第3話
「ワルイザちゃん、今日は兄さんの所に行かなかったんだね?」
教室に入るなり声を掛けてきたのは、第二王子であるアルベルト様だった。わたくしとは同い年に当たる、でも誕生日はちょっと遅い。もしも二人の誕生日が逆だったら、わたくしはアルベルト様の妃候補になっていたかもしれないとは、父から聞いたことだった。姻族になる事は決定していたので。我が家も王家とのパイプは太い方が良いし、王家だって血の流出は防ぎたいところだろう。
「ええアルベルト様。だってわたくしには王子様がおりますもの。あんな平民の小娘、気にしていたって仕方がありませんわ」
「あはは、そうだと良いけれどね。そう言えば今度王家でお茶会を開くことになっているんだ、はい招待状」
「ありがとうございます、アルベルト様」
「僕も王子様なんだけどなあ」
「わたくしの王子様ではありませんもの」
「うーん厳しい。僕はワルイザちゃんが僕のお姫様になってくれても良いんだけれどなあ」
「ご冗談を。兄君の婚約者に手を出すなど、はしたないことでしてよ、殿下」
「あはははは」
「? 何がおかしいんですの?」
「いやちょっとね。ワルイザちゃんは強いなあって」
わたくしはけっして強くない。強くないからこそ強がらなければならない。たとえ相手が平民の小娘だとしても、獅子はウサギを狩るにも全力を出すのだ。いたずらな子ネズミなんてもてあそんでしまえばいい。
とは言えこれと言った弱味を握れていないのは癪なところだ。王族に連なる血筋を持っているなんて聞いていない。しかし今は所詮平民、何を恐れる必要もないだろう。恐れる? このわたくしが?
いいえいいえと頭を振ると、くるくるの髪が揺れる。その髪に、アルベルト様が指を掛けてきた。くるくるっと巻いて、ぱっと離す。何があったのか分からなくて、ぽかん、としてしまうと、耳元で小さく囁かれた。
「ストレートも好きだけどなあ」
「なっ」
「あはは、ワルイザちゃんは兄さんと同じくるくるが良いんだろうけどね。僕としては僕と同じストレートも好きだなあって、それだけ」
じゃね、と自分の席に戻っていくアルベルト様に、赤くなった顔を見られないよう髪で顔を隠す。これではわたくしが浮気者だ。許嫁に悋気を起こしている場合ではない。しっかりしないと、ぺちぺちと頬を叩くとお茶会の招待状が目に入る。
目を通してみると、略式正装で、とのことだった。女性は軽めのドレス、男性は軍服で良いだろう。わたくしも去年から社交界にデビューしていてドレスは持っているから問題はない。
しかし季節外れなお茶会ではあるな、とわたくしは訝る。何か重大発表でもあるのかしら。だとしたら何? うーん、と首を傾げていると、クラスメートがひそひそ言う声が聞こえた。
「もしかしてオーベル様がターニア嬢を正式に婚約者として発表するんじゃなくて?」
「最近は移動教室も一緒にしているとお噂ですしね」
「それにターニア嬢は王家に連なる血をお持ちだとか」
「でも今は平民でしょう?」
「それでも調べれば――」
だんっと私は席を立つ。
びくっとしたのは話し込んでいた令嬢たち。
でもわたくしは動じない。
だってわたくしは悪役令嬢だから。
王子を奪われるのはお定まりの、悪役令嬢だから。
――だからこんなの、気にしない。
でもちょっと一人になりたくて、わたくしは朝の誰もいない図書館へ向かった。
※
心変わりではない、と思う。最初から八つも年の離れた、おむつ時代から知っている子供は恋愛対象に入っていなかったんだろう、オーベル様は。だけど周りはそうしないことを許さないから、仕方なく許嫁をしていただけ。婚約者を演じていただけ。わたくしがどう思おうと関係のない、そんなことはどこかで分かっていた気がする自分がいる。とっくに諦めていた自分がいるのを感じる。
でも相手が平民のターニアであることは許せなかった。いっそ別の公爵家だったら諦めも付いただろうけれど、平民だなんてわたくしのプライドが許さなかった。平民。貴族ですらない。それでも王立の学園に通える才媛であることは認めていた。王子と同い年の、わたくしとは全然違う相手。栗色の髪をびしりとまとめて、金茶の目は穏やかで。あれこれ言うわたくしと違って、わきまえていたんだろう、ターニアは。
それは人々の王であるために勉学に励むオーベル様を癒した。だから一緒にいることが多くなり、初等部まで噂が流れて来るに至った。考えれば考えるほど納得は行ったけれど、敗北感と絶望感と虚無感で頭はどうにかなりそうだった。
王子。いつもわたくしに優しかった王子。でもそれは子供に対するそれだったんだろう。わたくしは所詮、八歳の子供なのだ。十六歳の王子とは釣り合わないと判断されても仕方ない、子供だったのだ。それでもせめて学校を卒業するまで待っていて欲しいものだけれど。でもそんなの待てないほどに、二人が心を交わし合ったなら。
わたくしは何も言えない。おめでとうございますと笑うことなんて出来ない。だってわたくしは悪役令嬢、ワルイザ・ハーンテッド。最後まで抵抗し続けなければ、ならない立ち位置。抵抗して対抗して。でもわたくしが持っているものなんて、何もない。虚無になる教育や思い出なんて、何の役にも立たない。
生まれた時から好きでしたのよ。生まれる前から好きでしたのよ。でもそんなの誰にも伝わらないし誰より王子に伝わらない。子供の苦い初恋に留まるのを見透かされている。いずれはそうかもしれない。でも今は違う。まだ現在進行形なのだ、すべては。だからわたくしは涙が出る。長い黒髪の巻き毛にそれが落ちる。
図書館には誰もいない。まだ司書も出勤してはいない。だから思いっきり泣くことが出来た。どうして。まだ決まったことではないのに、覆す理由が見付からない。季節外れのパーティに略式ながらも正装。アルベルト様のどこか小悪魔じみた態度。
すべてが噂を肯定する。子女たちの予想を肯定する。わたくしには何もない。抵抗できる術が何もない。せめてもっと早くに生まれていたら。そうしたら、妹扱いもされずにいられたかもしれないのに。
だんっと地団太を踏んでみる。自分が情けなくてまた涙が出る。昨日の分は残らなかったけれど、教室に戻ったら一目瞭然だろう、こんなものは。いっそ保健室でさぼってしまおうか。でもそんなの令嬢らしくない。わたくしらしくない。
制服の袖で目元を拭い、わたくしは教室に戻った。
誰にも何も言われないことが逆につらかった。
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