第2話 ここにいる理由

こくこくと何度も頷いてるのを見てから、扉を静かに閉めた。

 車のぶるるるんっという音が聞こえたから、階段を一段飛ばしで降りる。

 両手にエコバッグを持ったルナが、玄関を足で開けていた。


「お行儀悪ーい!」

「アカリが開けてくれないからでしょ、はい持って!」


 ずいっと差し出された片手のエコバッグを持てば、思ったよりも重たい。

 落としそうになるのを踏ん張って、持ち上げる。

 キッチンに運んで、作業台の上に乗せればルナももう一袋をぽんっと軽々しく置いた。


「田畑様いらっしゃったよ」

「先に言ってよ!」

「夜ご飯とお風呂の案内はしたから、大丈夫」


 丸を指でつくって突き出せば、ルナは疑り深そうな目で私を見つめる。


「大丈夫だって、わかってるから」


 そう告げれば、むっと唇を一文字にして閉じる。

 私だって、同じようにここに来たんだから、わかってるよ。


「まぁ、わかってるならいいけど。今日は、暑いからさっぱり食べれるやつね」


 ルナの言葉にこくこくと頷く。

 ペンションの中にいると、冷房が効いてるからあまり気づかなかったけど。

 買い物から帰ってきたルナの額は、汗をかいていた。


 エコバッグから買ってきたものを取り出して、ルナの手にぽんぽん渡していく。

 ナスに、タコ、アスパラガス。

 ナスと、来た時点で大体の予想はついた。

 あ、豆腐はお味噌汁かな。


「あ、トマトとネギ、取ってきてよ。しまっておくから」

「やっぱりー?」

「やっぱりってなに」

「揚げ浸しでしょ」


 ぴしっと人差し指を突きつければ、空いている左手で私の人差し指を包み込む。


「人を指ささない!」

「はーい」

「トマトとネギね」


 キッチンバサミを、右のポケットに突っ込んで裏庭へと続く扉を開ける。

 じわじわと陽射しが突き刺して、暑い空気が頬にぶつかった。

 私が来たのも、こんな暑い夏の日だったな。


***


 ぼんやりとした頭で、体を抱きしめた。

 夏だというのに、あまりの寒さに凍えそうになる。

 重たい瞼を開ければ、見覚えのない部屋だった。

 蓄光シールだろう星が、天井でキラキラと反射している。

 布団から抜け出し、窓の外をみれば虫。

 沈みかけのオレンジ色の光が目に染みて、顔を顰めてしまう。

 テーブルの上にあったリモコンで、効きすぎた部屋の冷房を止めた。


 私、ペンションに来たんだった。

 全てに疲れて、自然の中で過ごそうと思って。

 夏といえば、山。海。川。

 父の血を引いてるなと思ってから、顔を顰めてしまう。


 父が定年退職して、家にいるようになって、ますます息苦しくなった。

 嫌いじゃない。

 それでも、呼吸は苦しかった。


 私は、一人なのに、どこまで行っても家族のしがらみに囚われているのかも。

 ドンドンドンっと扉を叩く音に、びくりと肩が揺れた。


「高木さまー!」


 ペンションのオーナーは、私とそう歳の変わらない女の子だった。

 黒髪を低い位置でお団子にくるりとまとめて、ラフな格好。

 こういうところは、老夫婦というのは勝手な想像だけど……まさかこんなに若い女の子が一人でやってるとは思いもしなかった。


 部屋の外から呼ばれる理由はわからない。

 それでも、どんどんと叩く音が止む気配がないので諦めて、扉を開ける。


 開くとは思っていなかったのか、後ろに転がりそうになったオーナーの手を掴む。


「うわっ、ごめんなさい開くと思わなくて」

「私こそ、返事せずにすみません。どうしました?」

「お酒、大丈夫ですか?」


 飲むジェスチャーをして、ニコッと笑う。

 人懐っこい人だと思った。

 

