(苦行)10

十.

どこの町にも、高級住宅街というものが必ずある。僕は、この高級住宅街を見るたびに、私たちは、あなた達のような貧乏人とは一緒に暮らせません。金持ちは金持ち同士仲良く暮らしますというメッセージが発せられているように感じる。僕のひがみ根性を差し引いても、そういう部分はあると思う。でなければ、わざわざ、金持ち同士が一つの集合体として住む意味がないではないか? その逆に、貧困層の人たちが住む場所もある。古い家が建ち並び、大きな地震が来たら倒壊するのではないかと思われるような古いアパートがある、そんな住宅街である。ここでは、便宜上、貧困層住宅街と呼ぶ。更に、町には高級住宅街でもなく、貧困層住宅街でもない中間層の住宅街があり、これが町のかなりの部分を占めている。僕の家も、内実はともかく、一応、この中間層住宅街にある。そして、大都市部、農村部などは別にして、町というものは、概ねこのように構成されていると僕は考えている。


今、牧多の車に乗って、僕たちは、貧困層住宅街を走っている。貧困層住宅街が町の中心地にあることはない。町の外れの辺ぴなところが多い。今、彼の車も町の外れを走っている。

僕が何か聞こうとすると、牧多は、

「もうすぐ分かるから」

と言って車をゆっくりと走らせている。

助手席の窓から古いアパートが見える。ほとんどの部屋が空いているのが分かる。誰かが借りている部屋のベランダには、洗濯物が干してあった。紳士用の黒の靴下とタオル二枚だけが風にたなびいていた。僕は視線を車の前方に戻した。


その時だった。

見覚えのある若者二人が歩いている姿が目に入った。

石本信弥と森野香々美だった。

「あの二人。何をしてるんだ?」

僕は思わず声に出して言った。

「またペンダントを売ってるんだ。但し、今度は賀矢先生に教えてもらった必ず売れるやり方で」

そう答えると、牧多は車を路肩に止めた。

そして、黒のキャップを目深に被った。諜報活動時、いつも被っているのだろう。

「ここって、貧困な人が住んでいる地域だけど、ここで、一個三千円のペンダントが売れるの? 売るなら、金持ちの住む地域のほうがいいんじゃない?」

僕は牧多に現実的な質問をした。

「金持ちの住む高級住宅街でも売り歩いている。そして、ここでも売り歩いている。賀矢先生の提案でターゲットを絞ったんだ。ターゲット、つまり、売る相手は高齢者のみ」

牧多がそう答えた。

僕が、何故、高齢者なのかを質問すると、牧多は、

「高齢者にとって若者信者は孫ぐらいにあたる。孫ぐらいの若者が、ペンダントを買ってくださいって頼んで来たら、つい買ってしまうだろ」

と言った。

「孫ぐらいの男女がペンダントを買ってくださいって来たら、多少、心は動かされるかもしれないけれど、実際には、一個三千円するんだから、買わないだろう。説得力に欠けるな」

僕は、石本と森野香々美が、どの家に売りに入るか物色している様子を見ながら言った。


奇妙な光景だった。

二人とも、高価なダウンベストとロングコートを着て、カバンも靴も全てが上等で輝いている。二人の歩く住宅街は朽ちたように何もかもが灰色にくすんでいる。そのため、二人の姿だけが周囲からくっきりと浮き出ているのだ。そして、そのコントラストは、彼らが、そこにいることのそぐわなさを表していた。彼らは、日頃、どこにいても、怪しまれることのない存在なのに、ここでは、逆に、不審者に見えた。

僕が二人を見ながら、そんなことを考えていると、

「ご明察。そこで、もう一つ賀矢先生の大事な提案があるんだ。それは、『このペンダントは、私たちの信者仲間のご両親が小さな工場で作っていたペンダントです。先月、工場が火事で焼失してしまい、残ったのはこのペンダントだけです。どうかペンダントを買ってください。そして、信者仲間を助けてください』。この言葉を添えて売るんだ」

と牧多が言った。

僕は牧多の説明を聞いて、

「それは全部嘘じゃないか。ただでさえ、高すぎる値段で売っているのに、そんな嘘をついて売るなんて完全な詐欺だ。そんなことダメだ!」

と叫んだ。叫んだ僕自身が驚くほど大きな声だった。

だが、牧多は、僕の抗議は気にせず、

「孫ぐらいの若者二人の存在に、この話を添えれば、どうだ? ペンダントは売れるだろう?」

そう言って笑った。

僕は牧多に抗議をしても無駄だと思い出した。彼には、こういう面で心に欠けたところがある。直接、水越賀矢に抗議をするしかない。

更に牧多は笑顔で、

「貧困な住宅街の高齢者と、高級住宅街に住む高齢者には、それぞれ、メリットとデメリットがある。貧困な高齢者の家は簡単に訪問できる。鍵をかけていない家も沢山ある。これがメリット。ただ、金が無いから、ペンダントを沢山は買ってもらえない。これがデメリット。対して、高級住宅街に住む高齢者は、会おうとしても、セキュリティが厳重で、なかなか本人にまでたどり着けない。これがデメリット。でも、会えれば、金があるから、一度に沢山のペンダントを買ってくれる。これがメリット。そして、両者に共通して言えるのは、高齢者は総じて、涙腺も財布のヒモも緩いということだ」

