ティンカー・ベルになる日
柊圭介
歌舞伎町の片隅で
マジ許せないあいつ。
見た目に似合わないドスのきいた声と一緒に、美鈴ちゃんはメンソールの煙を吐き出した。バックヤードは私と美鈴ちゃんの二人きりで、彼女は煙草を挟んだ指でカールした金髪の毛先をもてあそんでいる。
今日の衣装は黄色っぽいオーガンジーのミニドレスで、美鈴ちゃんの白い肌とほっそりした体にマッチしている。こんな服を着てるとなんだか妖精みたいだ。六年もサバを読んでるけど本当は二十八歳で、幼い顔とハスキーな声のアンバランスが色っぽい。
「こないだあたしが行ったときもあの女がいてさぁ、石崎を隣にはべらせてくねくねしやがって。石崎も石崎だよ。ああいう素人の女に貢がせるってマジ最低。絶対どっかで借金させてる」
開け放したアルミサッシの窓から区役所通りの喧騒がせり上がってくる。呼び込みと電子音と酔っぱらいの声が入り混じって正体不明になった、湿度の高い喧騒。どこかでパトカーのサイレンが通り過ぎる。
歌舞伎町は大人にとってのネバーランドだ。色とりどりのネオンやら看板やらがひしめいて、この町に来た大人たちは足枷を外していっときだけ子供に返る。
この辺りでは「ティンカー・ベル」はそこそこ有名な店で、美鈴ちゃんはいつも人気上位だ。彼女が同席したら、みんな魔法の粉でもかけられたように虜になってしまう。私が見てもすごくコケティッシュな魅力がある。それでいて姉御肌っぽいところもあってズケズケものを言ったりするので、お客さんたちもそのギャップがツボに入るらしい。だから、美鈴ちゃんはすごくモテる。
だけど、どんなにいい男に言い寄られても彼女はうまくかわしてしまう。なぜなら彼女には本命がいるからだ。
「あたし思うんだけどさぁ、石崎とあの女って、いわゆる共依存ってやつだよ」
「共依存?」
美鈴ちゃんはうなずくと肺いっぱいに入れた煙を勢いよく吐き出した。
「あの女ってさ、筋金入りの母性まる出しタイプなんだよ。相手に尽くせば尽くすほどアドレナリンが出るタイプ。でさ、石崎みたいなガキっぽい男を見ると自分を犠牲にしても世話を焼かずにいられないんだよね。石崎もそれを分かってて都合よく利用してんだよ。ああいう自己愛型の男って、とにかくかまってちゃんだから、褒められたくてちやほやされたくて仕方ないんだ」
「すごいよく知ってんね」
「まあ腐れ縁だからね」
ほんと、どうしてそんな男に美鈴ちゃんまで惚れてるんだろうと残念になる。でもその気持ちはなんとなくわかる。一回だけ美鈴ちゃんに連れて行ってもらったけど、その石崎って男はほかのホストとは別格のオーラがあった。押しが強いのに守ってあげたくなるような少年っぽさがあって、カリスマっていうのはこういうことかなって思った。
あたしはあんな母親代わりみたいな付き合い方はしないんだ、と美鈴ちゃんは鼻で嗤う。あんなのただのモラハラDV男じゃん。ま、どうせあたしには母性なんて求められてないけど。
捨て鉢に自嘲して煙草をもみ消した。
「高校の同級生だからさ、そういう目で見てもらえないのは分かってるよ。でもあいつを世話したのはあたしだよ。それを目の前で見せつけるみたいにイチャつきやがって」
「……確かにそういう対象じゃないって言われたら、どうしようもないよね」
まあね、と小さくため息をつく美鈴ちゃんは、こっちが悲しくなるほど切ない表情をした。
「まあ、あの女だって時間の問題だけどね。吸い取るだけ吸い取られてあとはポイ、だよ。早く気づけばいいのに。あいつ絶対あちこちで恨み買ってるよ」
事実、石崎は恨みを買っていた。でも女じゃない。男に。
その日の明け方、石崎はナイフを持った男に襲われた。オス同士の争いに負けて店にいられなくなった、小指のなくなった男だった。
だけど。
刺されたのは石崎ではなかった。
魔法が解けたあとの気怠さが残る職安通りの乾いた道に、真っ赤なシミが広がっていく。救急車とパトカーのサイレンが響き、モノクロの風景に真っ赤なランプがぐるぐると回る。私の頭の中に、その瞬間、羽をもぎ取られて地面に横たわった美鈴ちゃんが浮かんだ。
葬儀場に着くと、おもてに立て看板が出ていた。そこにでかでかと書かれた美鈴ちゃんの本名を見て、私はひざから崩れそうになった。
馬鹿だね、あんた。
どうして最後の最後に男に戻っちゃったの。
どうしてあんな奴をかばったの。
あんなときに漢気出してどうすんの。
どうせ叶わない想いだって、わかってたくせに。
あの夜の彼女の黄色い衣装が忘れられない。彼女は誰よりも女の子だった。魔法の粉を振りまく、みんなの妖精だった美鈴。
ティンカー・ベルは今日、煙と一緒に空へと飛び立っていく。
ティンカー・ベルになる日 柊圭介 @labelleforet
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