕立てるつもりだ。
(旦那さまは着てくださるかしら)
不安ではあるけれど、仕上がりを想像しながら針を運ぶのは楽しくもあった。
まだろくに顔を合わせて会話したこともない夫婦だからこそ、少しでも妻らしいことをしたいのかもしれない。美月は自分の気持ちをそう解釈していた。
ふいに、ノックの音がした。
「どうぞ」
針を手にしたまま、ドアに向かって言う。
「奥さま、失礼いたします」
ドアを開けて顔を覗かせたのは、タキだった。こんなふうに部屋を訪ねてくるのは、他の使用人にテーブルや衣桁を運び込ませるさいに立ち会ってもらって以来のことだ。
「タキさん、散らかしていますけど、どうぞお入りになって」
「恐れ入ります」
タキはそう言って一歩だけ部屋に入り、用件を切り出す。
「じつは先ほど、孫が熱を出したと連絡がありまして……」
わずかに言いよどんだのは、タキにとってそれが言い出しにくい内容だからなのだろう。美月はうながすように相槌をうつ。
「それは心配ですね」
「はい。それで、急な事で申し訳ないのですが、よろしければお暇を頂いて娘の手伝いに行かせていただきたいのです」
「それがいいわ、どうぞ行ってあげてください」
「ありがとうございます。ただ、そうなりますと戻るのは早くとも明日になってしまいます」
「こちらは気にしないで、ゆっくりしてきてくださいな」
美月の言葉に、タキはありがたそうに目を細めた。それから、さらに言いにくそうに言葉を選ぶ。
「それで、旦那さまのことですが」
「…………」
「今夜お帰りになられて、もし、また瘴気でお苦しみのようでしたら、奥さまからこれを差し上げていただけませんでしょうか」
タキが差し出したのは、薬らしき白い包み。瘴気を浄化する手助けになるという気付け薬なのだろう。
「これを、旦那さまに飲んでいただけばいいのね?」
「はい。ただ、お医者さまのお話では、あまり頻繁にお薬に頼るとお体に障るらしいので、旦那さまがご自身の力のみで浄化できる程度の瘴気であれば飲んでいただかなくてもよろしいのですが」
長年側にいるタキならば、煌の苦しみの程度も判断できるだろうが、
(ろくに顔も合わせていないわたしに、それがわかるかしら)
美月は不安を覚えながらも、タキが安心して出かけられるように笑顔で薬を受け取る。
「承知しました。旦那さまのことはわたしに任せて、お孫さんの看病をしてきてください」
「よろしくお願いいたします」
タキは申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
それから、やはり孫のことが心配らしく、慌ただしく部屋をあとにしたのだった。
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