第四章(苦行)

一.

一月も下旬に入ったその日、僕は食料品と日用品を買いに出かけた。教会の近くのバス停からバスに乗って街に向かった。年末年始も家には帰らなかった。家に帰りたくないというより、書斎での生活に慣れてしまって、帰ることを忘れていた。現実問題として、自宅の二階の僕の部屋は狭い。勉強机とベッドと洋服ダンスを置いてしまうと、余分なスペースがなくて息苦しい。それに比べて、書斎は広い。暖房の効きが良くないこと以外は不満の言いようがない。


バスは空いていた。席に座って色んなことを考えた。

牧多は青年部の活動で忙しい。年が明けてから、まだ一度も、本部の教会には来ていない。牧多が来たら、車に乗せてもらって街に出ようと思っていた。でも、来ないのでバスに乗った。実は、僕は青年部の活動に参加していない。新年の集会から数回は参加した。牧多にも会った。やはり、水越賀矢の秘書兼ボディーガードのような感じだった。ペンダントを信者に配布した時から、水越賀矢は隠していた本性をむき出しにした。そして、次の集会で、「礼命会ダムドール支部神訓」と書かれた紙を信者に配布した。


・礼命会ダムドール支部神訓

一.苦行から決して逃げるべからず。

二.生涯が苦行と思え。

三.大いなる苦行によってのみ大いなる楽土あらん。


僕は、これを読んで、すぐに教義だと思った。そして、礼命会には、『ともに生き、ともに幸せになる』。この教え一つしかないことを考えると、この神訓は、「神がかり水越賀矢」の教義だと思った。このことは、すぐに先生に伝えなければと思い、何度も電話をした。だが、電源が切られていた。先生は礼命会出張サービスの時、スマートフォンの電源を切っている。説教の妨げになるからだ。だから、神訓の件は伝えられないままだった。

青年部は、ペンダント売りを始めて以来、頻繁に集会を開いている。週に最低二回は集会を開いている。「本部と同じく集会は週に一回」という決まりはないが、水越賀矢は先生に何も報告していない。支部には信者が常時出入りしていて、いつも誰かがいる。牧多からも集会の案内のメールが頻繁に送られてくる。僕は読むのが面倒で無視している。でも、実は、面倒なだけが理由ではない。


僕は、青年部の雰囲気に馴染めないから、集会に参加するのを避けている。本部の、のんびりとした雰囲気と違って、青年部には、ノルマの厳しい健康食品会社の販売営業部のような雰囲気がある。昔、僕は、ある健康食品会社でアルバイトをしたことがある。青年部には、その時の販売営業部と同じ雰囲気がある。学生アルバイトの僕の仕事は倉庫番だった。だから、特に何もなかった。しかし、販売営業部は、ノルマが厳しいことに加えて、営業部長が絶えず社員を𠮟咤激励していた。そして、これが、独特なものだった。

「○○君。君ほどの優秀な社員が、これだけの売り上げであるはずがない。田舎のお母さんが聞いたら、びっくりすると思う。君、お父さんを早くに亡くして、母一人子一人で育ったんだろ? もっと頑張って、お母さんに楽をさせてあげよう。君は田舎では神童って呼ばれていたんだろ? 君ならできる。できないって思っているから、高い能力が発揮できないんだ。君はお母さんの自慢の息子だ。お母さんのために必ずやる! この気持ちでいこう」

𠮟咤激励というより褒め殺しのような言葉をかけていた。

社員は号泣していた。

僕は気味が悪いので、すぐにそのバイトを辞めたが、不思議だったのが、この号泣した社員に限らず、社員全員が、本気で泣いて、本気で反省していることだった。休憩室で、偶然、社員が集まっているところに出くわしたのだけれど、「部長があんなに期待してくれているのに、俺たちはダメだ」と彼らが語り合っていたことを僕は今でもはっきりと覚えている。


今、水越賀矢がやっていることは、あの時の営業部長に酷似している。「G大学の小沼治美氏子。まだ、ペンダントが一つも売れていないんですって? あなたのような優秀な信者にそんなことがあるなんて、私は驚きです。心の底から売れると信じて売っていないから売れない! 小沼氏子。信じることを信じなさい!」

「ペンダント」の部分を、「万病快方飲料」に置き換えたら、あの営業部長そのままだ。そして、これを、マインドコントロールというのではないか? だとすれば、水越賀矢が若者を救うと言ったのは、やはり、嘘だったと僕は思った。しかし同時に、僕は、若者信者に対して幾らかの後ろめたさを感じていた。何故なら、僕は、若者信者を守ると自分に誓ったにもかかわらず逃げてしまったからだ。でも、僕にも言い分があった。かつての健康食品会社の時と同じで、若者信者も水越賀矢の言葉に対して、本気で反省し、本気で感動している。この関係性が生じている最中に、「君たちは、賀矢先生にマインドコントロールをされていると思うよ」と言っても無駄だ。だから、ひとまず撤退したのだった。


そのため、僕は、年末年始はほとんど書斎にいた。青年部の活動に参加していたら、逆に、ほとんどダムドール支部で過ごしていたはずだ。本当は、青年部の様子を先生に報告するためにもダムドール支部に行かなければならなかった。けれど、そういう事情で、今、僕は退避している。だから、牧多とも会っていない。そして、今、こうやってバスに揺られている。


僕は、家を出て以来、先生の好意で、家賃も光熱費も無しで書斎に住まわせてもらっている。でも、今から買いに行く食料品などの生活費は貯金を切り崩して買っている。バイトで貯めたお金が減りつつある中で、僕はこれからのことを考えた。何も良いことは思い浮かばなかった。年が明けたからといって、何もめでたいことなんてない。むしろ、僕を取り巻く状況は悪くなっている。僕は窓の外の寒々しい風景を眺めながら、そんなことを考えていた。


バスが駅前のバス停に止まった。僕はバスを降りて、近くにあるスーパーに向かった。

その時だった。

駅からスーパーに向かう道の真ん中で、言い争いをしている二人の男の姿が見えた。年配の男と若い男だった。若い女が二人を止めようとしていた。若い男は青年部の男子信者だった。女は女子信者だった。僕は声を出さずに三人のいるほうに向かった。いたずらに声を上げると、多くの人が気づく。まだ今は、近くの人だけしか三人のことに気づいていない。騒ぎが大きくならないように事態を収束しよう。僕は、自分でも意外なほどの冷静さで、三人のいる場所に向かった。


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