(薄青色の眼鏡)5

五.

先生が、「驚いたでしょう?」と尋ねた時、僕は、どう答えようか迷った。目の前で、札束が次々と大きな木箱に放り込まれたのである。「驚いていません」と答えるのも変だ。それはむしろ、「驚いている」と答えているのと同じだ。だから、僕は黙った。その沈黙に耐えられなかったのだろう。先生のほうから、また話しかけてきた。

「とてもシンプルに考えればいいと思うんだ。天国にお金は持っていけない。だったら、生きている間に、困っている人のために役立てるべきだと僕は思うんだ。どうだい? この考え方は?」

先生は前を見て運転したまま言った。

僕は、随分、稚拙な論理だと内心思ったが、

「はい。確かにそうですね」

と答えた。

理由は、その時、僕が適当な答えを思いつかなかったからだ。だが、もう一つあった。先生の中に、気恥ずかしさを感じたからだ。先生は言ってから、あまりにも幼稚な発言だと自分でも恥ずかしくなったのだ。その様子を通して、僕は、先生の素顔を垣間見た気がした。そして、僕は彼の素顔に好感を抱いた。だから、同意の返事をした。更に僕は気づいた。彼は、僕が思っていたより若い。僕は、先生は五十半ばを過ぎていると思っていた。だが、今、恥ずかし気にチラと僕の顔を見た彼が、まだ四十半ばぐらいだと気づいた。髪型や、黒のスーツ、そして、薄青色の眼鏡によって、実年齢より、老けて見せているんだ。宗教家という職業柄、信者に対して説得力を持たせるため、そうしているんだと僕は思った。


先生は、それきり前を見て黙って車を運転していた。先生の気恥ずかしさを緩和するため、僕は軽いジョークを言った。

「先生の論理を、社会一般に当てはめてみると、僕と僕の両親は該当しません。何故なら、僕の家族は全員、お金に縁がないからです。天国まで持って行くお金なんてありません。現世でいつも金欠なんですから。僕たち家族は、どちらかというと困っている側の人間です」

僕がそう言うと、先生は笑った。さっきの入会式の時にも見せた素直な笑顔だった。


ワゴン車は丘を下っていた。フロントガラス越しに夏の夕方の強い陽ざしが照りつけた。僕は、ワゴン車についている時計を見た。もう四時だった。僕が胃痛で倒れているのを、先生に助けられたのが昼過ぎだった。それから、三十分ほど車に乗って、教団の施設に着いた。二時から入会式と集会だった。一時間以上、建物の中にいた。今、時計を見ながら、随分、長い時間が過ぎたことを僕は改めて知った。その間に、宗教に入信までした僕の今日は、果たして、充実した一日と呼べるのだろうかという疑問が湧いた。先生に誘われた時の、「陽の当たる場所へ」というのは、もうどうでもよくなってきた。というより、違和感と生きにくささえ消えれば、自ずと、陽の当たる場所に行けるのではないかと僕は思った。だから、入信の目的は、違和感を取り去る方法を体得することだ。突然、宗教に入信してしまった動揺が、今、帰りの車の中で襲ってきた。僕は、目的を明確にさせることで、動揺を抑えようとした。

その時、先生の電話が鳴った。


先生は、スーツの内ポケットから最新式のとても薄いスマートフォンを取り出し、電話に出た。

「牧多君。今日は集会に来なかったけど、どうしたんだい?」

先生が電話で話すのを聞きながら、僕は、電話は信者からだと思った。同時に、先生の口調から電話の相手は随分、若い信者のように思った。今日、集会に参加していた信者はほぼ全員、高齢者だった。わずかに五十過ぎぐらいの信者が何人かいたが、それ以下の世代はいなかった。だから、そのことを考えると、電話の相手は、極めて若いように思えた。僕がそんなことを考えている間に、先生は電話を切っていた。

「杉原君。まだ時間はいいかな? 会わせたい人がいるんだけど?」

「今、電話で話していた人ですか?」

「そうなんだ。信者さんなんだけど、君と同い年の青年でね。せっかくだから、会って欲しいんだけど?」

先生の言葉に、既に疲れ切っていた僕は断ろうと思った。どうせ会っても、会話が弾むわけでもないしと思った。

「今日は疲れました。だから、また後日に」

すると先生は、

「残念だな。彼は生き方が変わって陽の当たる場所で活躍している若者なんだけど」

と言った。その言葉を聞いた僕は、

「少しの時間なら」

と返事を変えた。

僕の返事を聞いて、先生は黙って頷いた。

生き方が変わって陽の当たる場所で活躍している同い年の青年。

「牧多」と先生は呼んでいた。

その青年に会って直接、違和感を取り去る方法を教えてもらおうとは僕は思っていない。確かに、今日一日で、礼命会がいかがわしい宗教だと分かったから、できたらそうしたい。でも、そんなに簡単に教えられるものではないはずだ。「技術的に難しい」という意味と「教団の秘密保持」という二つの意味で無理だと僕は思った。


それより、僕は、純粋に牧多という青年に関心を持ったのだ。僕はいつも思う。今の時代は、これまでになく生きにくいと言われているけれど、大学に行くと、爽やかに青春を謳歌している若者がキャンパスに溢れている。どこに生きにくさを抱えている学生がいるのだろう? みんな楽しそうだ。もしかしたら、楽しそうな振りをしているだけで、本当は生きにくさを隠しているのかもしれない。そうだとしても、まさか僕が彼らに近づいていって、「君は、本当は生きにくい人生ですか?」と尋ねるわけにはいかない。ぶん殴られはしないだろうけれど、怒らせるだけだ。というわけで、僕は僕以外の生きにくい人間と直接、会ったことがない。だから、牧多という青年に会ってみたいと思った。


先生は僕の返事を聞いて喜んでいた。その証拠にアクセルを踏み込んでワゴン車のスピードが上がっていた。ワゴン車は丘を下り、市街地へ入り、しばらく走ると、ビルの地下駐車場に入った。

僕らは車を降り、ビルの一階にあるコーヒーショップに向かった。そこで、牧多という青年と待ち合わせをしていた。エアコンの効いたワゴン車を降りたこともあり、駐車場は蒸し風呂のように暑かった。


僕は歩きながら、「牧多君の人生は、具体的には、どんな風に生きにくかったですか?」と尋ねる自分を想像した。自然と悪戯っぽい笑みが浮かんだ。それから、先生の後をついて、僕は地下駐車場の階段を上った。

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