第3話:内なる闇
三週間後、高橋は別人のようになっていた。
彼の態度も生活習慣も激変した。
仕事は集中できず、ミスの連続。上司からの叱責も増えた。夜になると奇妙なことに、体は疲れているのに頭だけが冴えてしまう状態になっていた。
「眠りたいの…でも眠れない…」
ベッドに横たわっても、銀行強盗や事件映像のことを考え始めると、妙な興奮に襲われ目が冴えてしまう。
結果として深夜までだらだらとネットサーフィンが日課になっていた。
次の日の会議では、居眠りを堪えるために缶コーヒーを何本も空ける日々。同僚からもさすがに薄々何かを感じ、「最近大丈夫か?」と心配されるほどだった。
この時期、大型案件のプレゼン準備に追われていた。何度も修正要求が来て、睡眠時間は削られる一方。
毎日ストレスに体中蝕まれ、「あークソ案件。クソクライアント」と半ばブツブツ呪いながら資料を作り直す日々。
高橋の興味は次第に変わっていった。最初は被害者の反応に興味を持っていたのに、いつの間にか「犯人はなぜそんなことをしたのか」という視点にシフトしていた。
疲労と単調な日常で、彼の中に暗い思いが湧き上がっていた。
「この仕事、なんでやってるんだろう?ホント、だんだんどうでも良くなってきたなあ…」
クライアントへの憎しみが日に日に膨らんでいた。
「あいつら俺を使い捨ての駒としか思ってない癖に」
夜中、ドキュメンタリーを見つけた。
「心理的引き金:普通の人が犯罪者になるとき」。普通の市民が突然犯罪に走る心理プロセスを分析していた。
「彼らは自分がやってることの重大さを理解してません。彼らの中では、それは一種の実験、あるいはゲームなんです」
画面の中の専門家の言葉が、妙に心に響いた。
「現実と非現実の境界線が曖昧になるんです。特に過度の疲労やストレス下で顕著です」
なんだか定番の決まり切った解説だけど、今は自分のことを言われてるみたいだった。
最近の自分は現実よりも、極限状況のシナリオに没頭していた。周りの人間がだんだんどうでもよく思えてきて、他人を観察対象としか見なくなっていた。興味から強迫観念へ。けれど、それが不思議と心地良かった。
「みんな、偽物みたいだ…」
朝の通勤電車で、いつもと違う場所に立った。
後方のドア付近。ここからだと車内全体が見渡せる。乗客たちを観察していると、妙な考えが浮かんだ。
この電車が急に止まったら?
いきなり爆弾予告があったら?
この人たちはどうする?
パニックになる?
冷静を装う?
逃げ出す?
「高橋さん、おはようございます」
突然声をかけられ、思考が途切れた。同僚の山田だった。
既に電車は降りて会社には着いていたのに、ボーッとしていた。
「あっ、お……おはよう」
「大丈夫ですか?なんか元気ないみたいですけど」
「そう見える?...ただの寝不足だよ」
山田は心配そうに見たが、それ以上は何も言わなかった。
「心配してるフリかよ」と高橋は内心で毒づいた。「どうせ上辺だけだろ」
相手の視線が外れた直後、フフンと自嘲気味にほくそ笑んだ。
その日の夜、初めて一人で居酒屋に入った。真由美には「接待」と嘘をついた。二杯目の焼酎で、頭がぼんやりしてきた。
「俺は何がしたいんだ…?」
答えは意外と簡単だった。「現実」を求めていた。毎日の退屈な生活、どうせなら刺激が欲しい。強烈な、心を揺さぶる何か。
「見てるだけじゃ、分からない…」
三杯目を一気に煽った。アルコールのせいもあるのか、思考がどんどん暗い方向へ流れていく。
「あーあ、何かおもしろいこと起きないかなあ…あんなことこんなこと」
酔って帰宅した夫を見て、真由美は本気で心配した。夫が酒に逃げることなんてこれまでなかった。
「大丈夫?どうしたの、誠?」
「なんでもねえよ。ただの飲み会だ」
嘘をつく自分が、どこか別人のように思えた。けれど、不思議と罪悪感はなかった。むしろ、真由美を欺く快感すらあった。「俺の心なんて、誰にも分からないさ」
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