第5話:法的責任の境界線
事件は即座に全国ニュースとなった。
「通勤電車内で銃撃事件 会社員死亡」
各メディアが一面トップで報じ、SNSでも映像が拡散。
恐怖と怒りが渦巻いていた。
被害者は蒲田翔太、27歳の商社マン。婚約者もいた。「明るくて誠実な人だった」と皆が口を揃える。
犯人の鈴木哲也は42歳、無職。暴行歴あり、最近は借金で追い込まれて精神的にも追い詰められていたという。
そして、もう一人が注目を集めていた。
犯人の言う通りの行動をとった高橋誠だ。
乗客の証言と映像から、高橋の行動が明らかになるや否や、SNSでは「電車挑発男」というハッシュタグが生まれた。
「あいつがいなければ、蒲田さんは死ななかっただろ!」
「わざわざ犯人の指示通りにするな基地外」
「間接的な殺人じゃねーか」
「タカハシこいつ頭おかしいだろ」
あらゆる非難の声が殺到する中、高橋は警察の取調室にいた。驚くほど冷静に事実を述べた。
「犯人は前方の乗客を脅していました。『こっちのほうのやつら』と明確に指していました。私は後方にいて危険はないと判断し…何が起きるか見てみたくなったんです」
捜査は複雑だった。
刑法第61条の教唆罪、第62条の幇助罪の適用可能性も含め、検討された。過失致死罪の適用も検討された。取り調べは3週間、計8回にわたって行われた。
「本件の特殊性は、被疑者高橋の行為と犯人鈴木の行為との間の因果関係をどう評価するかにあります」と捜査本部の責任者は内部会議で述べた。「高橋氏には犯罪を実行する意思はなかったものの、その行動が犯行を促進した可能性は否定できません。専門家の意見も聞きながら、慎重に捜査を進めています」
専門家の意見も割れた。
「犯人はすでに拳銃所持、脅迫、発砲までしていた。殺意は高橋さんの行為前から形成されていたと見るのが自然だ」と刑法学者の川田は主張。
一方、中村教授は「高橋さんの行為が殺意を具体的行為に転化させた可能性が高い。過失致死罪や危険行為の共犯としての責任を問うべきだ」と反論。
当初、検察内部では「社会的影響を考慮した微罪起訴」の声も上がったが、3週間の詳細な捜査の末、「現時点では、高橋容疑者の行為と鈴木の犯行との間の因果関係を刑法上の共犯として立証するには証拠が不十分」として、4月12日に不起訴処分とする決定を下した。
この判断に法律家の間でも波紋が広がった。「法的には正しい」という声と「社会正義に反する」という批判が交錯した。
釈放された高橋は、報道陣に囲まれた。
「なぜあんな行動を?」
「被害者家族にどう謝罪を?」
「責任は感じないのか?」
高橋は淡々と答えた。「私の行動と死亡に直接の関係はない。犯人には最初から発砲する意図があった」と言い切った。報道陣が食い下がると、「極限状態での人間の反応を観察したかっただけです」と付け加えた。
この発言が火に油を注いだ。社会的非難はさらに強まった。
まもなく被害者の婚約者・山田明美がテレビに出演。涙ながらに訴えた。
「どうしてあんなことを…翔太は何も悪くなかった。ただ会社に行こうとしただけなのに…」
彼女の悲痛な叫びに、世論の怒りは頂点に達した。
ネット掲示板では高橋の勤務先と住所が特定・拡散。
弁護士を通じて削除要請を出したが、すでに手遅れ。会社には抗議電話が殺到し、自宅には報道陣が押し寄せた。
妻子は別の場所に避難。真由美はショックで寝込み、娘は酷くいじめられて転校を余儀なくされた。
高橋自身は警察の保護下にいた。だが、彼は波紋の大きさに興味すら覚えていた。
「想像以上の反応だな」と取調べで漏らした。「これが現実か」
二ヶ月後の5月上旬、蒲田家は民事訴訟を検討。代理人となったのは人権派の佐藤雄二弁護士。
「民事では刑事と異なる判断基準があります。高橋氏の行為と被害の関連性は法的検討に値します」と述べたが、勝算については慎重だった。
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