第2話

「……そうだよね、…」

私は彼女の言葉を聞いていた。声のかけ方がわからない。恐らく、「Aさん」というのは私の知り合いでもある。私はこの二人と違って、国立大学志望ではなく私立大学志望だったから、彼女のつらさは少ししか理解できなかった。でも、わかるにはわかる。周りが上手くいっていると焦る気持ち。私もAさんの快進撃を羨んでいた。もちろん、滑り止め以外も受かっている彼女も羨ましい。でも正直思う、なんでAさんばかりそんなに上手に行くんだろう、と。でもなんとなく彼女の話を聞いているとわかる。Aさんは「受験生のあるべき姿」だったからなんじゃないか、って。必死に勉強してて、でもちゃんと周りにも気を使えていて。あの人は誰かを羨んだりしないで、ずっと真面目に勉強し続けていた。そしていつも笑顔だった。きっとその善行を神様が見ていたんじゃないだろうか。

そう思うと、私も悲しくなってきた。私だって第一志望校には落ちた。滑り止めにしか受からなかった。正直不満。でも浪人はしたくない。冷静に考えて、私の努力はそこまでだったんだって諦めがついた。じゃあなんで彼女はここまでその大学に執着してるんだろう。

「──…本当は、その、Aさんって人のこと、好きなんじゃないの」

そしたら彼女は驚いたような顔をしていた。あれ、違ったかな。私は修正しようと口を開くと、彼女はわっと泣き出した。

「叶わないの」

「どうしてそう思うの?」

「あの人は見る目があるから」

ほう、と思った。こんな恋の諦め方もあるのか、って。馬鹿な私だからあれだけど、なんだか儚い諦め方だな、なんて考える。

「見る目があるなら余計に可能性あるじゃん」

「私を選ぶはずない」

確かに彼女は卑屈な考え方になることも多い。しかも、推薦入試を通して余計に自己嫌悪に陥っているように思う。仕方ないとも思う。上手くいかないときに自己分析なんて、自分の首を絞める行為と変わらないわけだし、それに2回も第一志望校に落ちているのだ。つらいだろう。……多分、こう思うことさえ、彼女には凶器になりうるんだろうけど。

「だって、Aさんはあなたの努力を近くで見てた人でしょ。あなたも知ってると思うよ、頑張ってる人の横顔って、すごく綺麗じゃん」

「私は、──私は、頑張れてない、から」

うーむ、と私は悩む。何も言えない。私は彼女の努力を全て見てきたわけじゃない。彼女のつらさを身をもって感じられるわけじゃない。でも彼女が頑張っていたことは知っている。でも、そんな中途半端な私が何かを言って、彼女を納得させることはできない。じゃあ何を言えばいいのだろう。

「……ねえ、笑ってよ。あなたは笑ってた方が素敵だよ」

だからもっと私を嘲笑って。私はその言葉に硬直する。この人は何を言ってるのだろうと困惑していた。その言葉をかけたいのは私だ。私は彼女の話を聞いているだけでも惨めになる。なんだ、滑り止めすらギリギリ合格だなんて、恥ずかしい。

「…悲劇のヒロインみたいにしないでよ。あなたと同じ思いをしてる人だっているの。過去に囚われないで。あなたは私と違って未来を見るだけの価値がある人だと思う」

私が怒る筋合いはない。私だって努力した、たくさん泣いた、でも結果は変わらない。私はそう言いたかった。けどそれも怖かった。彼女には「追加合格」という可能性が残されているらしい。Aさんが零していた。彼女が追加合格したら泣いて喜ぶって。だから私は、彼女の恋も含めて、ここで立ち止まるべきじゃないと、伝えたい。彼女は固まっている。

「……ふふ、素敵なこと言うね」

「…ねえ、まだ追加合格とかあるんじゃないの」

「うん。でも、合否の境目にいる人しか追加合格しないし、そもそも追加合格がある可能性も低い。あって一人や二人だよ?存在しないのとおんなじ」

「………なんだ、本当に可能性あるんじゃん。諦めるの早すぎるんじゃない?毎日お願いしてみなよ、追加合格しますようにって」

「…そんなの、意味ない」

「決め切るのは早い!」

私は怖かった。まだ可能性が残されている彼女が。彼女も辛うじて「こちら側」だ。でも、もしかしたら彼女も「向こう側」に行ってしまう。私は既にその可能性は絶たれている。「補欠合格」の文字すらなかった。だからもう私は「こちら側」にいることしかできない。私は、どうにかして彼女の足を引っ張ろうとしているように思えた。寒気がした。自分の顔をぶん殴ってやりたくなった。こんなことばかり考えているから、こんな結果になるんだ。ざまあみろ。

「………私、ほんとはもう諦めたいの。このままだと、まともな大学生活送れない」

「…まあ、そうね。潔く諦めるのもありだと思うよ。私はまだ早いと思うけどなあ」

私も彼女の勉強している横顔を見ていた。本当に綺麗だった。笑顔よりも、何かに必死になっている顔の方がよっぽど美しい。あんな顔をするくらい頑張ってて、潔く諦めることができる方が気味悪い。

「…滑り止め、でしょ?諦められる?」

「ふ、そんなわけないでしょ。浪人を考えるくらいには悔しいし、まだ諦めきれてないよ。…うん、わかってるよ、潔く諦められるはずないって。でもさ、そうしなきゃいけないわけじゃん」

