第二章(ハイカットスニーカー)
一.
大手チェーン店のコーヒーショップはビルの一階のワンフロアが店舗だった。広い店内には僕と同じような夏休みの若者が多くいた。ノートパソコンでレポート課題を作成している大学生。受験勉強をしている高校生もいた。先生は牧多の姿を探した。僕は牧多を知らないので、先生が彼を見つけるのを待っていた。すると、
「先生。ここです!」
と大きな声が聞こえた。
フロアの奥だった。大声だったので、イヤフォンをしている高校生は気づかなかったが、ノートパソコンを使っている大学生は、驚いてミスタッチをした。僕は、あれが牧多かと思った。背の高い男だった。
僕は先生と並んで座った。牧多は僕の向かいに座っていた。飲みさしのアイスコーヒーとファッション雑誌が彼の前にあった。僕は、その男性向けのファッション雑誌を見て、彼には必要ないだろうと思った。何故なら、彼のファッションは、坊主頭に、黒のTシャツに黒のスリムジーンズ。靴も黒のハイカットスニーカー。そして、Tシャツの胸元にはニューヨークドールズのメンバーが大きくプリントされていたからだ。
僕がそんなことを考えていると、
「杉原和志君。今、入会式を済ませたばかりの信者さんだ。君と同じ歳の青年だ」
と先生が僕を牧多に紹介した。
「初めまして。杉原和志です。P大学経済学部の二年生です」
僕は牧多に挨拶をした。
牧多は、
「いい大学に行ってるねえ。俺みたいな高校中退と違って、頭いいんだなあ」
と、僕を見て薄笑いを浮かべながら言った。
僕は牧多を見ながら、自分の諸々のコンプレックスを僕の学歴に投影されても、答えようがないと考えていた。時々、こういうことがある。だから、僕は慣れていた。
すると、牧多は、
「てなことを、この前までの俺だったら、本気で思っていたんだけど、今は違うんだ。何とも思ってないよ」
と急に冷静になって言った。
「こら。牧多君。新しい信者さんをからかうんじゃない。杉原君。申し訳ない。彼は入信して、神様のお力で大きく人生が好転したんだ。だから、嬉しさのあまり、つい悪ふざけをしてしまう。でも、彼は、本当にそれほど大きなお力をいただいたんだ。奇蹟と言っていいほどのお力を」
先生は、牧多のことを僕に釈明しながら、礼命会がいかに現世利益のある宗教かを伝えようとしていた。僕を牧多に会わせたのも、そのためだったのだ。しかし、こんな芝居がかったやり方で伝える必要はない。より噓臭さが増すだけだ。僕には、先生と牧多が、二人組の安っぽい詐欺師のように思えた。これなら、街でよく遭うキャッチセールスの男のほうが、芝居が上手いのではないかと思った。だから、本当はバカバカしくなっていたのだけれど、聞かないわけにもいかないので、
「具体的に、牧多さんにどんな良いことが起こったのですか?」
と儀礼的に聞いた。
牧多はまず挨拶をした。僕は懐疑的に彼の話を聞いた。
「俺は牧多賢治。君と同じ二十歳だ」
「そうだね。僕はもう誕生日を過ぎたから、満二十歳だ」
「俺も先月、二十歳になった。同い年の君と俺は、同時代的な幸福と不幸を背負っている。同じ年に生まれ、同じ時代を生きるとは、そういうことだと思う。ところで、生まれてこの方ずっと、俺には同時代的な幸福が見つけられないんだ。君はどう? 見つけられている?」
真面目に話をすると、牧多は思索的な人物だった。僕は彼の話を聞く気になった。
牧多の実家は、『深々楼』という中華料理店だった。でも僕は、『深々楼』という割と気の利いた名前の中華料理店が、この町にあることを知らない。大体、この町では、中華料理店と看板を掲げていても、店に入れば、実態はラーメン屋なのだ。ラーメンとギョーザと唐揚げしかメニューにないそんな店ばかりで、まともな中華料理店なんてない。そのことを牧多に言うと彼は笑った。
「確かに、そうだな。でも、うちは、正真正銘の中華料理店なんだ。オヤジが老舗の中華料理店で長い間修業をして、ようやく独立した店だから」
「それなら、余計に知っているはずなのに、申し訳ないけれど、僕は知らない」
「そりゃそうだよ。流行らないからずっと開店休業状態の店だ。どこにあるかも見つけられないし、店の噂も流れない。悪い噂すら流れない。幽霊中華料理店さ」
悲惨な店の状況をあっけらかんと話す牧多だったが、聞かされた僕のほうは、そうはいかなかった。
「君が高校を辞めたのも、店のことが関係あるの?」
他人に無関心な僕であっても、面と向かってこんな話をされると、さすがに気になった。
