(ダムドール)3

三.

牧多の車には、ラジオとエアコンの装備以外は何もついていなかった。僕はラジオをつけた。天気予報が流れた。八月の天候は、これから、例年より涼しくなるとのことだった。僕の記憶では、八月は真夏日が続くはずだった。半月以上、教会にいる間に、天候まで変わった。僕は、リサイクルショップのことを思い出した。いつまたバイトに戻れるだろうかと思った。そして、父のことを考えた。まだ機嫌が悪いままだろうか? そろそろ、「何でも屋」も辞める頃だろうか? でも、その時、大学のことは、全く思い出さなかった。自分の中の優先順位が著しく低いからだった。


牧多のドライブは僕の予想と違った。僕は、その辺りを一回りして教会に戻ると思っていた。だが、車は丘を下り、街に出て、更に、どこかへ向かっていた。

「牧多。どこまで行くんだ?」

「もうすぐだよ」

牧多は、どこへ行くとは答えずに車を走らせ続けた。駅前を通り抜け、繫華街も抜けたところで車を止めた。駐車場ではなく、古い商店街の入り口辺りに車を路上駐車した。僕は、牧多に駐禁の切符を切られるのではないかと言ったが、こんなところには警察も来ないと彼は答えた。確かに、閑散とした商店街だった。牧多が商店街を奥に進むのでついて行くと、彼はある店に入った。僕は店には入らず、看板を見た。『ダムドール』と書かれていた。僕は気づいた。僕はこの店を知っていた。この店は、町に一件しかないパンクファッションの専門店だった。割と有名な店で、僕と同じように実際に訪れたことはなくても、店のことは知っている人間が多い。入り口の窓ガラスに、「タトゥー、ピアッシング専門店への取り次ぎ承ります」と貼り紙があった。僕はそれを読んで、少し緊張しながら店に入った。


店内には商品がなかった。牧多が着ているようなパンクバンドのプリントTシャツも、ダメージジーンズも何もなかった。商品が置かれていない棚や台だけだった。そのため、狭い店内のはずが、ガランとして広く見えた。

「杉原。この人が店長さん」

牧多の声がするので、僕は店の奥を見た。

牧多と並んで立っている女がいた。

背の高い牧多と並んでも、それほど変わらない感じがする痩せた女だった。

年齢は不詳。僕らより上で、先生よりは下ということぐらいしか分からなかった。

髪の毛は整えていないが、それがそのまま無造作な髪型になっていた。薄手の白の長袖シャツに細い黒のネクタイを緩く締めていた。下は細身の黒のジーンズに同色のショートブーツを履いていた。

「初めまして。店長の水越賀矢です。といっても、店の中は空っぽなんだけどね」

彼女は笑いながら挨拶をした。しわがれた声のせいもあってか、全体に虚無的な感じのする人だった。でも、笑うとくしゃくしゃの笑顔になった。僕は、その落差を彼女の魅力と捉えた。牧多も、好ましい様子で彼女の笑顔を見ていた。

自己紹介の苦手な僕は、早口で自分の名前と大学名を言って終わらせた。そして、それをごまかすかのように、

「商品がないのは、何故ですか?」

と彼女に聞いた。

すると彼女は、

「この店をね、教会にしようと思って。どうしてかっていうと、私、神がかりになったから」

と言った。

彼女は、当たり前のことのように神がかりと言った。僕の頭の中には、書斎で読んだ本が浮かんだ。

僕は牧多を見た。相変わらず笑顔で水越賀矢を見ている。ということは、彼女が神がかりになったことも、神がかりとは何なのかも牧多は知っているということだった。知っていて、僕を彼女に会わせるために、この店に連れて来たのだ。では、僕を彼女に会わせる目的とは一体何なのだろうと思った。

それと、「私、神がかりになったから」と当たり前のように言う水越賀矢という人に、僕は、かなりの疑問と不安を感じた。

そこで、僕は、少し考えて、こう尋ねた。

「神がかりというのは、神様が乗り移ることですよね。だとすると、今、水越さんに神様が乗り移っているということになります。尋常なことではありません。水越さん。大丈夫ですか?」

すると、水越賀矢は、

「大丈夫? 神様が私に乗り移っているのよ? 大丈夫でいられると思う? 私は、今、神命を果たさなければならないことに焦っている。牧多君に、今日、あなたをここに連れて来てもらったのも、一刻も早く神命を果たすためなの。私は、神がかりになったにもかかわらず、まだ何もできていない!」

こう叫んだ。

僕と彼女の「大丈夫」の意味は違った。でも、僕は何も言わなかった。


水越賀矢は、壁にもたれて話をした。僕たちは、店の真ん中にある木製の商品台に腰をかけて話を聞いた。台は椅子と同じくらいの高さだった。僕らは自然な姿勢で座った。僕は、木製の台やガラスのショーケースを見て、中古の買い取り価格を無意識に計算していた。こういうものを見ると反射的に買い取り価格を計算してしまう。リサイクルショップでアルバイトをしている習慣だった。特に高価なものではなかったが、木製の台やガラスのショーケースは汎用性があるのでよく売れる。だから、買い取り価格も悪くない。そんなことを考えながら、僕は彼女の話を聞いた。