「……うん、そうなんだよね」

「自分に言い聞かせるしかないじゃん。私たちは、誰にどれだけ愚痴を零しても、志望校に落ちた事実は変わらない。聞きたくないセリフだろうけど、大学はどこに行くかより何をするかのが大事って言うし──」

私はずっと、かける言葉を探していた。自分が一番傷つかない言葉を、だ。私だって泣いてやりたいのだ。彼女の気持ちも理解はしているからこそ、私は傷つきたくなかった。彼女の前で嘆いていたって、変わらない。私はそんな悲劇のヒロインにはなりたくない。常にこうやって、誰かのスポットライトの陰で生きていくのだ。

「……ありがとう、……またね」

彼女は席を立って、静かに外に出ていった。私は彼女のココアの分のお金を払って、店を出た。

ねえ、私は泣いちゃダメ?

第一志望校に受かったAさんも、第三志望くらいの学校に受かった彼女も、悪い結果ではないじゃないか。私は滑り止めだけだ。確かに全落ちじゃない。けどあなたのは滑り止めよりはマシな結果でしょう。なのになんで、そんなに泣くの。まるで、私が、泣くことを許されていないよう。

「あれ、久しぶりじゃん」

Aさんだった。

「どうしたの」

「散歩」

「そっか」

「……なんかあった?」

「なにも。なんで?」

「えーだって、涙目じゃん」

「……これは、ほんとに、なんもないから」

「へえ?ちょっとお話を聞かないとだよね~」

「やだよ、惨めになる」

「……そっかあ…」

「あ、ごめん」

「なんで謝るのよ」

「八つ当たりした気がする」

彼は首を傾げている。彼女の言葉は正しい。「受かった人」と「落ちた人」がわかり合えることはない。私がどれだけこの屈辱を語っても、彼にはちっともわからない。わかった気になるだけだ。でもそれが、私が彼を責めていい理由にも、突き放してもいい理由にもならない。あくまでも友達だからだ。じゃあ、このやり場のない感情は?

「……お悩みならいつでも聞きますよ?暇だし」

「…、うん、……ありがとう、…」

言葉が思うように出なかった。彼にぶつけていいものじゃない。彼を苦しめるだけだ。溢れそうになる涙を一生懸命に拭う。彼はそんな私の姿を滑稽だとでも思っているのだろうか──いや、思っていてほしい。

「うん!それでお悩みは??」

「え、………」

「……うーむ、じゃあゲームする?」

「ゲーム?」

「うん、お前やってたよね?」

「やってたけど、最近やってないし……」

「だいじょぶだいじょぶ、あなたお強いから」

「でも、やる気にならないよ」

「んー、じゃあどっか遊び行こうよ。このあと暇ですかー?」

「はあ?…暇、だけど、……」

なら、彼女も誘わねば。直感的にそう思ったのだが、彼女はもうずっと遠くにいる。呼んでも届かない。きっと、今更彼女に声をかけても振り向かない。雑な言葉しか投げられなかった私の責任だ。

「さすが!俺行きたいとこあってさぁ」

「……どこに行くの」

「ん?こことか行ってみたくて!」

「あ、私も気になってたとこ」

「まじ!?行こうぜ!」

「…うん」

私だってAさんのことは好きだ。……そういう意味ではないのだけれど。私はAさんの好きな人をちゃんと知っている。私でも、彼女でもないということ。わかってるけど、優しくされる度に、少しだけ期待したくなる。彼は優しすぎる。それでも誰にも食われない。優しくて、強いひと。いちばん単純で、いちばん素敵なひと。

「受験お疲れ様会ね」

「…そんなこと言われるほど頑張ってないけどね」

「いや?俺は尊敬してる」

「馬鹿言わないでよ」

「馬鹿で悪かったね」

「…嘘、訂正。あなた頭いいんでした」

「今の言葉は俺の心に深く傷をつけました」

「なんでよ」

「なんかこっちがつらくなる」

そのつらさはあなたの優しさだよ。こんな卑屈な人間にも手を差し伸べてくれる、優しさ。それでも食われないあなたの強さが羨ましい。私は彼女に手を差し伸べようとして、食われたから。滑り止めでいいって諦めがついたのに、彼女の話を聞いていたら、やっぱり諦められなくなってしまった。

「んじゃ、行こうか」

彼の声に反応するように、風が吹く。冷たい北風だった。私の顔を突き刺して、何も言わずに走り去っていく。なんとも無礼なやつだ。でもなぜだか、本当は私の頬を撫でているのではないかと思った。痛いのは、私がおかしな人間だからではないか、と。本当に、誰かからの慰めの言葉より、顔を突き刺す北風のほうが、優しく思えるのだ。誰にもわからない、私のつらさを全て知っているからこその、その刃なのではないだろうか。ああそうか、私は誰かに優しくしてもらいたいわけではなく、ただ頑張ったという事実を認めてほしかっただけなのか。なら、暖かい春風なんて吹いてしまえば、私はまた一人なのね。

「うん、行こう」

それならば、願うことは一つだ。

どうか、どうか、春が来ませんように。

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春が来ませんように 雨森灯水 @mizumannju

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