僕の質問を聞いて、隣にいた先生は、満足したようだった。おそらく、僕が人並みの良心は持ち合わせていると感じたのだろう。確かに、先生に会ってから今まで、僕は、誰に対しても何の関心も示さなかった。教会で札束を木箱に放り込む信者を見ても、驚きはしたが、彼らのことを心配する様子は一切なかった。先生は、そのことで、僕に対して、わずかだけど疑いを抱いていたのだろう。でも、高額の寄付を木箱に放り込ませている張本人は先生だ。にもかかわらず、僕の人間性に疑問を抱くとは、つくづく人間とは身勝手なものだ。
そんな先生とは違い、牧多は、
「違うよ。バカだから勉強についていけなかっただけだよ」
と、言葉とは裏腹に、自分のことを親身になって心配する僕の存在に感動していた。
僕も牧多の様子を見て、思ったより、純粋でまともな奴じゃないかと思った。むしろ、僕のほうが変わっているし、先生はもっと変わっている。と、三人を比較評価した。
だが、それは違った。
変わり者の僕が入会したのと同じく、礼命会に入るだけあって、牧多も世間一般からは、およそ理解されない思想の持ち主だった。この後、彼が入信して運が開けたという実体験を聞いて、僕は、そのことを思い知らされた。
牧多の父親は、頑固で厳しい料理人だった。牧多は、父親について、生来の性格もあるが、それ以上に、修業先での修業が厳し過ぎて、ああなったと分析した。
「学校の部活で厳しくしごかれ過ぎて、すっかり人格が変わった、そういう感じあるだろ。鬼のようにしごかれたら、当人も鬼のように厳しい人間になった。こういうパターン」
分かりやすい例えだった。
牧多には兄がいた。兄弟二人とも、小学生の時から中華鍋を振らされた。口べたな父親は、それが修業であり、将来どのように役に立つかなどの説明ができなかった。
「部活の先輩にしごかれ過ぎると、絶対に後輩にもやってやろうって思うだろ? アニキと俺がその犠牲さ」
と牧多は言った。
「それはちょっと違うと思う。お父さんは、純粋に店の跡取りとしてお兄さんと君を子どもの頃から鍛えたんだと思う。そのことの良し悪しは別にして」
僕はそう言った。
「だとしても、アニキと俺は子どもの頃から、理不尽にしごかれたんだから、結果は同じだぜ」
牧多は笑った。彼は店の経営状態についても、自分の辛い体験についても明るく話す。僕はそんな牧多が不思議に思えた。
「牧多君は辛いことも、全て自分への神様の試練だと捉えるようにしているんだ。だから、いつも前向きなんだ」
僕の気持ちを察した先生が、牧多を擁護した。
牧多の母親は、厳しくはないが変わった人だった。店の接客をしているのだけれど、気の向いた時には、必要以上に愛想が良く、気分が乗らない時には、客が呼んでも返事もしない人だった。ひどい気分屋だった。
頑固で口べたな店主と気分屋の接客係のいる店。珍しさという点では際立っていると思った。だが、その時、僕は、僕の両親のことを思い出した。僕の父は、人づきあいが苦手だ。そのため、極力、人との接触の少ない仕事を求めて転職を繰り返している。結果、今、「何でも屋」に勤めている。「何でも屋」だけに業務は多岐にわたり、人との関わりが濃密なものもある。だが、父がしている仕事は、他人の家の草むしりだ。「こんにちは」と「作業終了しました」以外、ほぼ何も言わなくていいらしい。僕の父は、一年中、他人の家の草むしりをしているから、日焼けしていつも真っ黒だ。僕の母も人づきあいが苦手で、その結果、たどり着いた仕事が、クリーニング店の配達員だ。母の勤めるクリーニング店は、個人の客以外に幾つもの会社のユニフォームのクリーニングを委託されている。そのため、配達が忙しく、話をしている暇がないらしい。お喋りな人には、つまらないのかもしれないけれど、僕の母にはよく合っている職場だ。前に、「今日もひと言も喋らなくて済んだ」と母が言っているのを聞いたことがある。父と母は、恋愛結婚なのに夫婦間であまり会話をしない。それどころか、僕とも話をしない。だから、僕の家は不自然なほど静かだ。僕の家族の特徴は、コミュニケーションの少なさに比例して、夫婦関係、親子関係が希薄であることだ。そのことを考えた時、少なくとも、僕に関しては、牧多の両親を特別視することはできないと思った。僕は、そのまま牧多の話の続きを聞くことにした。
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