(ハイカットスニーカー)3

三.

牧多の実家の中華料理店は、兄が継いでから、危機的な経営状態に陥っていた。でも、牧多の兄が父親より劣っているというわけではなかった。父親と同じく料理の腕は良かった。牧多は、時々、実家に帰ると兄の作った料理を食べた。父親の味をそのまま受け継いでいた。問題は、兄が父親の商売の下手さまで受け継いでしまったことだった。

「アニキは、オヤジの下でずっと真面目に修業をしてたから、オヤジの味を受け継いでいた。ついでに、商売が下手なのも受け継いでいた。そこで、俺は、峰崎に相談したんだ」

「実家の店が潰れそうなんだ! 助けてくれー! てね」

牧多はふざけて大声を出した。僕は、深刻なはずの身の上話を明るく話す牧多が不思議だった。でも、今、大声を出して笑った彼を見て気づいた。彼は暗い環境で育ったことが影響して、心の中に離人感のようなものがあるのだ。それが分かるのは、僕にも同じような感覚があるからだ。僕も、自分の不幸も、他人の不幸も笑うようなところがある。他人の不幸を笑うのは、僕がひねくれているからだ。でも、自分の不幸まで笑うのは、自分が生きていることに対して、ひどく距離感があるからだった。牧多を見ていると、僕より重度の離人感に侵されている気がした。


牧多の計画は、スーパーミネザキに、兄の作る中華料理を総菜や弁当として置かせて欲しいというものだった。大声を出してふざけた牧多の口から出た話は、極めてまともなものだった。僕は意外な気がしたほどだった。

父親が死んだことに同情している峰崎が、協力しないはずがなかった。峰崎は、早速、父親に相談してくれた。数日後、峰崎から電話があり、牧多の兄とともに、峰崎の会社に来てくれと言われた。

「その後は、とんとん拍子に話が進んでさ。アニキの作った料理をスーパーの総菜コーナーに置いてくれるようになったんだ。しかも、弁当まで頼まれて。アニキの作る総菜は評判が良くて、置いてくれる店舗も増えた。今じゃ、店のほうは閉めて、調理場を拡張して、スーパーミネザキ一本に絞ってやってる。母さんも、手伝ってるけど、人手が足りないから、従業員まで雇ってるんだ」

牧多は嬉しそうに話した。

「それこそが、神の御業だよ。奇蹟だよ。僕は今日、入会したばかりだから、宗教のことも信仰のことも分からないけれど、それこそが宗教であり信仰だと思う。みんなが幸せになれたんだから」

僕は初めて、牧多の笑顔と彼の話す事実が一致していることに、ほっとしながらそう言った。

僕が素直に褒めたので、

「そうだろ! これって、やっぱり、神の御業だよな。それに、奇蹟だよな。やっぱり、礼命会に入会して良かった」

と牧多も喜んだ。

先生も、

「今日、杉原君に牧多君を引き合わせてくださった神様に感謝するばかりです。礼命会とは何かについて、杉原君にご理解いただけたと思います」

とその場で手を合わせた。


僕は店の時計を見た。もう七時になっていた。

「長く話をしてもらってしまった。明日も仕事で忙しいんだろ? スーパーって朝が早いから」

僕は牧多のことを気づかって帰ろうと思った。

すると牧多が、

「スーパーは朝早いよ。それに、アニキと母さんは早くから仕事さ。でも、俺は何もしないから大丈夫だよ。よかったら、今から飲みに行ってもいいぜ」

と僕の気づかいとかみ合わない返事をした。

「君は全く総菜の仕事には関わってないの?」

「いい大学に行ってるのに、君はバカだなあ。人間、頭を使わないと。俺は、アニキの店と峰崎のスーパーの間を取り持って、コーディネイトしたコーディネーターなの。だから、毎月、アニキの店の売り上げの10%をコーディネイト料としてもらっているわけ。分かる? 大学生?」

牧多は僕をバカにしたようにそう言った。

あくまでも仮にだけれど、店の売り上げが、月一千万円だとしたら、彼に百万円お金が入ることを考えると、先ほど、素直にこれこそが信仰だと言った自分の発言を訂正したいと思った。

そして、実際、「それはちょっと違うと思う」と言いかけた時、

「杉原君。全ては神の御心のままに。近視眼的ではなく、君も神様の眼を養いましょう」

と先生が言った。

僕は何も言えなくなった。


牧多と別れると、僕は先生の車で、今日、胃痛で倒れたコンビニの前まで送ってもらった。

先生は別れ際に、

「生きることが、決して、綺麗ごとでは済まないように、生きることに寄り添う信仰も、また綺麗ごとだけでは済みません。どうか杉原氏子が、本当の信仰にたどり着けますように」

と言った。


僕は、あまりにも濃密な一日に頭がパンクしそうで、ただ「おやすみなさい」としか答えられなかった。

真夏の蒸し暑い夜の道を歩いて家に着くと、九時になっていた。雨戸が全部閉まって真っ暗だった。父も母も、もう眠っていた。僕の両親は、僕が帰るのが遅くなると、それを待つのが面倒になって、いつも先に眠ってしまうのだった。二人とも、自分のペースを僕に邪魔されたくないから、いっそ早く寝ようと考える人達だった。僕は、そのことで両親を薄情だとは思わない。何故なら、僕も全く同じことを考えるからだった。僕は玄関の鍵を開けて、そっと家の中に入った。日常的にコミュニケーションが希薄で、おまけに、少しでも遅く帰宅すると両親は先に眠ってしまっている。だから、僕の家は、いつも、とても静かだ。そして、もうずっと前から、僕はこの静けさに慣れている。

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