(苦行)9

九.

偶然とはいえ、森野香々美にP大学で出会えたことを、僕は感謝している。彼女のお陰で僕にもP大生としての思い出が残せたからだ。でも、今、僕は困っている。あの日以来、森野香々美は、僕が以前に教えた連絡先に、頻繁にメールを送って来るようになった。電話の時もあった。内容は、ほとんどが悩みごとの相談だった。悩みごととはペンダント売りのことに限らず、今、大学を休みがちであることや、将来への漠然とした不安などであった。僕は彼女の話を電話で聞きながら、石本には何も相談しないのだろうかと、やはり、二人の交際に疑問を抱いた。それと、彼女が打ち明ける悩みの中に、ダムドール支部の活動に関連するものが少なからずあった。そのため、僕は何のための信仰なのだろうと、そのことも疑問に思った。入会して、かえって悩みが増えているではないか?


二月末日が、若者信者がペンダントを売り歩く最終日だった。僕は支部には行かなかった。行っても、暗い気持ちになるだけだと分かっていたからだ。一つも売れなかったペンダント。うなだれる若者信者の姿。彼らを罵る水越賀矢。そして、その間、ずっと無表情な牧多賢治。

見たくないと思った。

朝早く、森野香々美からメールがあった。

「夕方から支部で最終日の総括を行うけれど、一つも売れなかった。賀矢先生に何と言われるだろう?」

メールにはこうあった。僕は何も返信しなかった。彼女と大学で偶然会ったのが、二月の中旬で、あの日から二週間近く、毎日、彼女の悩みを聞き続けてきた。悪いとは思ったけど、もうこれ以上、彼女につき合ってはいられない。僕は彼女の恋人でもないし、保護者でもない。悩みを相談するなら、石本にすべきだ。僕はそう思うと、スマートフォンの電源を切った。それから、バスに乗り、街に出て一日教会には戻らなかった。

その日から、森野香々美からの連絡はなくなった。


三月に入ってからも、寒い日が続いた。僕はその日の午後、教会の長椅子に寝転んでいた。広い教会の大きな暖房を僕一人だけのために使っていた。自宅にいるより遥かに贅沢をしている。普通は教会での生活で禁欲的になるはずなのに僕は反対だった。それだけ、僕の家は生活を切り詰めているということになる。僕は、大学を辞める考えが強くなっている。禁欲的な生活をしなければならない要因に、僕の学費がある。一年留年すれば、その分だけ、その生活が長引く。それより、大学を中退して今すぐ働いたほうが両親のためにもなる。父も母もそのことを望んでいることが薄っすらと伝わってくる。


僕は、富裕層若者信者のことを考えていた。彼らはタフになりたいと願っている。そして、その具体像として僕と牧多を挙げている。

僕たち二人を挙げる時点で、彼らがタフネスをどのように誤解しているかが僕には分かる。以前に、牧多の違法行為をタフさと勘違いしたのとも違う、もっと根本的な誤解なのだ。そして、僕は、この誤解こそが、彼らの願望の本質なのだと思う。僕と牧多のようになりたいと願う富裕層若者信者の願望とは、実は、僕たちの持つ「庶民性」を獲得したいということなのだ。

但し、それは不可能だ。

あくまでも、仮定の話だが、富裕層出身の森野香々美と庶民層出身の僕が結婚したとしても、彼女は庶民にはなれない。たとえ、僕の自宅に同居して、生活のレベルを落としてみたところで、彼女は僕と同じ庶民にはなれないのだ。金持ちの家に生まれ育った彼女は、生涯、富裕層の人だ。だが、若者信者は、皆、社会に出るまでに修行を通じて、「庶民性」を獲得したいと思っている。彼らは、タフネスと庶民性を混同している。けれども、根底には、世の中を強く生きたいという切実な願いがあることが分かる。


僕は、先日、森野香々美からの連絡を拒否するため、スマートフォンの電源を切ったことを悔いた。普段の僕は、もう少し優しい。彼女の悩みにも、耳を傾けたはずだ。それが、性急に連絡を拒否したのは、彼女への恋愛感情の裏返しなのだろうか? 僕は、彼女のことが気になった。でも、連絡はしにくかった。僕はしばらく考えた。そして、長椅子から体を起こすと、暖房のスイッチを切って教会を出た。すぐ牧多に電話をしたが、彼は電話に出なかった。しかし、ダムドール支部に行こうと思った。ちょうど教会前にバスが来た。僕は、若者信者がどのような状況にあるのかを牧多に尋ねようと思った。


バスが支部近くのバス停に着いた。僕はバスを降りて、支部に向かった。支部に入ると、牧多がパソコンに向かっていた。

「さっき、電話くれたんだな。出られなかった。ごめん」

パソコンの画面に向かったまま牧多が言った。

今日も水越賀矢はいなかった。不在の時が多いと思った。でも、理由を牧多に聞いても、私用なら、先日同様、彼女のプライベートには干渉しないと言うだろう。仕事の場合でも、賀矢先生の仕事に関することは話せない。そう言う気がした。だから聞かなかった。


牧多は、支部の経費をパソコンに入力して、本部の青沢礼命に報告している。その他にも、文書の作成や細々としたこと一切を任されている。水越賀矢の秘書兼ボディーガードは、彼が自認しているだけだ。諜報係は実際にやっているが、人に言える仕事ではない。ただ、彼の事務処理能力は、ダムドール支部に限らず、一般社会で十分に通用するものだ。牧多も僕も、出会った頃は、お互いにいい加減な青年だった。だが、牧多は、事務の仕事を通じて、社会人として自己を確立していっている。今の彼は、兄とスーパーミネザキの仲介をして、コーディネイト料をもらっていると自慢していた頃の彼とは違う。働く喜びを覚えたのだと僕は思った。その証拠に、水越賀矢に頼まれていない仕事も自分で見つけてやっている。僕は牧多の成長を目の当たりにして取り残されていく自分を感じた。同時に、若者信者が目指すべき目標は、今の牧多なのだと思った。若者信者は、外見に惑わされて、パンクな牧多を避け、平均的な僕を目標にしている。でも、そのことについて、僕から彼らに何かを言う必要はない。人間の嗅覚は意外なほど鋭い。直に、皆、牧多を目標にするようになる。それに、僕が、わざわざ若者信者に向かって、「僕より牧多のほうがお手本になるよ」と言うのもおかしい。僕もそこまでお人好しじゃない。


「牧多。今、若者信者の状況はどうなっている?」

僕は彼に尋ねた。

「このデータの入力が済むまで、ちょっとそのまま待っててくれ」

牧多はパソコンの画面に集中しながら答えた。

僕は、職員室に担任を訪ね、小テストの採点が終わるまで待たされた小学生の頃のことを思い出した。担任の持つ赤いペンが、素早く答案用紙にマルとバツをつけていた。僕は黙ってその様子を見ていた。

パソコンの入力が終わった牧多は机の上を片づけて立ち上がった。それから、僕の横を通り抜け、引き戸を開けて外に出ようとした。

「状況の説明は?」

僕が尋ねると、牧多は振り返って言った。

「今から俺とドライブに行こう。論より証拠だ。自分の目で確かめろ」

そして、僕らは、この日も商店街の近くに路上駐車をしてある牧多の車に乗った。


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