第二部 第一章(ダムドール)

一.

八月に入っていた。礼命会に入会してから、しばらく経った頃だった。僕は家を出た。父が僕に対して不満を爆発させたのだ。

「最近、よく出かけているようだが、勉強もしないで何をしているんだ?」

僕は礼命会に入ってから、遅く帰宅することが続いていた。そのことを父は言っていたのだ。

だが、父が不機嫌になったのは、僕のことが原因だとは言い切れない。きっかけではあるけど、父が不機嫌になるのは周期的なものだった。そして、一度、機嫌が悪くなると一月や二月は治らない。その間、母も僕もひどく気を使う。暴力を振るうようなことはないのだけれど、逆に、父自身が突然、泣き崩れたりして、どう扱っていいのか分からないのだ。父の混乱期-と僕は呼んでいる-の収束後、父は必ず転職した。職場でも同じらしく、気まずくなって職場にいられなくなるのだ。父は宿命的に心のバランスが悪い。父の責任ではないから気の毒には思うが、家族にとっては迷惑でもある。僕はその夜、父から色々と聞かれたが、曖昧な返事しかせず、またきちんと話すと約束をして自分の部屋に戻った。その間、母はうつむいたままだった。部屋に戻った僕は、眠った振りをした。それから、夜中に起きて荷物をまとめた。翌朝、両親が起きる前に家を出た。そして、すぐバスに乗って教会に向かった。朝早いので、教会に先生はいなかった。僕はショルダーバッグからスマートフォンを取り出し先生に電話をした。三十分ぐらいして先生はワゴン車で教会に現れた。


先生に相談したのだけれど、「困ったな。お父さんの混乱期と言われても」と繰り返すだけだった。

僕も切羽詰まっていたから、思い切ってこう言った。

「先生は言いましたよね? 僕は特別な氏子だって? だとしたら、特別な計らいがあってしかるべきだと思うんです。今がその時ではないでしょうか?」

と、先生と初めて会った日に言われたことを持ち出した。

事実、僕の何が特別なのか、ずっと気になってもいたのだ。

「君は特別な氏子じゃないか! 今、礼命会の信者の中で、牧多君と杉原君だけが、飛び抜けて若い。若さには未来がある。これ以上に特別なことはない。いや、君たちだけの特権と言ってもいい」

先生は力説した。嘘で言っているのではなかった。でも、僕は、そんなことかと、がっかりした。

そういう意味での特別だったら、入会式の日に既に気づいていた。牧多のような若者が信者の中にいることに驚いたぐらいなのだから。


「先生。率直に言います。僕はどこにも居場所がないんです。僕は、今、リサイクルショップでアルバイトをしています。家具と電化製品の中古品を扱っている小さな店です。そこで、僕は、店が買い取った中古の家具の汚れを拭きとっています。他のバイトの店員と一緒に店の裏の倉庫でやっています。みんな、僕と同じで、他人との付き合いが苦手な人間ばかりです。だからこそ、お互いに何となく折り合いがつけられます。僕の居場所はバイト先と家だけです。でも、父の混乱期により家を出てしまった今、僕は、アルバイト先にしかいられなくなりました。だからといって、まさかアルバイト先に寝泊まりするわけにもいきません。中古のベッドはありますが、それも売り物です。先生。僕は、もうどこにも居場所がないんです」

「大学はどうなんだい?」

「僕が大学のキャンパスの芝生に喜んで座っていられる人間に見えますか?」


先生は、僕の痛切とも言える訴えを聞いて、さすがに、心が揺れたようだった。

「杉原君も、礼命会の信者である限り、君だけを特別扱いするわけにはいかない。でも、現実問題として、君の居場所がないことを知って、そのままにしておくわけにもいかない。だから、君の居場所を提供する。ついてきなさい」

先生は教会の奥にある扉を開けて、僕についてくるように促した。

僕は先生の後をついて、暗い廊下を歩いた。教会にはこんな廊下があるのかと思った。突き当りのドアを先生は開けた。僕も後に続いた。中に入ると書斎のような部屋だった。そして、ベッドがあった。

「もう十年近く前になるが、この教会を建てた当時、私が、書斎として、使っていた部屋だ。ベッドもあるから寝泊まりもできる。隣にはシャワーとトイレもあるし、小さなガスコンロもある。杉原君が生活する分には不自由はないと思う。良かったら、この部屋で当分、生活しなさい。もちろん、家賃も光熱費もいらない」

先生は、僕に新たな居場所を提供してくれた。

「杉原君。これが教会とこの部屋の合鍵だから。施錠はきちんとするように」

と言って、先生は僕に鍵を渡すとそのまま教会を出て行った。

ワゴン車が発進する音が書斎まで聞こえた。僕は広い書斎に一人残り、これからどうすべきかを考えた。まず、アルバイト先に電話をした。リサイクルショップの店長が出た。

僕は「大学で夏休みの合宿があるのでしばらく休ませて欲しい」と言った。朝起きたら、僕がいないのだ。いくら親子関係の希薄な両親であっても、僕を探すだろう。その時、まずアルバイト先に行くはずだ。そこにしか僕の居場所がないことは両親も知っている。だからこそ、店長に迷惑をかけないため、事前に電話をしておいた。『店長は関係ない。僕の意志で、合宿という嘘をついてまで身を隠しているのだ』と両親に分からせるためだった。


「合宿が終わったら連絡してくれ。その時、まだ店が潰れていなかったら、また来いよ」

店長はそう言った。冗談を言う人ではないので僕は心配になった。でもその後、笑ったので、冗談だと分かった。僕は、僕や僕より無愛想なアルバイトにも気さくに接してくれる店長のことを考えた。そして、またアルバイトに戻れるだろうかと不安になった。僕は入信したことにより、大切な居場所を失ったのではないか? だとすれば、何のための信仰だろうと思った。でも、それは違った。僕は自分の意志で家を出た。その時、アルバイト先のことについても覚悟した。だから、信仰とは関係ない。僕は両親との関係に不具合を感じながらも、そのままにしてきた。もし、信仰と関係があるとしたら、きっかけだ。入信をきっかけに、両親との関係を考え直そうと家を出た。僕は、もう何事もそのままにしておくのは、やめようと思った。


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