第三部 第一章(青天の霹靂)
一.
あの日、貧困層住宅街で、石本と森野香々美を車の中から“監視”し、牧多から、新たなペンダントの売り方について話を聞いた。悪質なやり方だった。僕はダムドール支部と水越賀矢への疑いを更に深めた。但し、僕は心のどこかで、いずれペンダント売りの問題は、自然消滅的に解決するとも考えていた。少人数の集団がやっていることだから自ずと限界が訪れる。内心、こんな風に楽観的な見通しを立てていた。僕は甘かった。あの日から数日して、現実を思い知らされた。それはまさに、「青天の霹靂」だった。
教会には固定電話が一つ置いてある。しかし、滅多に鳴ることはない。でも、石本と森野香々美を“監視”した翌日、固定電話が鳴った。僕は昼飯を食べてから、しばらくぼんやりしていた。電話が鳴った時、それが電話の呼び出し音だと気づくまでに少し時間がかかった。書斎から教会まで走った。その間も、呼び出し音は鳴り続けた。僕が電話を取ると、信者の平村さんからだった。平村さんは、マンションを沢山所有している金持ちだ。
「杉原君かい? とんでもないことだよ。礼命会青年部の信者が、私の家にペンダントを売りに来たんだ。あれは一体何だね?」
電話の声は怒っていた。僕は、日頃、温厚な老紳士の平村さんが怒る姿を想像しながら、今までこういう苦情の電話がかかって来なかったことが、むしろ不思議だと気づいた。
若者信者は、高級住宅街も回っているのである。高級住宅街には高齢富裕層信者が住んでいる。当然、今回の平村さんと同じ事態が多数発生していてもおかしくないのである。高齢信者が若者信者に同情してペンダントを買った上で、それを内緒にしているのだろうか? 僕はそんなことを考えながら答えた。
「先生の携帯電話に至急連絡して、平村さんに電話をさせます」
すると、平村さんは言った。
「携帯電話に繋がらないから、教会に電話をしたんだよ。先生は、説教に回っている時、電源を切っているだろう」
その通りだった。
「先生に連絡がついたら、私の家に電話をくれるように伝えてくれ」
そう言って平村さんは電話を切った。
その後、僕は、先生のスマートフォンに電話をした。やはり、繋がらなかった。
同じ日に、もう一件、信者の竹野婦人からも電話があった。内容は平村さんと同じだった。
夜、先生に連絡がついたので、僕が、平村さんと竹野婦人から青年部のペンダント売りへの苦情の電話があったと伝えた。先生は、「お二人に連絡するよ」とだけ答えて電話を切った。でも、実際には、連絡しなかった。
次の日からも、苦情の電話が続いた。その都度、先生に電話で伝えると、「連絡するよ」という返事だけで終わった。結局、先生は一件も連絡をしなかった。
更に、それから数日後、再び平村さんから電話がかかってきた。
「先生から連絡はありましたか?」
と尋ねる僕に、
「連絡なんてして来なかったよ。それより、君、今朝の新聞は見たかね? 大変だよ。あのペンダント売りのことが記事になって載っているんだよ! 礼命会がこれまで積み上げてきた社会的信用もこれで全て消えた。それどころか、危ない新興宗教のレッテルを貼られて終わりだ。いや、レッテルじゃなくて事実だ。実際に、支部の若者信者がペンダント売りをやっているんだから。礼命会は危険な宗教だ!」
平村さんは電話の向こうで叫んだ。
僕は平村さんの話を聞いて、青年部の活動が新聞記事になっていることに驚いた。だが、同時に冷静に考えた。新聞記事になったのだとしたら、問題視されているのは、ペンダント売りの第二弾に違いない。第一弾は、漫然と若者信者がペンダントを売り歩いていただけだった。しかし、第二弾は違う。ターゲットを高齢者に絞って、嘘の話で情に訴え、ペンダントを売りつけているのだ。しかも、第二弾は、既にかなりの数のペンダントが売れている。
『詐欺行為。いや、宗教が絡むと、世間的には、霊感商法と見做されるのだろうか? とにかく、礼命会支部の犯罪行為として新聞記事になってしまった……』
僕は受話器を持ったまま茫然とした。
