(薄青色の眼鏡)4

四.

入会式の後、先生の講話があった。僕は入会式の緊張と疲労でぼんやりしたまま、一番前の列の椅子に座っていた。だが、先生の講話が始まると驚きで目が覚めた。

「皆さん。世界は悲しみに満ちています。涙が世界中の空から降ってきます。涙は乾いた大地に吸い込まれ、決して、大地を潤すことも、人の心を潤すこともありません。乾いた大地、乾いた心、襲い来る空しさ」

先生は、両手を天にかざして、咆えるように訴えた。

「どうですか? 皆さんも、生きていて空しさに襲われるのではないですか?」

信者は皆、頷いた。そして、皆、放心したような表情で先生を見ていた。

「でも、世界には、空しさを感じる余裕もないような切迫した状況にある人が沢山います。その中には子どもも、老人も。世界には絶えることなく紛争があります。銃声に怯えながら、空腹に苦しむ子どもが私には見えます。それに、大飢饉の中、飢える子どもが私には見えます。お年寄りの姿も見えます。信者のKさんと同じ年齢の人です!」

先生はそう言うと、Kさんを鋭く指さした。

僕は先生が指さす先にいるKさんを振り返って見た。恰幅の良い男性信者だった。八十前ぐらいだと僕には見えた。

「私と同じ年の老人が、飢餓で苦しんでいるんですか? 何故、私は恵まれて、その人は飢餓状態なのでしょう? 先生、神様はどうしてそんな不公平なことをされるのでしょうか?」

Kさんは、涙声で先生に尋ねた。

「試練です。神様は、人類をお試しになっているのです。人類は助け合うのか、それとも、憎しみ合うのかを、お試しになっているのです。分かりますか? 皆さん」

先生は右手を高らかに上げると、人差し指で天を指さした。神様を指さしていることが僕にも分かった。

僕は先生の大袈裟な身振り手振りには、疑問を持ったけれど、話の内容には異論はなかった。おそらく、誰が聞いても、同じだと思う。先生の話していることは、世界の現実だからだ。でも、この後、信者の取った行動を見て僕は驚いた。同時に、先生に対して大きな疑問を持った。


信者は皆、こういう行動に出たのだ。彼らは次々と立ち上がり、先生のほうに近づいて行った。先生の隣には、大きな木箱が置いてあった。僕は、ずっと何かと思っていたのだけれど、その時、分かった。木箱の上の蓋は開いていた。そこへ信者は次々と、お金を入れていくのだった。賽銭箱というのとも違う。何故なら、額が違うからだった。百円玉を放り込んでいるのとはわけが違った。分厚い封筒に入った札束。きれいな布に包まれた札束。あるいは、財布からお札を取り出して、そのまま箱に入れる人もいた。千円札ではなくて一万円札だった。

「お試しになられています~ 神様はお試しになられています~ 本当に人類は助け合うのかを、今、天から見ておられます~」

先生は言葉に抑揚をつけて歌うように話していた。信者を煽っているのだと僕は気づいた。

「もっと金を出せ、もっと金を出せ」と煽っているのだった。


僕は、これは危険な宗教だと気づいた。何故なら、僕は大学に入学した時、P大学から『学生生活を安心して過ごすためのガイド』というガイドブックをもらって読んでいたからだ。そこには、「キャッチセールスやマルチ商法、宗教の勧誘について」という項目があった。キャッチセールスやマルチ商法については知っていた。でも、宗教には遭遇する機会がなかったので、僕は何も知らないまま大学に進学した。ガイドブックにはこうあった。

「良い宗教とそうでない宗教を区別することは難しいです。人には色んな考え方があり、信仰についても良否を決めることは一概にはできません。でも、一般的に言えることは、高額の寄付を求める宗教には危険な宗教が多いと考えられます」

