第2話
「それはワルイザお嬢様だけの視点では分からないことですねえー」
ぐびーっと牛乳を木のカップで飲むのは、旅人で料理人のライカだ。どこにも属さないからこそなんでも言える、わたくしの数少ないお友達。今日は王都に来ていたので無理やり牛と牛車とを預かり、夜中のわたくしの部屋に呼んでいる。パジャマ姿にガウンを着て、まるでパジャマパーティーだ。二人しかいないけれど。
ライカに肯定も否定もされなかったことにちょっとショックを受けていると、ぽんぽん、と頭を撫でられる。洗った髪はもう乾いているし、直毛だ。本当は巻いていなくてはならないことを、わたくしは知っている。その方が華やかだから。あの平民の娘は、きっちり纏めているから分からないけれど。
こんな直毛、本当は誰にも晒したくない。ライカだから許しているところがある。あとは王とお妃様と王子達、それにわたくしの両親ぐらいしか知らないはずだ。くるくるに巻いておかないと、なんだか心細い。化粧は女の武装だと言うけれど、髪も多分入っていると思う。わたくしはこの武装がなくては、何も言えない。何もできない。
だから攻撃しなくて済む相手の前では、自由だ。ライカはポットから牛乳を注いで、もう一口飲みこむ。わたくしもそうした。まだ生暖かい、絞りたてのお乳だ。美味しい。お腹にもほんわか温かいものが広がっていく。
「お嬢様は、例えばターニアさんのどこがお嫌いですか? 王子のことを抜きにしたら」
「王子のことを抜きにしたら?」
「ええ、そうです」
「別に何とも思わないわ」
「向こうもそう思っているんだと思いますよ」
「え?」
「王子のことを抜きにしたら、可愛いお嬢様じゃないですか。ワルイザお嬢様だって」
「わたくしは王子の妃第一候補でしてよ! きちんとした婚約者! そのわたくしをないがしろにして王子のことを語れると思ったら大間違いですわ!」
「だから、そうだったんですよ」
「ライカ?」
「ワルイザ様のことを気にせず話せる相手が、平民のターニアさんだった。そう言うことです」
わたくしのことを抜きにして。わたくしのことをないがしろにして。わたくしのことを無視して?
上流社会のやり取りを知らないターニアには、確かに王子の婚約者なんて知らないことだったのかもしれない。嫉妬深い婚約者がいるからこそ、王子は女生徒に避けられていた。中等部の時は確かに、男友達はいても女子には敬遠されていたイメージがある。
だけどそれはあくまでイメージだし、中等部の頃なんてわたくしも初等部一年生で発言権はそんなに強くなかったはずだ。ただ毎日一緒に帰るために玄関で馬車を待たせていたぐらい。高等部に入ってからは部活や勉強でなくなってしまったけれど、その時間を今はターニアと過ごしているんだろう。わたくし抜きで。気兼ねなく。
わたくしが王子の気兼ねになっていた、と思うと、少し胸がぎゅぅっとなって苦しくなる。そうならない為にわたくしは自分のことを悪役令嬢だと思い込もうとしているところはある、と思う。だけど指さされてしまえばそれはただ悲しく切ないだけの自己防衛だ。
ターニアが本当に退学したら、王子はわたくしを責めるだろう。分かっている。分かっているけれど願わずにはいられないのだ。早く王子の、わたくしの前からいなくなって欲しい。そして王子をわたくしのものだったころに戻して欲しい。わたくしだけの王子だったころに、戻して欲しい。
ぐずっと鼻を鳴らすと、ワルイザお嬢様、とライカが優しく私を呼んで、ハンカチで顔を拭いてくれる。涙も鼻水も嫌がらないで。この友人がいるから何とか耐えられているところもあるのかな、なんて思う。胸を張って堂々と、悪役令嬢だなんて看板にしがみ付きながら。
学校にも友人なんて呼べる相手はいない。わたくしは孤高の女王として振舞ってきた。だからしもべはいても友人はいない。ライカ以外、このどこにも属さない自由な人以外には。
それを思えばちょっとだけ羨ましいものがあるのかもしれない。こしこし目を拭って、ふぁ、とわたくしはあくびを漏らす。
「そろそろお休みになられます? 明日も朝から高等部へ行かれるのでしたら、そうした方が良いかもしれませんよ」
「……明日は行かない」
「ワルイザお嬢様?」
「王子に本気で嫌われたら、わたくし、何にもなくなっちゃうもの……」
五年間頑張ってきた妃教育も、大好きな王子も、失ってしまったら。
そしたら森にある領地にでも籠って、自給自足生活してみようかな。
でもそんなことしたら、今度は使用人たちに嫌われてしまうかも。
居場所がどこにもなくなるなんて、全部あの平民娘の所為だ。
ベッドに入るとライカはわたくしが寝付くまで、ずっと毛布をぽんぽんと叩いていてくれた。この友人にだけは嫌われないようにしなくてはな、と思う。そうすればわたくしは独りぼっちじゃない。王子はあの平民娘の何がそんなに良いって言うんだろう。金髪だから? 青い目をしてるから? 自分と同じ、王家の血筋に当たるものだから?
でもそれなら公爵の我が家だって同じじゃない。違うのはわたくしかターニアかだけ。それが嫌なのだと言われたら、わたくしには本当に、何もなくなってしまう。
泣きながら寝付くと、静かにライカは寝室を出て行く。
一緒に寝て欲しいなんて子供みたいなことは、言えない。
だってわたくしは悪役令嬢なんだから。
せめてその役をこなさなくては、いけない。
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