(選良)2
二.
水越賀矢は演台の縁に手をかけていた。黒いコートの胸ポケットに紫のバラを一輪あしらっていた。
椅子に座った学生たちは、背筋を伸ばし、真っ直ぐに水越賀矢を見ていた。彼らは凛々しかった。
水越賀矢は、彼らに向かって挨拶をした。
「改めて、ご挨拶申し上げます。礼命会ダムドール支部長兼青年部長の水越賀矢です。あなた達とともに信仰を深める喜びと、そのための指導をしていく重責を、今、感じています。あなた達二十人の信者は、神様に選ばれた栄えある信者です。あまたいる若者の中で、わずか二十人の中に選ばれた栄えある信者です」
そして、彼女は若者信者一人一人の顔を見た。
皆、誇らしげな表情になっていた。
そのことを確認してから、彼女はこう言った。
「でも、同時に、恥ずべきことでもあるのです。あなた達を神様がお導きになった理由は、あまたいる若者の中で、あなた達二十人が最も弱い若者だからです」
信者たちの動揺する声が僕のところまで聞こえてきた。
「賀矢先生。最も弱いとはどういうことですか?」
G大学の信者の一人が尋ねた。
水越賀矢は、こう答えた。
「ここにいる二十人は、みんな、恵まれすぎている若者だからです」
「恵まれすぎている?」
「そう。あなた達二十人は、みんな、お金持ちの家に生まれたお坊ちゃん、お嬢ちゃんです」
僕は、水越賀矢の言葉を聞いて、G大学の学生だけじゃなくて、全員、金持ちなのかと驚いた。
牧多も、「富裕層の子どもたち」と呟いて彼らを見た。
でも、当の若者信者二十人は驚いていなかった。それより、気まずい顔をしていた。
「高学歴富裕層信者の皆さん。改めて、こんにちは」
水越賀矢は、右手で髪をかき上げながら、そう言った。
そして、その右手をいきなり僕のほうに向けて指さし、
「皆さん。ダウンジャケットを着た彼に注目してください! 彼のお父さんは、一年中、他人の家の草むしりをしてお金をもらっています。そして、お父さんが周期的に精神のバランスを崩すのを嫌って、彼は、今、家出中です」
と言った。僕は、何を言い出すのかと思った。次に、彼女は、牧多を指さし、
「坊主頭の彼のお父さんは、腕のいい中華料理人だった。でも、商売が下手だった。だから、店にはいつも閑古鳥が鳴いていた。それが、ある日、脳の血管が破裂して、お父さんは死んだ。それは、彼が礼命会に入会して一カ月後のことだった。彼は奇蹟が起こったと喜んだ。実際、以降、彼の人生は好転し始めた」
と言った。
更に、水越賀矢は、
「そして、私の父親はアルコールとギャンブルに溺れた男だった。私が中学生の時、借金取りに追われて逃げる途中に車にはねられた。その場で、彼のお父さんと同じように死んでくれたら良かったのに、植物人間になって、未だに生きている。奇蹟は起こらなかった」
と自身の父親についても語った。
「みんな、どう? どうしようもない父親ばかりでしょ? そんな親の下に生まれると苦労ばかり。でも、一つだけ良いことがある。それは、どうしようもない親の下に生まれた子どもはタフになるっていうこと」
水越賀矢は再び演台の縁に手をかけ、二十人の若者信者を見渡した。
僕は、みんなが僕のことを笑っているのではないかと思いながら、様子を見た。僕のことを笑っている者はいなかった。若者信者は、何故か、申し訳なさそうにうつむいていた。
「親父が死んで兄貴が店を継いだ。俺は兄貴を説得してスーパーミネザキとの間で総菜を売る契約をさせたんだ。スーパーミネザキの跡取りは俺の幼なじみだから、話はすぐにまとまった。俺はこの話のコーディネーターだ。だから、毎月売り上げの10%を俺が兄貴からコーディネイト料として受け取っている。店も儲かり、俺も儲かる。万々歳だ。でも、あの時、オヤジが死んでなかったら、今も貧乏だった。考えただけでゾッとするよ」
牧多は、二十人の信者に、例のコーディネイト料の話を聞かせた。
この時も、信者は、皆、うつむいていた。彼らは、僕ら三人の話を聞いて、憐んでいるわけでもなく、蔑んでいるわけでもなかった。僕は気づいた。彼らは、皆、後ろめたさを感じているのだった。彼らが感じている後ろめたさを、僕ら三人が感じることはない。それはある意味で、特権的なものだからだ。その後ろめたさとは、彼らが富裕層の若者信者だからこそ抱く「罪業感」のことだったからだ。
これから、水越賀矢が何をするつもりなのかは分からない。
でも、彼女は何かをする際に、必ず、彼らが抱く罪業感を利用するつもりだと僕は思った。彼らが抱く罪業感とは、ひと言で言えば、「自分だけ恵まれていていいのだろうか」という、僕から言わせれば、とてもナイーブな感情のことだ。もちろん、金持ちに生まれても、罪業感など抱かない者も沢山いる。だが、中には-特に思春期の頃、「世の中には貧困な人が沢山いるのに、自分だけ恵まれていていいのか」という罪の意識を感じる者がいる。こういう意識は、古今東西、いつの時代にも、どこの国にもある。そして、現代のこの国の貧富の差は不幸にも広がるばかりだ。だから、ここにいる富裕層若者信者の罪業感は増す一方だった。
彼らのもう一つの共通点。二十人の信者全員が、大学生である理由について僕は改めて考えた。ある考えが浮かんだ。それは、水越賀矢自身の「学歴」へのこだわりではないかということだった。彼女は牧多と同じく高校を一年で中退した。しかし、彼女は、牧多のように未練なく高校を辞めたのではないような気がする。複雑な事情があり、辞めざるを得なかった。頭の良い彼女は、本当は大学進学を希望していた。それが叶わなかったことが、彼女の中に学歴へのコンプレックスを生んだ。そして、神の意志にその部分だけ彼女の意志を加えて、大学生ばかり二十人を選んだのかもしれない。僕は、僕の両親が学歴のことで苦労してきた姿を見てきた。その経験からこういう推察をした。おそらく間違っていると思う。でも、僕の中では、この考えに最もリアリティを感じた。
二カ月もの期間をかけて、懸命に勧誘した若者たちは、金持ちのエリート大学生で、しかも、罪業感を抱くナイーブな若者ばかりだった。水越賀矢からすれば、それが、彼らの弱みだ。これから、彼女が、彼らの弱みをどのように利用するかを考える時、僕には、ネガティブな予測しかできなかった。だとすれば、僕は、勧誘活動を通じて、既に彼女の悪巧みの片棒を担いでしまったことになる。ならば、片棒を担いでしまった人間として、僕には、水越賀矢を監視し、若者信者を守る義務があると思った。他者に関して、無関心な僕が、この時は、何故か、まともな正義感を抱いた。何故だろう? それはおそらく、彼らを守ることにより、僕自身のプライドを守りたいからだ。僕の家は、ストレートに言えば貧乏だ。でも、だからといって、金持ちを妬んでいるとは思いたくないし、思われたくない。そのためには、彼らを守ることを通じて、僕は金持ちに対して、何のコンプレックスも抱いていないことを自分自身に証明したい。本当は、こんなことを考えている時点で、既に僕はコンプレックスを抱いているのかもしれない。でも、心の中に純粋に正義感を抱いた僕が存在するのも事実だ。人の心は多面的で複雑だ。大事なのは、心のどの面を切り取るかではないか。僕はそう思う。
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