(苦行)7
七.
僕の一方的な問題だったのだけれど、それでも、牧多との友情の復活に僕は安堵した。そして、石油ストーブの前で、僕は、牧多が資料を読み上げるのを聞いていた。ただ、読み上げられている資料は、あくまでも諜報活動の記録だ。どれだけリラックスした気持ちで聞いても、内容の不穏さに変わりはなかった。
「キレられた」「胸ぐらをつかまれた」「追いかけられた」「警察に通報されそうになった」
こんな言葉ばかりだった。
世の中のかなりの人が、常に苛立ちを抱えている。僕は牧多が読み上げる記録を聞きながらそう思った。
次に、ひと通り記録を読み終えた牧多が、僕とは違う角度から意見を述べた。
「石本信弥、森野香々美組。大邨哲也、二上利香組。平塚秀尚、河岸君江組。城戸順次、小沼治美組。村口周治、井坂見代組。多河俊作、野崎晴香組。村端謙一、由川千枝組。奥沢賢二、藤野道江組。古林達也、杉川美華組。宮村静二、細田須美組。この前、集会で杉原も言った通り、これ全部が、コンビじゃなくてカップルだ。恋人同士。ていうより、恋人同士になるように仕向けられた。ペンダント売りを通じて。そう思うだろ?」
「確かに、そうだな」
「ということは、遡って、信者勧誘の段階から、男女同数の十対十になるように賀矢先生は勧誘した。あるいは、神命がそうさせた。だとしたら、目的があるだろ? 何だと思う?」
「賀矢先生が勧誘のスケジュールを見せた時には、信者二十人だということは分かったけど、男女比までは分からなかった。でも、実際には、男女十人ずつの同数で、しかも、全員が恋人同士になった。最初から、そうなるように決まっていたとしか思えない。それは僕もそう思う。ただ、目的って聞かれると何だろう? ペンダント売りのため? でも、ペンダント売りを恋人同士でやってるけど、何の効果もない。それどころか、悲惨な結果だ」
僕も疑問に思っていたことを率直に話した。
「そうなんだよ。惨憺たる結果なんだ。これが、恋人同士になってから、急激にペンダントが売れるようになったのなら、分かるんだけど、ずっと結果ゼロのままだから、俺も不思議に思ってさ。ただ、賀矢先生のことだから、もっと深い考えがあるんだとは思うけど」
その言葉から、水越賀矢に傾倒している彼でさえ、毎日、若者信者を追跡して、実際に、惨憺たる結果を目の当たりにしているだけに、さすがに、疑問が湧いたのだろうと思った。
だから、僕はさりげなく、
「何事も適度な距離を置いたほうが、良好な関係が維持できる。だから、牧多も、あまり入れ込まないほうが、かえって、色んなことが見えてくると思う」
と、水越賀矢と青年部に深入りしすぎるなと忠告した。
それを聞いた牧多は、
「俺は別に何にも入れ込んではいないんだ。ただ、毎日、同じことの繰り返しで、飽きてきただけさ。誰か、いっぺんにドーンとペンダントを売り切るとか、そんな場面を見てみたいだけなんだ。俺は何よりも退屈が嫌いなんだ」
と眠そうな顔をして言った。僕の忠告が退屈だという意味だろう。
僕は、それ以上何も言わないことにした。
牧多との友情を再確認できた。実際には、牧多は以前から、ああいうパーソナリティだと再確認しただけだったが、それでも、僕は安心した。そして、支部を出た。支部を出てから僕は気づいた。僕には何もすることがなかった。一カ月の間、僕は牧多のことで悩んでいたが、それは解決するための課題があったということでもあった。その課題を解決した今、僕は元通りすることのない人間に戻った。牧多のように青年部の仕事も手伝っていない。書斎に帰っても、特にすることはない。先生の本棚は、難しい専門書ばかりで、暇つぶしに読めるような小説もなかった。時刻はまだ三時だった。僕はしばらく迷ってから、P大学行きのバスに乗った。P大学が懐かしくなったわけではない。大学を辞めるかもしれないから、その前に、きちんと見ておこうと思ったのだ。最後に僕がP大学を訪れたのは、昨年の十二月一日、信者勧誘の最終日だった。森野香々美のほうから水越賀矢と牧多に礼命会のことを尋ねた日のことだ。但し、僕は、東門の辺りから三人の様子を見ていただけで構内には入らなかった。最後に構内に入ったのはいつだっただろう?
僕が大学を辞めることを真剣に考え始めたのには、両親のことがあった。学期末試験を受けずに留年が、ほぼ確定した時だった。何故、両親が、スマートフォンに着信履歴しか残さず、直接、僕を探さないのか? 僕には、その本当の意味が分かったような気がした。P大学の学費は両親が出してくれている。学生生活にかかる諸々のお金は、バイトをして僕が自分で出している。自宅から通学しているからこれで何とかなっている。奨学金も借りずに済んでいる。でも、両親の負担が大きいのは事実だ。僕が大学に行かなくなってから、父と母はこう思うようになったのではないか?
『我々が大学に進学するように強く勧めたけれど、もしも、お前が、それほど大学に魅力を感じていないのなら、辞めることには反対しない』
僕は、両親が、スマートフォンに着信履歴だけ残して、探さないようにしているのは、こういうことなのではないかと思った。つまり、直接会って話をした場合に、僕が大学を辞めると言うと、学歴で苦労している両親としては、僕の中退を認めるとは言えないと思うのだ。でも、本音は、家計も苦しいし、僕が大学に行く気がないなら、自分で決めて辞めて欲しい。こう考えていると僕は思った。暗に辞めろと勧めているわけではない。暗に辞めてもいいと伝えているのだと思った。だから、僕は改めてP大学に行ってみようと思った。大学を辞める決断をするかもしれないのに、肝心の大学の姿すら忘れかけているようでは、さすがに良くないと思ったのだ。
支部から三十分もかからず、バスはP大学に到着した。P大学は大きくない大学なので街中にある。だから、支部ともそれほど離れていない。これが、マンモス大学のV大学だと、広い敷地が必要なため市街地から離れている。僕はバスを降りて東門に向かった。P大学のキャンパスをこの目に焼きつける。そんな気負いはなかった。でも、これで最後になってもいいように記憶に留めておこうと思った。そして、僕は東門から大学に入った。
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