(選良)4

四.

十二時近くになっても、水越賀矢と牧多は戻って来ない。僕は支部を出て近くにある弁当屋で、生姜焼き弁当とインスタントの味噌汁を買って帰って来た。ストーブの上のやかんの湯で味噌汁を作ると、弁当を食べた。昨日、風邪気味で寝ていたので、まともに食べていなかった僕は、お腹が空いていた。閉め切った部屋には、豚肉の生姜焼きとインスタント味噌汁の匂いが充満した。空腹が満たされた僕は、そのまま眠った。まだ熱っぽいせいと朝早く牧多が迎えに来たせいだろう。

僕は夢を見た。犬と猫が登場する夢だった。犬はボーダーコリー、猫はアビシニアンだった。

僕の目の前をボーダーコリーが走り抜ける。次には、アビシニアンが走り抜ける。また次には、ボーダーコリーが走り抜ける。このように、ボーダーコリーとアビシニアンが交互に走り抜けるのだが、何度かに一度、ボーダーコリーの次にまたボーダーコリーが走り抜けた。ボーダーコリーの次にボーダーコリーが続くのは、一定の間隔ではなく不規則な間隔だった。でも、僕は、その不規則性の中に、実は、何か規則性があるのではないかと懸命にボーダーコリーとアビシニアンが走り抜ける姿を見ながら考えていた。そのうちに、アビシニアンの次にアビシニアンが走る現象まで起きた。もはや、お手上げだった。その時、体に強い痛みを感じて目が覚めた。体の痛みは、パイプ椅子に不自然な格好で眠っていたために生じた背中の痛みだった。


僕が目を覚ますと、目の前にパイプ椅子に座る信者たちがいた。演台には水越賀矢がいて傍に牧多がいた。

僕は不思議に思った。パイプ椅子は、若者信者達が並べたのだと思う。でも、僕は、眠る前、支部の真ん中に置いてある石油ストーブの近くにパイプ椅子を置いて、弁当を食べていた。それが、今、支部の隅に石油ストーブとともに移動している。僕がそのことを考えながら、みんなの様子を眺めていると、近くにいる信者が小さな声でこう言った。

「集会が始まる前に、何人かで、ストーブと一緒にそっちに移動させました」

パイプ椅子を並べる時、僕が邪魔だったから、何人かの信者で、僕ごと椅子を担いで移動させたのだ。そう言えば、眠っている時、体が揺れた記憶があった。わざわざ僕を乗せたまま椅子を移動させなくても、起こしてくれれば、一緒にパイプ椅子を並べるのを手伝ったのに、と僕は思った。

僕は彼を見た。彼の顔と名前は覚えていた。何故なら、彼は、記念すべきダムドール支部第一号信者だからだった。V大学経営学部二年の石本信弥だ。彼は緊張していた。他の信者も極度に緊張していた。P大学の森野香々美も緊張していた。彼女は勧誘の時、空を眺めながらのんびりとしていた水越賀矢と牧多を見て、入会したのである。今、彼女はこの状況をどう思っているのだろう?

それから、僕は、何故、彼らが僕を担いで椅子を移動させたかが分かった。極度の緊張状態にある時、人間は、不合理な行動を取ることがままある。彼らがそうだったのだ。水越賀矢が現れる前に、パイプ椅子を並べなければならないのに、支部の真ん中に石油ストーブの傍で居眠りをする僕がいたのである。緊張している上に彼らは焦った。結果、僕を起こせばいいだけだったのに、僕ごと椅子を担いで移動させるという普通ならあり得ない選択をした。緊張がそうさせたのだ。それにしても、わずかの間に、水越賀矢とは、彼らにとって、それほど恐ろしい存在になってしまったのか? 僕はこう考えた。彼らは、心に抱く罪業感を、決して、他人に知られることのない秘密にしているつもりだった。それを、水越賀矢に見抜かれた。そして、実は、僕にも見抜かれた。つまり、実際には、割とありがちなことで、大したことではない。けれども、気の毒だが、彼らは無垢だ。自らの最大の秘密を見抜いた水越賀矢とは、まさに神がかりだと信じてしまった。


