(苦行)11
十一.
石本と森野香々美が、先ほど入った家から笑顔で出てきた。玄関で何度も頭を下げた。そして、引き戸を閉めると、こちらを向いて歩いてきた。牧多と僕は、彼らに見つからないように姿勢を低くしていた。牧多はハンドル越しに、僕はダッシュボードから少しだけ顔を出して二人を見ていた。石本と森野香々美は、暗い表情に変わっていた。道に出ると僕らの乗る車とは反対方向に歩いていった。
僕たちは姿勢を元に戻した。
「売れたんだな」
牧多が言った。
「売れなかったんじゃないの?」
僕が尋ねた。
「売れて自己嫌悪に陥っているんだ。二人には、まだ良心がある証拠だ」
そう言って牧多は笑った。
あの老夫婦に生活の余裕はない。あの夫婦にとって三千円は、例えば、何日分の食費にあたるのだろうか? ペンダントを売った当事者ではない僕ですら、後ろ暗い気がした。
そこで、僕は牧多に尋ねた。
「同じ状況で笑顔になる信者はいる?」
「G大学の村口周治、井坂見代組だな。二人は、この貧困な高齢者の多い住宅街でも相当ペンダントを売ったよ。売れるたびに、家から出てきて、笑顔で握手してたぜ。G大学って頭いい分だけ、考えてることが普通とは少し違うのかな?」
牧多はそう言った。
牧多の話を聞いて、僕は気づいた。この前まで、水越賀矢の言うことに対して、絶対的に従っていた信者達の心に濃淡が生まれてきたことに。石本と森野香々美は、貧困な高齢者にペンダントを売りつけたことで自己嫌悪に陥った。対して、村口周治と井坂見代は、貧困な高齢者にペンダントを売りつけた後、成功の喜びで握手をした。この正反対の気持ちは、そのまま水越賀矢に向かっているはずだ。石本と森野香々美はネガティブな感情として、村口と井坂見代はポジティブな感情として、水越賀矢に向かっているはずだ。
僕が黙ってそんなことを考えていると、
「これを見てみろよ」
と牧多がスマートフォンの画面を見せた。
画面には若者信者カップルの簡単な一覧表があった。そして、その後ろに数字があった。
G城戸順次・G小沼治美 28
G村口周治・G井坂見代 26
G多河俊作・V野崎晴香 17
G大邨哲也・J二上利香 15
V奥沢賢二・G藤野道江 13
V古林達也・G杉川美華 13
V石本信弥・P森野香々美 5
J平塚秀尚・V河岸君江 4
P村端謙一・J由川千枝 4
J宮村静二・J細田須美 3
僕は一覧表を見ながら牧多に尋ねた。
「この名前の後ろの数字は何?」
「ペンダントを売った数だよ。G大学の城戸、小沼組と村口、井坂組が他の組を引き離してトップ争いを繰り広げている。それに続く組も、G大学の信者が入っている組ばかりだろう? やっぱり、考えてることが少し違うのかな?」
僕は一覧表を見ながら答えた。
「G大学の信者は子どもの頃から、受験競争を続けてきた。だから、G大学の信者には競争心を煽る効果が如実に現れる。それが、たとえペンダント売りであっても、競争となると奮起するし、相手が貧困な高齢者でも、良心の呵責を感じることなくペンダントを売ることができてしまう。僕はそういうことだと思う」
僕は、G大生同士の組の抜きん出た成績と、上位の組に必ずG大学の学生がいることからそう思った。G大学の学生は、小中高時代は“受験マシーン”と揶揄されるほど勉強してきた学生ばかりだからだ。
「お年寄りを騙して何かを売りつけるぐらい何とも思わないはずの俺が、G大生が笑顔で握手するのを見た時は、さすがに、コイツら大丈夫かなって思ったよ」
牧多は苦笑いしながら言った。
「それにしても、三月に入って、まだ十日も経っていないのに、城戸、小沼組と村口、井坂組は驚異的な数を売っている。実際、どうやって売っているの?」
僕は尋ねた。
「とにかく競争に熱中している。貧困層住宅街も高級住宅街も、片っ端から回っている。家の中で売っているところまでは見られないから分からないけど、結局、奴らの熱意に高齢者も負けるんじゃないかな。それで、つい買ってしまう」
「信者仲間の実家のアクセサリー工場が火事に遭ったんです。助けてください。この話に熱意を込めるって、まさかお年寄りの前で土下座をするとか?」
「そんなこと、当たり前だと思うぜ。土下座をして、涙を流しながら言うんだ。僕たちの仲間を助けてください!」
牧多は手を合わせて拝みながら言った。
悪ふざけだった。でも、注意しても無駄なので、僕は何も言わず、改めて、一覧表を見た。
石本と森野香々美は、五個ペンダントを売っていた。二日に一個売れたか売れないかのペースだ。嘘までついて売っていることを考えると、売れていないのではないか。彼らの良心が、ペンダントを売りつけることを躊躇わせているからに違いない。先ほどの自己嫌悪に陥っている姿からもそのことが分かった。それは、むしろ人として良いことなのだ。でも、二人の姿は憐れでもあった。
僕は、森野香々美の名前を見ながら思った。
まともな心を持った人間が報われないのが、社会の実相であるのかもしれない。だとすれば、なおさら、宗教の世界においては、まともな心を持った人間が報われるべきなのではないか? そうではない宗教に、果たして、どれだけの正当性があるのか? 僕は礼命会ダムドール支部、そして、水越賀矢への疑問を更に大きくした。
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