(ダムドール)6
六.
牧多が、礼命会に入会したい知り合いがいると先生に伝えたのは、僕が水越賀矢に会った翌日だった。「すぐにでも、お会いしましょう」と先生は言った。だが、先生は忙しく、実際に会えたのは、翌週の集会の日の午前中だった。先生は、午後に集会のあるこの日しか教会にいなかった。
牧多の車の助手席に乗って初めて教会を訪れた水越賀矢は、広場に立って深呼吸した。
「丘に上がるだけでも空気が違うのね。風も涼しい」
彼女は黒の薄手のジャケットを羽織っていた。ヨレヨレのジャケットだったけど、彼女が着るとサマになっていた。牧多は、落ち武者の生首のイラストが描かれた黒のTシャツを着て、左耳に天狗のピアスをしていた。不気味だけれど、よく似合っていた。僕は、書斎を出て教会の入り口から、広場にいる二人を見ていた。パンクバンドのヴォーカルにベーシスト、そんな感じがした。もちろん、ヴォーカルは水越賀矢である。
僕は、先生に言われた通り、二人を面談室に案内した。それから、三人で先生を待った。面談室は、信者が個別に先生に相談をする部屋で、テーブルと椅子以外は何も置いていない。話に集中できるため、信者の相談以外にも、先生はこの部屋をよく利用する。先生は教会で集会の準備をしてから来る。しばらく時間がかかった。牧多はピアスを外して天狗の鼻を触っていた。水越賀矢は目をつむっていた。止まっているのかと思うほど静かな呼吸だった。僕は先生のことを考えていた。先生は、どこに住んでいるのか分からない。家族がいるのかどうかも分からない。僕は、先生には家族はいないと思っていた。その根拠は、初めて、先生に会った日に僕を乗せたワゴン車にある。ワゴン車の側面の「神と真と愛 礼命会」の文字は、良い意味ではなく目立つ。そのワゴン車を先生は、プライベートでも使っている。家族がいたら、あの車に乗るのを嫌がるだろう。だから、先生は独り身だと思った。
そんなことを考えながら、牧多と水越賀矢と一緒に、僕は面談室で先生を待っていた。すると、先生が面談室に入ってきた。水越賀矢を見ると、にこやかな笑顔を見せて自己紹介をした。
水越賀矢は、先生の顔を知っていた。彼女も新聞記事で、先生の顔を見ていた。記事の写真と同じく、やや怪しげな人物だと思った。先生は、僕と同じだった。店の名前は以前から知っていたが、店主の水越賀矢のことは、この時、初めて知った。無気力というのとも違う、脱力感のある女性だと思った。
それから、少し話をした。先生が、礼命会について説明した。丘の上の教会は建設されて八年ということだった。その時、正式に教団も設立されたと先生は言った。わずか八年で、ここまでになったのかと僕は改めて驚いた。
先生の説明を聞いていた水越賀矢が尋ねた。
「礼命会には教典はないのでしょうか?」
「そうですね。教典はありません。『ともに生き、ともに幸せになる』。これが唯一の教えです。この教えにのっとり、私は集会で話します。その話が講話集として所蔵してあります。講話集を参考に信仰を深めていただければと思います」
彼女はその説明を聞いて、何かじっと考えていた。
僕は、講話集って、あの「世界は飢餓に襲われている!」という寄付を煽る話のことかと思った。そして、何故か、僕が恥ずかしくなった。
牧多の紹介でもあり、話してみて、問題のある人物でもないので、
「入会の手続きをしましょうか。幾つかの書類にサインをするだけの簡単な手続きです」
と先生は入会の手続きに入ろうとした。
その時、水越賀矢が言った。
「すみません。私からも少しお話があります。聞いていただけますか?」
彼女には、あらかじめ先生に了解してもらわなければならないことが沢山あった。
先生は手を止めて彼女を見た。
彼女の前に、牧多が少し先生に話をした。彼が昔から通っているパンクファッション専門店を水越賀矢が閉じるつもりでいること。そのことが、愛好家にとっていかに残念なことか。つまり、それだけ強い覚悟を持って、彼女は宗教家に転身するつもりなのだ、と牧多は先生に熱っぽく語った。それから、水越賀矢が本題を先生に話し始めた。彼女は静かに丁寧に説明した。彼女のしわがれた声には、それだけで説得力があるように思われた。
だが、当然と言うべきか、先生は、彼女の話を聞きながら、「分からないなあ」と首をかしげるばかりだった。
特に神がかりになった彼女が礼命会に入会することについては、
「二重信仰を必ずしも否定しないけれど、あなたが、あなたの言う通り神がかりになっているのなら、それは無理です。礼命会に別の神様が入って来ることになる。あなた自身が神も同然なのだから」
と言った。先生は宗教家だけに、彼女が神がかりになったと話しても特に驚かなかった。
「そのことは分かっています。でも、神様が礼命会に入信せよとおっしゃるんです」
彼女が震えるような声で訴えると、
「あなたに乗り移った神様が、別の宗教の神様の信仰をしろと言う? 頭が混乱する」
先生は困惑した。
だが一方で、
「立ち上げたばかりの宗教団体より、ある程度、認知されている礼命会に入って勧誘をするほうが、多くの若者を救える。この考えは理解します。苦しむ若者を救うことが何よりも優先される。確かにその通りです」
と、彼女の考えに理解も示した。
先生は結論は出せなかった。部分的に否定はしても、全否定はしない。時には肯定もする。先生は悩んでいた。水越賀矢の入会を認めることは、礼命会にもう一つ別の神が入って来るということだ。教団が混乱することは容易に想像がつく。ならば、礼命会を守るために先生は、水越賀矢の入会をきっぱりと断るべきだった。だが、先生にはそうできない事情があった。
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