平村さんの電話を切った直後から、教会の電話が鳴りっぱなしになった。僕は、礼命会への苦情と嫌がらせの電話だと思った。すぐにコンセントからコードを抜いて固定電話の電源を切った。
それから、スマートフォンを手にし、「礼命会 ペンダント売り」。これらの言葉を入力してSNSを検索した。まだ、広がりは見せていなかった。ただ、SNSは何かのきっかけで、突然、爆発的に拡散する。そうなったら、小さな宗教団体礼命会などあっという間に潰されると思った。僕は新聞記事を読みたいと思った。だが、教会に新聞はない。今、僕は書斎で生活しているけれど、元々、教会は生活の場ではない。集会も週に一度開かれるだけだ。だから、新聞はない。僕はバスに乗って駅前のコンビニに行くことにした。新聞を買って読もうと思った。そのため、ダウンジャケットを着て出かけようとすると、教会のチャイムが鳴った。誰が来たのだろうと思いながら僕は書斎から教会に戻った。そして、ドアの前で、誰なのか尋ねた。
「FT新聞の記者の瀬木と申します。少しお話を伺いたいのですが?」
ドアの向こうから、男の声がした。
FT新聞といえば、地元の有力紙だ。いい加減な新聞社ではない。僕はペンダント売りが、マスコミから深刻な問題として捉えられていることを知った。それに、まさか新聞社の取材が来るとは思っていなかった。僕は、気が動転した。一瞬、逃げようかと思った。しかし、落ち着いて対応しようと考え直した。僕はドアを開けた。
そこには、地味なスーツを着た男が立っていた。浅黒く日焼けした敏捷な感じのする男だった。
「あなたは、青沢礼命先生の書生ですか?」
男はいきなり尋ねた。
「まず名刺を下さい。本物のFT新聞の人かどうか分からないから」
僕は言った。
「マスコミ対応もしっかり教育されているね」
瀬木と名乗る男は皮肉っぽく笑って名刺を僕に差し出した。
本当は、とっさに名刺をくれと言っただけだった。でも、我ながら、良い対応だったと思った。名刺には、「FT新聞社会部記者 瀬木昌司」とあった。本物の記者だった。
僕は瀬木に言った。
「先生は不在だから取材のしようもないです」
瀬木は言った。
「青沢先生の取材は既に済ませています。今日は教団関係者にお話を伺おうと思って来ました」
「僕は、入会して間もない信者です。質問されても、何も答えられません。時間の無駄になるだけです」
と僕は答えた。
すると、瀬木は言った。
「ただ一方的に、こちらが情報を聞くだけが記者じゃない。君、今、情報が少なくて、何がどうなっているか分からないでしょ? だから、不安だ。そこで、私からあなたにも情報を提供します。ギブ・アンド・テイクです」
僕は彼を教会に入れた。
僕は教会に暖房を入れて、瀬木を教会の長椅子に座るように言った。
瀬木は一番前の椅子に座った。握り手様の真ん前だった。そして、興味深そうに絵を見ていた。
「写真撮影は禁止ですよ。御神体なんだから」
僕がそう言うと、
「これが御神体? このリアルな絵は何ですか?」
と瀬木は尋ねた。
僕はそのことには答えず、彼の近くに立ったまま、「質問をどうぞ」と言った。
「君はけっこう意地悪だねえ。マスコミ対応も教育されたんじゃなくて、生まれつきの性格だな」
瀬木は笑った。
そう言われて、「僕は杉原和志です」と名前だけは教えた。
僕は意地悪でやっているのではなかった。瀬木のペースに巻き込まれないために警戒心からそうしていたのだ。内心、必死だった。
「杉原君。今、スマートフォンを持っているなら、礼命会、ペンダント売りのワードを入れてSNSを検索してごらん」
瀬木が言った。
僕は、さっきも検索したけど、と思いながら検索した。拡散し始めていた。まだ氾濫するほどではないが、先ほど検索してから、わずか二十分ほどの間に拡散し始めていた。
『礼命会がこれまで積み上げた社会的信用もこれで消えた』
平村さんの電話での嘆きが、現実になりつつある。そのことを、僕は、スマートフォンの画面を見ながら実感した。瀬木は、画面を見つめる僕の様子を、じっと窺っていた。
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