演台には、水越賀矢が立ち、若者信者たちに説教をしていた。

「あなた達が恵まれていることは罪ではない。あなた達が恵まれない人のために何もせず、のうのうと生きてきたことが罪である。そのことは、あなた達にも分かっている。常に罪の意識を感じて生きてきたのだから。これからの修行により、あなた達は罪を償うのです」

水越賀矢のしわがれた声は、全ての若者信者の心に突き刺さった。

すると、僕の近くに座るV大学の石本が尋ねた。

「先生。罪を償うための修行とは、具体的には、弱い立場の人のために奉仕活動をすることでしょうか?」

水越賀矢は言った。

「いえ。あなた達には、まだその資格はありません。何故なら、あなた達自身が、弱い人間だからです。厳しい社会を生き抜く力もないあなた達には、人助けをすることなどできません。罪を償うためにも、修行で自らを鍛えるのです」

石本だけでなく信者は、全員、彼女の話に頷いた。

水越賀矢は、近くに控えている牧多に言った。

「牧多氏子。神様のペンダントをここに持って来てください」

牧多は、木箱を抱えて演台の上に置いた。木箱の側面には、「礼命会」の文字があった。先生が集会の最後に、信者に寄付を放り込ませる箱の小さいサイズのものだと分かった。箱の中には、蜘蛛のペンダントが五百個入っているのだ。不気味な気がした。

牧多が演台に木箱を置くと、水越賀矢は後ろに下がった。

そして、牧多が話し始めた。

「ここからは、礼命会最初の若者信者である俺、牧多賢治が説明します。賀矢先生のお話の通り、今のままの皆さんでは、社会の荒波にもまれて、木っ端みじんに砕け散ります」

いつもの愛嬌のある牧多ではなく、彼は冷たく言った。

「何故、君にそんなことが断言できるの? 君だって、私たちと同じ歳ぐらいでしょ?」

G大社会学部四年の杉川美華が反論した。四年生だけに、より切迫感があった。

「俺には、皆さんのような学歴も、裕福な経済力もありません。気まぐれで高校を一年で辞めました。でも、その分、社会に出たのが早い。しかも、皆さんのようなエリートコースではなく、社会の裏側を生きてきました。例えば、高校を中退してから、ニコイチを手伝って金をもらっていました。ニコイチ。あなたに分かりますか?」

牧多は、逆に、杉川美華に尋ねた。

「ニコイチ? 分からないけど?」

「ニコイチとは、事故車と事故車の破損していない部分を繋げて、一台の自動車に仕上げて販売する違法行為です。二台の破損した車から、一台の使える車を作るので、ニコイチと言います。他にも、サンコイチ、ヨンコイチもあります。見つかれば、即、逮捕されます。でも、金は儲かりました。出来上がったニコイチ車両は、足のつかないように外国に売り飛ばしました。今も、その車が、異国の地で元気に走っている姿を想像すると、何故だか、俺は、切ない気持ちになります。頑張れよって……」

牧多が遠い目をして話した。

二十人全員が、彼の話のリアリティに黙ってしまった。同時に、牧多の生きる世界に対して、自分たちの生きる世界が守られすぎていると負い目を感じた。僕は、水越賀矢が、牧多にニコイチの話しをさせたのは、それが狙いだと分かった。エリート信者たちは、牧多が過去に犯した違法行為を、タフさと錯覚してしまっているのだ。彼らのような世間知らずな若者には、往々にしてある錯覚だった。

それから、少しして、

「君みたいに、タフになれってことか。でも、一体どうすればいい?」

J大法学部三年の宮村静二が真剣な表情で尋ねた。彼はまんまと水越賀矢の策略にはまった。

「心配することはありません。皆さんは、神様に選ばれた二十人です。このペンダントを見てください」

牧多は、そう答えると、木箱から、蜘蛛のペンダントを一つ取り出した。

若者信者は、彼が掲げたペンダントを見た。そして、その不可解なデザインに何か深い意味があるのだと考えた。だが、不可解なデザインに意味があるのではなく、不可解なデザインのペンダントを使って、水越賀矢が、これから、彼らに、させようとしていることにこそ意味があるのだった。僕は、牧多の斜め後ろでうつむいている水越賀矢を見た。彼女は、今日の集会での若者信者の狼狽ぶりに、とても満足しているのが分かった。何故なら、彼女は、薄っすらと笑っていたからだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る