こう話した。

僕は呆れた。それは高齢者への偏見だ。高齢者といっても、牧多の言うように一括りに捉えられるものではない。

僕は牧多に言った。

「それは全部、賀矢先生が考えたの? 悪質だよ。若者信者に向かって、生きるためには多少のダーティーさも必要だって言ったことは覚えてる。でも、多少どころか、ダーティーそのものだ。すぐにやめるべきだよ」

牧多は不思議そうな顔をしていた。僕は脱力した。彼に言ってもダメなのだった。


それから、石本と森野香々美に再び目を遣ると、一軒の平屋の家に入って行くところだった。玄関の引き戸が空いて、高齢夫婦が、二人と話をすると彼らを家に招き入れた。石本と森野香々美が中に入ると引き戸が閉められた。

僕は森野香々美のことが心配になった。P大学で偶然出会ってから、二週間ぐらいの間、延々とメールと電話で悩みごとを聞かされた。あの時は迷惑だと思った。でも、実は、あの時のことが、僕にとって彼女を身近な存在にしていたのだ。

その時、牧多が呟いた。

「でも、俺にも、分からないことがあって」

先ほどまでとは違い、彼の声のトーンが落ちていた。

僕は牧多に視線を移した。

牧多は話した。

「賀矢先生は、若者信者十組を競わせると言ったんだ。どの組が一番早くペンダントを売り切るかを競わせる。期間は三月一日から三月三十一日の一カ月。その間に、どれだけ売り上げるかを競う。但し、どの組かが、五十個全部売り切ったら、その時点で全て終了」

若者信者に詐欺行為をさせた上に、競争までさせている? 僕は呆れた。しかし、とにかく話の続きを聞くことにした。そして、こう尋ねた。

「現実問題として、競争心を煽るのは確かに有効だと思う。でも、競争させる場合、一番になった組には何か特典がなければならない。賀矢先生は何て言ってた?」

すると牧多は、説明した。

「それが問題なんだよ。一番になった組には、神様から『永久の夫婦の幸せ』が約束されるって言ったんだ。そしたら、若者信者が、「私たちは、つき合ってはいるけど、結婚なんてまだ全く考えていませんって、全員ビックリして言ったよ」

そして、若者信者が、水越賀矢にそう言うと、

「修行中に、恋人同士になった皆さんは、実は、生まれる前から神縁で結ばれていたのです。ですから、十組全員が、神様から夫婦になる幸せを既に約束されているのです。但し、それだけでは不十分なのです。この苦行を通じてお互いの愛を至上にまで高めなければなりません。その時、初めて、神様から『永久の夫婦の幸せ』が約束されます。そして、一番になれなかった残りの九組には、ペンダント売りを怠けたことに対する天罰があります。神様は厳しくもあります。皆さんは一番になるしかないのです。そして、永久の夫婦の幸せを勝ち取りなさい!」

そう言ってから、ダムドール支部神訓をそらんじたと牧多が話した。その時の、彼女の目つきは、尋常ではなかったということだった。

僕は牧多に尋ねた。

「永久の夫婦の幸せって聞いても、僕は分からないんだけど。若者信者は、それを聞いてどうしたんだ?」

牧多が言った。

「杉原と同じだよ。みんなも分からなかったさ。賀矢先生と長いつき合いの俺ですら、分からないんだから。でも、信者全員が、反応したのは、その言葉より、天罰だったんだ。賀矢先生って、二十人の信者勧誘の時に見せたような神がかり的な力があるだろ? だから、永久の夫婦の幸せより、みんな、天罰を恐れた。一番になれなかったら自分にどんな天罰が落ちるのかを恐れた。それで、賀矢先生の話が終わると、全員、支部を飛び出してペンダント売りに向かったんだ」


一月に、若者信者が初めてのペンダント売りに出た時、水越賀矢の隣で、牧多も、支部の入り口から町に消えていく若者信者を見ていた。あの時の牧多には、水越賀矢との強い親和性を感じた。でも、今の話を聞いて、今回、信者が飛び出して行った時、水越賀矢の隣に牧多は並んでいなかったことが伝わってきた。彼女の一番の理解者であるはずの牧多ですら、いよいよ、水越賀矢についていけなくなってきたのだ。



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