(ハイカットスニーカー)2
二.
牧多は両親を嫌っていた。特に父親が嫌いだった。牧多は中学に入ってから、学校をサボって街を遊び歩くようになった。三年生になったある日、同級生数人と、歓楽街を歩いていた。学生服から私服に着替えていたが、どう見ても中学生だと分かった。警察官二人に牧多達は補導された。そして、交番へ連れて行かれるその時だった。男が警察官を呼び止めた。男は黒のスーツに薄青色の眼鏡をかけていた。先生だった。先生は、警察官二人を牧多らから離れたところに連れて行って話し始めた。最初は、警戒していた警察官も、次第に先生の話に頷くようになった。最後は、先生が内ポケットから出した名刺を受け取ると、「どうも。ご苦労様です」と言って帰ってしまった。
牧多らは、目の前で起きた出来事に、先生は一体何者だと驚いた。
「警官が帰ったんだぜ。先生は神様だと思ったよ。でも、本当は、先生は神様と俺たちを結ぶ仕事をしている人だった」
牧多は喜んで話したけれど、僕は尋ねた。
「先生。警官には一体何て言って帰らせたんですか?」
「杉原君。それこそが、神の奇蹟なんだよ」
先生は、肝心なことは言わなかった。僕は気になったが、それ以上は尋ねなかった。
牧多は、
「それより、ここからが本当の奇蹟なんだ」
と続きを話し始めた。
先生が牧多達を助けた後、礼命会に勧誘したが、牧多以外の生徒は、宗教はよく分からないからと入信を断った。だが、牧多は、その場で、すぐに入信した。入会式は、後日、集会の日ということで、歓楽街の道の真ん中で入信を誓った。
「俺、先生に出会って必ず人生が変わるって分かったんだ」
牧多はまた嬉しそうに言った。
「それで、本当に運命が好転したんだ? どんな風に好転したの?」
僕は、嬉しそうな牧多を見て、よほど良いことがあったのだろうと思った。そして、僕も、入信したのだから、彼のように何か良いことがあるのだろうと期待して尋ねた。
すると牧多は、
「俺と同じように杉原君にも、すぐに奇蹟が訪れるよ。俺の奇蹟はね、入信してすぐに、オヤジがポックリ死んだことなんだ。脳の血管が破裂してね、入信して一カ月後に、突然、死んだんだ。俺、その時、神様は、本当にいるんだって心から思った。礼命会に入会して本当に良かったって思った。歓楽街での先生との出会いは偶然ではなく、神の御業なんだって、本当にそう思ったよ」
牧多の高揚した顔を見ながら、僕は、僕の家族のことを考えた。
僕の家族関係は良好ではない。自分のテリトリーにたとえ家族であっても人を入れるのを極度に嫌う。そういう人間で構成された家族だから、関係が良好ではないことも仕方がないと思っていた。だが、牧多の話を聞いていて、僕は、僕の父と母が、とても愛おしく思えた。それに、とても良識的な人たちだと思った。僕自身も、いささか変わり者であっても、牧多に比べれば、かなりノーマルだと思った。
但し、僕は何も言わなかった。彼に何かを言うには、僕はあまりにも彼のことを知らない。だから、僕は黙って彼の話の続きを聞いた。
牧多は、父親の死後、高校に進学したが落ち着かなかった。
「俺にしかできないことがある。神様が俺に与えてくださった使命がある。そう思うと高校になんて行ってられなかった」
牧多は、高校を一年で中退した。でも、具体的に何ができるのかは分からなかった。教会の集会に参加し、神の声が自らに届くことを祈る日々が続いた。同時に、アルバイトを始めた。店は兄が継いだ。牧多の兄は、父親のように頑固で厳しい人間ではなかったが、愚直で真面目なだけの人物だった。その兄が店を継いで、接客は気分屋の母親のままである。何も変わるはずがなかった。牧多は流行らない中華料理店に関わりたくないこともあり、家を出て、アルバイト先の仲間と共同でマンションを借りて暮らし始めた。アルバイト先は、自動車修理工場だった。まともな自動車修理工場ではなかった。事故車と事故車の破損していない部分を繋ぎ合わせて一台の中古車として違法販売する所謂「ニコイチ」を手がける店だった。ニコイチ車両のほとんどは、海外に輸出された。人目につかない修理工場の奥で、事故でフロント部分が破損した車両と、同じく事故でリア部分が破損した車両を切断し、破損していない部分同士を溶接する仕事を手伝っていた。工場長は、元々、船の溶接をしていたが、素行が悪いのでクビになった男だった。見つかれば捕まる仕事だけに、給料は良かった。牧多は一緒にマンションを借りたバイト仲間とよく遊んだ。