「へ?」

「だから、お酒! これから買い出しに行くんですけど、飲めるかなぁ、って」


 お酒は、得意ではない。

 すぐに真っ赤になるし、おいしいとも思えない。

 ふるふると横に首を振れば、オーナーは一瞬考え込む。


「お酒もダメか……ココアとか!」

「真夏に?」

「あー、じゃあ、炭酸とか!」


 まぁ、炭酸なら飲めなくはない。

 好きでも、嫌いでもないけど。


「お菓子と一緒に用意するので、下にどうぞ!」


 掴んでいた手をぐいっと引っ張られて、部屋から引きずり出された。

 それで満足したのか、オーナーはスリッパをパタパタと音を立てながら階段を降りていく。

 強引な人だなと思いながらも、仕方なく、リビングへと向かった。


 テレビに、大きなダイニングテーブル。

 ソファも端の方に何個か置かれていて、団欒という表現にふさわしい。

 テレビでは地元のテレビ局だろうか。

 この地域のお菓子屋さんが特集されていた。


 テーブルの端の方に座ってぼぉーっとしていれば、目の前に透き通ったオレンジ色のコップが置かれた。

 中には透明な炭酸が、入っている。

 一口、飲み込めば喉の奥でしゅわしゅわと弾けて、痛みに目を細めてしまった。


「お菓子は、チャンククッキーです、お好きですか?」


 クッキーならココアと答えた方が良かったかもしれない。

 そんなことを思いながら、曖昧に首を動かす。

 好きでも、嫌いでもない。


 でも、出されたものに手をつけないわけにはいかず、一口かじればさくふにゃとした食感。

 チョコレートがとろとろと溶けていて、おいしい。


 勝手にほころんだ頬を抑えれば、オーナーは嬉しそうな声を出した。


「おいしいですか? おいしい? おいしい?」


 何度も聞かれれば。面倒だなという気持ちの方が強くなる。

 うんうんと適当にうなずく。

 オーナーは、テーブルに頬杖をついてニコニコと「そっかそっか」と繰り返した。


「なんですか?」

「どうしてここに来たんですか、高木さんは」


 どうして?

 どうしてだろう。

 たまたまSNSで見かけたから。

 星空がキレイに見えるペンション。

 宿泊料金も安かったし、山の近くだから人もあまり多くなさそうで。

 本当の理由を打ち明けるには、ちょっとまだ気持ちが整理できていない。


「ほら、温泉の宿とか、食べ放題つきのホテルとか、いっぱいあるじゃないですか。その中でも、どうしてうちを選んでくれたのかなぁって」


 思い浮かぶ言葉を伝えるのは傷つけそうで、なかなかハードルが高い。

 だから、一番都合が良さそうな言葉を答える。


「星空が見たかったので」

「キレイに見えますよ、高い建物も、明るい建物もないので! まぁ、田舎だからなんですけどね」


 口を付けたクッキーをばりばりと噛み砕いて、サイダーで流し込む。

 ごちそうさまと小さく答えてから、立ちあがろうとする。

 オーナーはそんなことも気に留めず、質問攻めを始めた。


「いくつですか? 年近い気がするんですけど」

「まだ続きます?」


 ツンケンとした答えになってしまったのは、自覚がある。

 静かな場所に行きたかった。

 一人に、なりかった。

 だから、ここに来たはずなのに。


「だって、ペンションとか選ぶ人って、誰かと居たい人じゃないですか」

「偏見!」

「違います?」


 真剣な目に見つめられて、ごくんっと唾を飲み込んだ。

 一人になりたかった。

 それでも、誰かと一緒に居たかったのかも。

 だから、ホテルじゃなくペンションを選んだ。


 自分自身の気持ちに気づいて、恥ずかしくなって顔を覆った。


「星空を見にいくまで、まだまだ時間あるので、くだらない話でもしませんか」

「くだらないって」

「この地方のおいしいものとか、今日の天気とか、どうでも良いことです」


 オーナーの柔らかい声に、ふっと笑う。

 久しぶりの笑い声は、乾いていたけど、でも確かに私の声だった。


 くだらない話は、思いの外楽しかった。

 あまりにも楽しかったせいで、勝手な言葉が口から流れていく。


「両親と馬が合わないんです。嫌いじゃないんだけど」

「そうなんですねぇ、あ、高木さん、なんて名前がいいですか?」


 理由を聞くでもなく、普通の雑談のように流される。

 それが心地よくて、ここは良いところだなと思ってしまった。

 両親は、優しくてとにかく与えてくれる人だった。

 家族で話すときの話題もそう、私の生きていくレールもそう。

 それが、鬱陶しかった。

 そして、私がその場所にいる存在意義がないと言われてるように、私には聞こえてしまったんだ。


「名前?」

「ここは、実名はなしです。私が勝手に決めたんですけどね」

「どうして?」

「それはまぁ、みなさん何かを置きたくて、旅してると思うので」


 その一言に、私はしっくりときてしまった。

 何かを置きたくて、旅に出たんだ。

 それは、きっと家族とのこと。

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