2 新郎の事情

第4話

 三條西家の座敷で行われた結納は、形ばかりの簡素なものだった。

 鶴亀のめでたい掛け軸が飾られ、結納の品々が並べられた床の間。

 その前で、久良岐家の代理人が差し出した目録を、三條西家の家司が受け取った。

 本来ここにいるはずの美子や浩一郎の姿はない。

 美月は自分で仕立てた真新しい訪問着をまとって同席したが、久良岐家から来たのは代理人ひとりだった。

(つまり、家同士の形だけの結婚ということなのね)

 これからのことも覚悟しておこう、美月は己にそう言い聞かせた。


 ひと月後、美月は夫となるひとの顔も知らぬまま、久良岐家に嫁いで来た。

 久良岐家の屋敷は、かつては大名の別邸だったという広大な庭園を持つ。

 婚儀は敷地内の神社で執り行われたが、そこに当主である新郎久良岐こうの姿はなかった。


「申し訳ございません。旦那さまは急な任務のため、昨夜お出かけになられてまだお戻りになられないのです」

 家政を任されているという小柄な婦人が、申し訳なさそうに美月に頭を下げた。

「お仕事ならば、しかたがありません」

 美月はそう応じて微笑んだ。

(歓迎されていないということよね)

 わかっていたことだ。士族の久良岐家にとって、華族の末席に連なる三條西家の娘はブランドとしての価値はあるが、それだけだ。美月本人が妻として望まれたわけではない。

 三條西家側は美月を厄介払いするついでに、裕福な久良岐家からの高額な結納金が手に入る。

 この結婚は両家の利害が一致しただけのもの。美月は駒のひとつにすぎない。


 新郎不在の挙式の参列者は、やはり久良岐家の代理人と三條西家の家司のみ。

 新郎新婦ともにすでに両親を亡くしているため、最低限の親族さえ列席していない。

(浩一郎さんは学校だし、お姉さまは……きっとお忙しかったのよね)

 そうでも思わなければ、見棄てられたのだという事実を認めることになる。


 美月にとって救いだったのは、久良岐家の家政を任されているタキという婦人が、初日から美月を「奥さま」と呼んで受け入れてくれたことだった。

 寂しい婚儀が終わるとすぐに美月を部屋に案内してくれて、ここでの暮らしに困らないよう簡単な説明もしてくれた。

 久良岐家は広大な敷地内にいくつかの建物が点在している。中でもいちばん大きいのは先代が暮らした日本家屋の母屋なのだが、若夫婦はその隣の洋館風の建物で暮らすことになるのだという。

「こちらは旦那さまがまだ学生であられたころからの、住み慣れたお館なのですよ」

 美月が案内された部屋は日当たりのよい二階の一室で、廊下に出て突き当たりのドアの向こうが煌の書斎。その隣が煌の寝室で、いずれはそこが夫婦の寝室になるらしい。

(いずれは……?)

 美月の疑問を察したように、タキが言う。

「このところ旦那さまは激務続きで、婚儀にさえ出られないようなありさまでございますから。今夜は帰ってきてくださると思うのですが、初対面でいきなりご一緒に寝起きなさるのも気詰まりでございましょう」

 つまり、床入りはまた後日という話のようだ。

 聞きようによってはあからさまな内容だが、美月は新生活に慣れるまでの猶予をもらったのだと思うことにした。

 それに、自分だけの部屋があるのはありがたい。

 美月は先に部屋に運びこまれていた行李を横目に、そう思った。

「お荷物はこれだけでございますか?」

「はい」

 タキに尋ねられ、美月は恥じ入って小さな声で返事をした。

 三條西家から持ち込んだ荷物は、行李ふたつだけ。嫁入り道具らしい箪笥や鏡台といった調度品のひとつもない。

「お着替えと荷解きをお手伝いいたします」

「いいえ。これだけですので、すぐに出すものもありませんし」

 美月はそう言って手伝いを断った。

「では、ご用の際にはお呼びつけくださいませ。わたしども使用人は、母屋のほうにおりますので」

 タキはそう言って、一礼して部屋を出て行った。

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