第3話 空峰さんの来た理由

死にたいとか、それほどの悩みは無かったけど。

 色々、背負ってるものを捨てたかった。

 そんな時に、ここのペンションに訪れ、ルナのしつこさに救われたのだ。

 私はそれ以来常連になり気づけば……ここの従業員になっていた。


 ルナとは、気の置けない親友みたいな感じだけど。


 パチンっという音を聴きながら、トマトを十個ほどカゴに乗せる。ネギは三本ほど、根っこごと引っこ抜いた。

 トマトは本当は多分五つくらいで充分なんだけど、私が食べたいから倍の量収穫しておく。


 ぽたりと汗が土に染み込んで、虫の羽音が耳に響いた。

 ぶんぶんと手を振り回して追い払いながら、野菜を乗せたカゴを持ち上げる。


 キッチンに戻れば、出汁のいい香りが漂っていた。


「いい匂い」

「かつおだしと、昆布だし合わせたやつ」

「絶対うまいやつ。トマトの皮、剥くわ」


 トマトを流水で洗ってからフォークに刺そうとすれば、ルナの手に止められる。

 言いたいことがわかったけど、首を横に振った。

 私は、ルナの強引さに救われたけど、本当に静かにしたい人だっている。

 今回の田畑様は、そんな気がした。


「私がいくから、やらないで置いておいて」

「もー、そうじゃない人だって居るでしょ」

「そうじゃない人はペンションなんか、来ないの!」


 私の静止を振り切って、ルナは階段を駆け上っていく。

 あぁ、もう知らないから。


 スマホを取り出して、掃除をしている時よりも小さい音量で洋楽を掛ける。

 邦楽よりも、誰かの心の傷を抉る可能性が少ないから。

 誰かががいる時は、洋楽にしていた。


 パタパタと二人分の足音が聞こえて、ルナの方が正しかったことが証明される。

 田畑様も、私と同じタイプだということだろう。

 キッチンの入り口からヌッと出てきた顔は、困惑が見てとれた。

 助け舟を出すにも、思いつかないので場所を開ける。


 作業台の前のイスに座って、もたれ掛かれば、ぺこりとお辞儀された。


「フォーク刺して、この火で炙ってください!」


 田畑様に説明しながら、ルナがやってみせる。

 氷水を用意するのを忘れてるから、冷蔵庫を開けてガラガラと氷を取り出した。

 外の熱風のせいでほてった体が、冷蔵庫の冷風で冷やされていく。

 気持ち良くて、目を細めていれば、ルナに目線で怒られた。


「へいへーい」


 ふざけて答えながら氷を入れたボウルに、水を張る。

 田畑様が炙ったトマトを氷水の中で剥いて、だし汁に放り込む。

 ぷかぷかと浮かぶ涼しげな赤色に、目を細める。


「田畑さんは、いくつですか? 私たちより若そうに見えますが」


 ルナがぐいぐい言ってるのを横目に、話に聞き耳を立てる。

 田畑様の声は微かで、なかなか聞き取りにくい。


 ルナと話していくうちに、ふっと緊張の糸が切れたように田畑様は肩の力を抜いた。

 ルナらしいというか、うまいというか。

 あと先考えないくせに、大体うまくいくのだから、ルナの人生というものは良いものだろう。


「えっ、そうなんですね!」


 ルナの大きな声に顔を上げる。

 私の方を、二人してじっと見つめていた。

 首を傾げれば、ルナの言葉で大体の予想がついた。


「しがないハンドメイド作家です」

「えー、どんなの作ってるんですか?」


 田畑様の声がやっと、はっきり耳に届いた。

 ルナはもう心の中に忍び込んだのか。


「たぬきのぬいぐるみとか」


 答えれば、田畑様は「あっ」と小さく呟く。

 田畑様の部屋にあった、たぬきのぬいぐるみも、テーブルも私の自作だ。

 【夜空荘】という名前のここに合うイメージで作っている。

 ネット販売もしているけど、まぁそこそこの売れ行きだった。


「すごいですね、手先が器用……」


 器用ではない。

 雑だとルナに評価されるほど、大雑把な人間が手先が器用なわけがない。

 それでも、作ることが好きだと気づいてからは、楽しくやれてる。


「どうしてハンドメイドを?」