宗教学者の解説だったのだけれど、僕は、そういうものなのかと、その時は思っただけだった。でも、今、現実に、目の前で、信者が皆、札束をボンボンと大きな木箱に放り込んでいる様子を見て、これは危険だと感じた。そして、入学してすぐに読んだガイドブックのあの一節を思い出し、礼命会は危険な宗教だと気づいたのだ。

僕は、とっさに逃げ出そうとしたが、ふと思った。

『ここで逃げてしまうと、先生が、僕から取り去ってくれた違和感。あの違和感の取り去り方を体得できないままになる』。

そう思うと、僕は逃げるのが惜しくなった。そして、こんなことを考えた。

『僕はここにいる信者のようにお金は無い。僕の家にもお金は無い。父と母共働きの家庭だが、それでも、僕一人を大学に行かせるのが精一杯の家庭だ。寄付の問題は心配する必要はない。無い袖は振れない。だから、逃げなくても大丈夫。富裕層の信者だけが被害を被っているのだ。僕には関係ない』。こう考えると、僕は、急に気が楽になった。元々、僕は他人のことに関心がない。僕は、自分のことにしか関心がない。そう考えると、ボンボンと札束を放り込んでいる信者のことなどどうでもよくなった。


その時、バタンという大きな音がして、木箱の蓋が閉じられた。と同時に、信者が皆、我に帰ったように椅子に戻った。先ほどまでの放心したような表情はなくなった。

「今日も良い集いとなりました。何よりも、新しい信者様が入会してくれました。杉原和志氏子です。皆様、最後に大きな拍手を杉原和志氏子のためにお願いします」

大きな拍手が僕を包んだ。

僕には、先生に騙されている信者の拍手という認識があった。しかし、先ほど、そのことはどうでもいいと割り切ったばかりなので、純粋に嬉しかった。そんな僕の性格を極めて自己中心的だと非難する人もいるだろう。けれども、先生の言う通り、世界中に悲しみが溢れている今の時代を生きるためには、どこかで割り切らなければならないと思う。何故と疑問に思う人には、僕はこう言いたい。世界中の悲しみを全て背負っていたら、自分が悲しみに押し潰されてしまうじゃないか。そう考えれば、これは生きるために必要な『人類のある種の進化』でさえあると僕は思うのだ。


集会が終わり帰ることになった。皆、どうやって帰るのだろうと思った。すると、僕の予想が当たっていた。駅とゴルフ場の間を往復する循環バスがあった。このバスは、ゴルフ場が開設された時、運行が開始されたということだった。でも、ゴルフ場にバスで行く人はいない。自家用車かタクシーだ。実際、僕もバスの中で、ゴルフバッグを担いでいる人に会ったことがない。そのことに気づかず、当時の市長は、循環バスを走らせてしまった。おっちょこちょいな市長だと、その話を聞かせてくれた老紳士の信者に僕は言った。

すると、老紳士はこう言った。

「おっちょこちょいな市長さんのおかげで、私たち信者が、この教会に来る交通手段を授かりました。それに、ゴルフ場に勤める人達、例えば、キャディの人達の交通手段もできたことを考えれば、おっちょこちょいが、果たして、おっちょこちょいだったのか? 全てが神の御業だと私は思います」

老紳士の言葉に、それは、あまりにも神に好意的な解釈だと思った。だが、僕は何も言わず、老紳士の信仰心を尊重した。

それから、信者は皆、バス停に向かったので、僕もついて行こうとした。

すると、

「杉原さん。一緒にいいですか?」

と先生が声をかけてきた。

振り返ると、青沢先生が、僕を乗せて来たワゴン車の運転席の窓から、顔を出していた。僕は、車の助手席に乗った。ワゴン車は、そのまま教会を後にした。先生は僕の様子を窺っていた。先ほどのボンボンと札束が放り込まれる光景を見て、僕がどう思ったのか探っているのがすぐに分かった。

先生は、「驚いたでしょう?」と優しく言った。

でも、薄青色の眼鏡の奥の眼は笑っていなかった。ある種の緊張感が伝わってきた。僕は慎重に言葉を選んで答えることにした。


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