(苦行)2
二.
駅からスーパーに向かう道の真ん中で、年配の男と青年部の男子信者が言い争いになっていた。女子信者がそれを止めようとしていた。男子信者はV大学の石本信弥だった。女子信者はP大学の森野香々美だった。僕は三人がいる場所に駆けつけた。
「石本君。落ち着いて。森野さん。どうしてこんなことに?」
僕が現れたことに、二人は、ひどく安堵した。僕は、礼命会の先輩信者として、彼らから過度な信頼を寄せられている。相手の男は僕を見ると、仲間が加勢に入ったと思ったのか、更に、語気を強めた。というより、更に、キレた。地味な背広を着た普通の男だった。そんな風に怒鳴り声を上げるようには見えなかった。
「何で、こんなもんが、三千円もするんだって聞いてるんだよ? 原価と仕入れ値を教えろ。これは詐欺だ。今から、そこの交番に行く。そして、お前らは逮捕される。若いからって許されると思うなよ。世の中は厳しいんだ!」
男は激怒した。そして、その後も怒り続けた。男は辺り構わず怒鳴り散らしていた。日常生活で鬱積していた不満がいっぺんに爆発したのだろう。僕らのことなど忘れていた。僕は二人に、そっと耳打ちした。
「今から三人が三方向にバラバラに逃げよう。そうすれば、混乱して追いかけて来られない」
二人は僕の話に頷いた。
そして、三人が一斉にバラバラの方向に逃げた。
男は、僕らがいなくなったことに気づくと、
「どこに行った! お前ら、必ず、見つけ出して……」
と、そこまで叫んだところで、周囲の視線に気づいた。
我に帰った男は、その場を逃げるように立ち去った。
僕は、男がいなくなったのを確認してから、同じ場所に戻った。それから、しばらくして、二人も戻って来た。男は必ず、自分が恥ずかしくなって逃げることが分かっていた。だから、二人にも、同じ場所に戻って来るよう伝えてあった。
それから、僕たち三人は、駅の近くのハンバーガーショップに入った。僕は二人と向かい合わせに座った。僕はいつもと同じ紺色のダウンジャケットに穿き古したジーンズ姿だった。それに対して、石本は、グレーのダウンベストを着て、その下には黒のタートルネックのセーターを着ていた。髪は短くて清潔感があった。彼のダウンベストは、高価なものだった。胸元にブランドのロゴがついていた。
隣に座る森野香々美も、高価なベージュのロングコートを着ていた。白のシンプルな丸首のセーターに短い髪をしていた。石本と同じで、特別におしゃれをしているようには見えないけれど、実は、金がかかっているタイプだった。
僕は、青年部の信者は、皆、二人と同じ感じであることを知っていた。みんな、生まれ落ちた時からの金持ちなのだ。だから、おしゃれをするのにも余裕がある。間違っても成金趣味にはならない。
まず最初に、僕は、自分が森野香々美と同じP大学の経済学部の学生だと打ち明けた。
すると彼女は言った。
「知ってるわよ。だって、学舎でよく顔を合わせるじゃない? でも、杉原君、最近、見かけないけど」
僕は彼女が正しいのだと思った。それほど生徒数の多くないP大学なのだから、同級生の顔は覚えていて当然だ。
僕は反省した。それから、二人に尋ねた。
「石本君と森野さんは二人でペンダントを売り歩いているの?」
石本が答えた。
「去年のクリスマス過ぎだった。僕がペンダントを売り歩いていたら、森野さんが男にからまれていた。男にペンダントを買ってくれるよう頼んだら、俺の車で一緒にドライブしよう。そしたら買ってやる。男はそう言って彼女を自分の車に連れて行こうとしていたんだ。そこで、僕がすぐに彼女を助けた」
続けて、森野香々美が答えた。
「それで、私が、石本君に一緒にペンダント売りをして欲しいって頼んだの。女子信者は、みんな、セクハラのような危険については警戒していた。でも、まさか、連れ去られそうになるとは思っていなかった。だから、これは一人では危ないと思った」
僕はその話を聞いて、他の女子信者も大丈夫だろうかと思った。
すると、
「それで、私から、すぐに残りの九人の女子にも連絡をして、男子と組んで活動するようにした」
と森野香々美が続けて言った。
「青年部の信者同士で助け合うのは良いことだと思う。けれど、その理由が、ペンダント売りの最中に遭う危険を回避するためというのは、どうなんだろう? 車で連れ去られそうになったり、さっきのキレる男の場合は、回避するどころか、逆に喧嘩になってたけど……。修行中、そういう人間ばかりに出会うの?」
僕は聞いた。
二人とも、黙ってしまった。
僕は話題を変える意味で尋ねた。
「ペンダントは、今、幾つぐらい売れたの?」
すると、今度は二人の表情が暗くなった。
石本が答えた。
「僕も森野さんも、ペンダントは、まだ一つも売れてないんだ」
「トラブルに巻き込まれることはよくあるのに、肝心のペンダントは一つも売れない」
森野香々美が言った。
二人の暗い表情を見て僕は慰めるつもりで言った。
「二人とも、そんなに思い詰めずに。何とかなるよ」
すると、石本が僕の顔を見て言った。
「何とかなる? もう残り一カ月しかないんだよ。その短い期間でペンダント二十五個を売らなければならない。杉原君。本当に何とかなると思う?」
石本の言う通りだった。僕は答えられなかった。
石本は、ダウンベストのポケットから、例のダムドール支部神訓を取り出し、テーブルの上に置いた。
・礼命会ダムドール支部神訓
一.苦行から決して逃げるべからず。
二.生涯が苦行と思え。
三.大いなる苦行によってのみ大いなる楽土あらん。
僕は、テーブルの上の神訓を改めて見た。礼命会の教えは、『ともに生き、ともに幸せになる』だけだ。しかし、水越賀矢の神訓も、明らかに教義だ。彼女は、礼命会の信者にもかかわらず、「神がかり水越賀矢」の教義を若者信者に配布した。
ある鳥の巣の中に違う鳥が卵を産みつけるように、もしかすると、彼女は礼命会の巣の中に違う卵を産み落としているのではないか? 違う卵は、本来の卵より先にふ化して、ひな鳥は、すぐに本来の卵を巣の外に落とす。僕は、彼女が教団を乗っ取るつもりではないかと疑った。可能性としては、あり得る。礼命会には金があるからだ。乗っ取りを企てるには十分な動機になる。だが、水越賀矢が金銭的な欲望を抱いているというのは、実感として、しっくりこなかった。
「杉原君。僕はやる。たとえ不可能に近いことであっても、僕は、この神訓を信じて活動する。二十五個のペンダントを必ず、残り一カ月で売る。これは、賀矢先生が与えて下さった有り難い苦行だから」
石本の声がした。その声に僕は悲痛な響きを感じた。彼が無理に自分に言い聞かせている痛々しさだった。僕はそのままテーブルの上の神訓を見ていた。彼の顔をまともに見る勇気がなかった。
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