「神がかりになったのは、今年の春だった。地獄絵のような夢を見たの」

彼女は、そう言うと目を閉じた。

水越賀矢は、店の二階を住居にしている。店舗と同じ狭い部屋だった。小さな台所にシャワー室とトイレ。それに、畳の間があるだけだった。彼女は、春先に風邪を引いて、病院にも行かず働いていたため、高熱を出して寝込んだ。その夜、彼女は熱にうなされながら神の声を聞いた。「若者を救え。時代の中で、若者は苦しんでいる」と繰り返し神の声が聞こえた。その内、目の前に地獄絵のような光景が現れた。沸騰して泡が噴き出す血の池に、多くの若者が溺れていた。若者の「助けてくれ!」という叫び声が聞こえてきた。彼女は、どうすれば、血の池で溺れている多くの若者を助けられるのか知りたいと思った。「知りたいか?」と神の声が聞こえた。彼女は「はい。知りたいです」と答えた。そう答えた瞬間、「よし!」という神の声とともに、彼女の体に神が入った。彼女は、はっと目が覚めた。夢だったのかと思った。だが、すぐに夢ではないと思った。彼女は雨戸を閉めないまま寝込んだため、朝の陽ざしが窓から入ってきていた。汗をかいたためか、熱が下がっていた。

「熱が下がったのは、汗をかいたためではない。神の力だ」

彼女は、そう呟くと布団から出て立ち上がった。

そして、水越賀矢は右手を畳につけると、「えい!」と逆立ちをした。彼女は、右腕一本で逆立ちをした。そのままの状態で一時間が過ぎた。朝日が窓から降り注ぐ中、彼女は、自分が神がかりになったことを知った。


僕は、彼女の話を聞いて、そんな話は嘘だと一蹴することはできなかった。信じることもできなかったが、教会の書斎であの本を読んだため、全く否定することもできなかった。巨岩を軽々と持ち上げる○○教祖の話だ。他にも、新興宗教の教祖に関する本の中に、同じようなエピソードが幾つも載っていた。大牛を指一本で持ち上げたとか、そういう奇蹟を示すエピソードがあった。だから、何も言わず、彼女の話の続きを聞くことにした。牧多も、何も言わず水越賀矢の話を聞いていた。僕よりも、肯定的な表情に見えた。


水越賀矢は、僕や牧多と同じこの町で生まれ育った人間だった。僕よりも家族関係は悪く、経済面でも、僕や、父親が生きていた頃の牧多の家よりも悪かった。そんな環境で育った彼女は、牧多と同じく高校を一年で中退し、仕事を転々とした後、この店を始めた。『ダムドール』という店名は、自分の情念を凝縮させた名前なのだと彼女は言った。よく分からなかったが、その話をする時の彼女の気迫は僕にも十分に伝わってきた。彼女は希薄な人間関係と貧困の中で育った。自分の人生が、いつも薄い色の不幸に覆われている気がした。パンクロックを中学の時、同級生の部屋で聴き、そんな日常から逃げるように、のめり込んでいった。高校を中退してから、知り合いの運送会社に何年か勤めた。事務の仕事からトラックの洗車までする雑用係だった。無目的な日々が流れた。そんなある日、パンクファッションの店を持つと決心した。そして、運送会社を辞めた。

「運送会社の雑用係では、いつまで経っても、開店の資金は貯まらない。だから辞めた。それから、早く多くお金を稼ぐために、道路工事、水道管工事、ビルの建設工事をやった。家屋の解体作業もやった。女だから、からかわれることも、作業中にお尻を触られることもあったけど、セクハラだって抗議している暇もなかった」

彼女は皮肉っぽく笑った。

牧多も笑った。僕は気まずくてうつむいた。

三年の後、彼女は今の店を開店した。それから、長い歳月が流れ、彼女の店は、パンクロックに詳しくない僕ですら知るほど、有名な店になった。

「店を始めてもう十五年になる。私なりに頑張って、ここまで来た。もっとやれる気がする。でも、私は、若者を救うという神命のため、この店を閉じる」

彼女は商品が無くなり、ガランとした店内を見渡しながら言った。僕はその様子を見て、彼女に未練がある気がした。

「お店の営業を継続しながら、若者を救うための活動もできると思うんですが? 何故、お店を閉店するんですか? お店を教会にする必要は本当にあるんですか?」

僕の問いに、

「私だって、できれば、そうしたい。でも、神様の声が聞こえる。店を閉じ、そこを教会にせよって。だから、そうするしかない」

と、彼女は答えると、目を閉じ、手を合わせて天に向かって拝んだ。背が高く虚無的な感じのする水越賀矢が、一心に神に祈りを捧げる姿は、どこか矛盾している気がした。しかし、だからこそ、その姿は、神秘的な魅力を伴って僕の目に映った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る