 トマトの皮をあちちっと剥きながらも、田畑様の視線は私の手元に釘付けだ。

 興味を持たれることは、嫌ではない。

 けど、なんだか、変な感覚がする。


 始めた理由は、ルナに勧められたからもある。

 それでも、元々何かを創ることが好きだったと気づいたから。

 初めてここで働き始めたとき、掃除は嫌いだし、虫は苦手で、何もできなかった。

 そんな私にルナは「じゃあ部屋任せた!」と。

 ベットメイキングや掃除のことだと思っていたけど、目の前に積まれたのはインテリアの雑誌だった。

 好きなようにレイアウトしていいと任されてからは、あっという間だった。

 売ってるものだけでは、物足りない。

 じゃあ自分で作ってみよう。

 そんな感じだけど、話すにはちょっと面白みもないと思う。


「二人でゆっくり話しててよ! はい、自家製のブルーベリーミルクでーす!」


 カランと氷がぶつかり合う音がして、私たちの手元の野菜はルナに奪われた。

 目の前には、私が作ったブルーベリーで作られたドリンク。

 ブルーベリーを育てたいとワガママを言って、無理矢理庭に植えさせてもらった。

 ちゃんと手を掛けてやれば、ブルーベリーはスクスクと育ち、収穫できる量くらいは実らせてくれる。


 もう、ここに来てそれほどの年月が経ってることに気づいて、ふっと笑ってしまった。


「えっと」


 私が一人で思案してるうちに、田畑様はワタワタと私とルナを見比べていた。


「あ、アカリです、まぁ本名じゃないんですけど」

「えっ」


 本名じゃないけど。

 私の、ここでの今の名前だ。

 本名よりもしっくり来ている気さえする。


「ルナも本名じゃないんですよ、聞いてないんですか」

「いえ、えっと」

「田畑様も名乗りたい名前で、何がいいですか? あ、もちろん、本名でもいいですよ」


 ルナらしい、というか、変わっているというか。

 ここは、非日常を提供する場らしい。

 疲れた現実から逃避するための、星空の下に開かれた場所。

 だからこそ、本名も要らないとのこと。

 さすがに、宿泊者名簿とかは本名で書いてもらうけどね。


「ルナさんと、アカリさんの由来は?」

「ルナはラテン語で月の女神です。まぁ、夜空荘なので」

「アカリさんは、星空とか、月の明かりですか?」


 大正解。

 ルナが月なら、私は、ルナから発せられた明かりということでアカリだ。

 どちらかというと、月の光を受けてる側だから、地球とかでも良かったかもしれない。


 田畑様は、ふうっと小さく息を吐き出して肩をすくめた。

 そして、ブルーベリーミルクを一口飲み込んで小さく、本当に小さく名前を答えてくれた。


空峰たかねで、お願いします」

「空峰さん」

「空の峰で、空峰です」


 どこかで聞いた名前だなと思いながら、脳内をぐるぐる探してみる。

 最近読んだ小説の作家、じゃなかっただろうか。

 星空がキレイな表紙の小説だった。


 好きなのかもしれない。

 好きなんですか? とは聞かないけど。


「空峰さんは、ハンドメイドしたいんですか?」

「えっ?」

「いや、結構興味津々という感じです聞かれてたので」

「あぁ、何かを創ることが好きなんです。落ち着くというか、安心するというか」


 気持ちはわかる。

 私も、熱中して物を作ってる時が一番、生きてる感覚がする。

 そして、嫌なことも忘れて息ができるから。

 そんなことに気づいたのは、ルナのおかげだけど。


「ありますねぇ、集中してるとついつい時間経ってるんですけどね」

「作ってて、辛いことないですか?」


 ピンっと頭の中が、鳴った。

 ルナがわざわざ私に、空峰さんの相手を任せた理由。

 これが、きっと、ここに来た理由なんだろう。


 私はそういうの得意じゃないと、言ってるのに。


 出汁に野菜やタコを入れながら、ちらりとこちらを窺うルナを睨みつける。

 舌をぺろりと出した仕草に、頬を膨らませて返せば手をごめんごめんと動かしてた。

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