「楽しかったぜ。金回りがいいし、気の合う奴ばかりだった」
牧多は屈託のない笑顔で言った。
その笑顔を見ながら、
「それだけの違法行為と信仰は矛盾するんじゃないの?」
と僕は牧多に尋ねた。
牧多は、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったため絶句した。
「食べていくためだったから、神様もお許しくださったんだ。お父様も急逝し、お兄様も店の跡を継いだばかり。牧多君は高校を中退。この状況では仕事を選ぶこともできなかった。そのことは神様もご承知くださっていたんだよ」
絶句した牧多の代わりに、先生がそう答えた。
それを聞いて僕は思った。牧多の父親が急死したのは、牧多曰く「神の奇蹟」だったとしても、高校を中退したのは牧多の意志だ。それに、仕事を選ぶことが難しくても、わざわざ車の違法改造をやっている工場を選ぶことはない。牧多が好きで選んだだけだ。先生の擁護は、全く擁護にもなっていない。僕は先生の強引さに呆れた。
それから、二年が過ぎたある日、街で牧多は幼なじみの峰崎という青年と偶然再会した。
その頃、牧多は今のパンク青年になっていて、幼なじみでも、彼が牧多だと気づく者はいなかった。でも、峰崎は道ですれ違うとすぐ彼が牧多だと気づいた。
「牧多。久しぶり」
後ろから声をかけられて牧多は驚いて振り返った。見れば、昔と全く変わらない峰崎が立っていた。牧多が峰崎に気づかなかったのは、考えごとをしていたからだった。
「牧多。お父さん。亡くなったんだろ。お気の毒さま」
牧多の父親が死んでもう三年になる。峰崎に言われるまで、牧多は父親のことを忘れていた。
「ああ。もう三年になるよ。それにしても、よく知ってたな。俺のオヤジが死んだこと」
「そりゃそうだよ。僕の家みたいな商売をしていると何でも耳に入ってくる。特にお前の家は飲食業だから」
峰崎はそう言った。
牧多はそう言われるまで、峰崎の家業を忘れていた。峰崎の家は、スーパーマーケットをチェーン展開している「スーパーミネザキ」だった。峰崎の祖父が会長で父親が社長だった。峰崎はその跡取りだった。今は、地元の国立大学に通っている。
牧多は、峰崎の顔を見ていた。峰崎の顔は、子どもの頃から、分別くさい。若いのに老けっぽい。家業が影響しているのだろうか。若いのに老けっぽい顔を見ながら、牧多はあることが頭に閃いた。
「これが、オヤジが死んでから、二度目の奇蹟だったんだよ。道で峰崎に再会したのも偶然じゃなくて、神様が引き寄せてくれたんだ。それに、俺の頭に閃いたことも、神様が降りてきたんだ」
牧多がまた高揚した表情で話すのを見て、父親が脳出血で急死したことを奇蹟という男の二度目の奇蹟は、もっと理解できないものではないのかと僕は疑った。
すると先生が言った。
「杉原君。信じる者は救われるんだよ。彼のここからの話を聞けば分かると思う」
先生の言葉を聞いて僕は思った。僕は、表面的にはひねくれていても、根は素直な人間だ。つまり、信じていいものなら素直に信じるということだ。逆に言えば、牧多の話は、素直に考えて信じられないから疑っているのだ。それはつまり、青沢礼命と礼命会そのものを疑っているということなのだけれど、そんなことが言える状況ではなかったから、僕は黙っているしかなかった。
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