第二章(勧誘活動)

一.

『ダムドール』の看板は、元々は、紫色に黒字で書かれていた。今、看板は白地に塗りかえられ、その上に、『礼命会ダムドール支部』と黒字で書かれている。牧多が商店街の向いの乾物屋から借りた梯子を上って、看板を白のペンキで塗った。次に、水越賀矢が梯子を上って文字を書いた。看板を立てかけたままの状態で、梯子に上ってペンキ筆で書いたのだが、書家が書いたのかと思うほど達筆だった。その間、乾物屋の他に商店街の店主が何人か、牧多と彼女が梯子に上ってペンキを塗るのを見ながら話をしていた。

「水越さんは、服屋をやめて礼命会の支部をここに作るのか? 礼命会って宗教団体だよな?」

「そうだ。でも、礼命会なら、この前も新聞に出てたけど、地域に色々と貢献しているし、真面目な宗教団体だから安心だよ」

商店街の店主の会話を聞いて、僕は、彼女が、僕らに懇願してまで、礼命会に入会した意味を実感した。

僕は、パンクファッション専門店として、十五年も繁盛した店をやめてまで、宗教家に転身する彼女の決断には未だに疑問を感じる。繫盛していた服屋から転業したのが『礼命会ダムドール支部』である。理解できる人は極めて少ないはずだ。でも、自分で宗教団体を立ち上げるのではなく、礼命会の支部として宗教活動を始めた彼女の判断が正しかったことを、この時、僕は認めた。商店街の店主の会話は、知らない宗教団体だった場合は、怪しいから出て行ってもらうという風にも聞こえたからだ。


水越賀矢の入会式から、一カ月が過ぎ、九月半ばになっていた。店の看板を塗り直す以外にも、店内にあった商品棚や台、それに、ガラスケースを処分した。僕のバイト先のリサイクルショップではなく他の店で買い取ってもらった。バイト先に顔を出せる状況ではなかったからだ。買い取り値はまずまず妥当だった。その後、先生が、ダムドール支部を訪れた。「神入れ」の儀式のためだった。神入れとは、礼命会にある「握手の絵」と同じ絵を支部に置き、先生が祈りを捧げる儀式だった。それにより、ダムドール支部にも、礼命会の神が宿ることになる。と、僕たち三人は先生から説明を受けた。先生が商品棚も台もなくなり、本当に空っぽになったダムドール支部の奥に木製の台座を置いた。そして、その上に握手の絵を置いた。先生は祈りを捧げた。僕たち三人は、先生の後ろで絵に手を合わせた。先生の祈りはくぐもった声で何を言っているのか分からなかった。でも、絵のことを「握り手様」と何回も呼んでいるのが分かった。皆、あの絵は、握り手様というのかと手を合わせながら思った。

儀式が終わってから、僕は、先生に改めて尋ねた。

「先生。あの絵は握り手様と言うんですね。どのような御神体なんですか?」

「礼命会の心である、『ともに生き、ともに幸せになる』です」

先生は笑顔で以前と同じことを言った。

「そうではなくて、いわれと言うか、つまり、この絵は何ですか?」

僕は少し苛立ちを覚えながら尋ねた。

「信者様の解釈のままに」

先生は、やはり、答えなかった。

僕は諦めた。


僕たちは儀式が終わった後も、立ったまま話をした。ここには椅子がなかった。服屋の時から、狭い店内に椅子を置くスペースはなかった。だから、何もない部屋でコンクリートの床に立ったまま、皆で話をした。九月半ばの爽やかに晴れた日だった。しかし、ダムドール支部の中に陽の光は入らず、コンクリートの床は、ひんやりと冷たかった。握り手様の絵以外、何もないこの場所に、やがて信者が集まるのかと想像してみた。でも、僕には、実感が湧かなかった。それから、ふと思い出した。今、P大学の夏休みが明けて、定期試験が実施されているのだった。試験を受けない僕は、かなりの確率で留年する。にもかかわらず、僕は何の不安も感じていない。先生、水越賀矢、牧多と一緒にいるこの時間が、僕のリアルな時間だと感じた。あの違和感と生きにくさに襲われる大学生活に戻る必要がどこにあるのか。最近は、そう思うようになっていた。


両親からは、時々、スマートフォンに電話がある。僕は電話には出ない。両親も出ることを期待していない。電話が繋がることで、安否確認をしているのだと思う。最初、スマートフォンの着信音が一回鳴って、すぐに切れたので、いたずら電話かと思った。でも、着信履歴に自宅の表示があった。それからも、時々、着信音が一回だけ鳴り、着信履歴に自宅の表示が残っていることがある。気になるのなら、直接、僕を探せばいいのにと思うのだが、それはしない。だから、もしかしたら、電話を一回鳴らすことが、両親なりの僕への精一杯の愛情表現なのかもしれなかった。本当のところは分からない。けれど、僕はそのように解釈しておくことにした。

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