第8話 面倒な入浴

 食後、眠気を感じた私はベッドに横たわった。

 入浴が面倒に感じられた。そのまま意識が遠ざかり、すっかり眠ってしまえばいいのにとさえ思った。


 そのまどろみは心地良かった。体温が少しずつ上がり、確かな幸福感がじわじわと湧き上がった。



 私は何にも束縛されない時間を過ごした。その間は、どんな罪悪感にも囚われず、またどんな不穏な感情も感じずに済んだ。


 私に必要なのは、ある程度の食事と睡眠だった。それ以外の人間関係や仕事の成果は、あくまでも付属的なものに過ぎなかった。


 私は、「別に風呂に入らなくてもいい」と思った。

 緊張感が解かれ、私は義務感よりも自分の思いを優先するようになっていた。


 したいようにすればいい。この言葉には、相当な魔力があった。

 私はその言葉を信じ、しばらく横たわっていることにした。コンタクトが乾燥しかけ、視界がぼやけていたが、そんなことはどうでも良かった。



 長い間、私は何故自分が存在しているのかと疑問を抱き続けてきた。

 しかし、今はその問いすら不要なように思われた。私は今、ありとあらゆる思考を放棄し、完全な脱力感に至っていた。


 ふと、日向で伸びをする猫が思い浮かんだ。

 猫は毎日このような心地良さを感じているのだろうか。


 猫は気ままな暮らしをしているのに、人間はあくせくしていいる。

 人間は比較的長生きする生き物であるにも関わらず、短時間で多くのことを成し遂げようとする。



 人間は実に面倒な生き物だった。猫は毎日風呂に入らくても済むのに、人間は毎日入らねばならないというのも気に食わなかった。


 私はそんな人間に対抗するかのように、尽く脱力した。大きく伸びをし、ゆっくりと目をつむった。


 それは最近の出来事の中でも、特に幸せな時間だった。私は一人ほくそ笑みながら、時間が刻一刻と過ぎていくのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る