(薄青色の眼鏡)2
二.
沈黙の間、僕は、本当に青沢の力で胃痛が治ったのか。それと、本当に青沢の力で違和感も消えたのかを考えていた。青沢は、車を運転しながら、先ほどの学校のことではなく何か別のことを考えているようだった。
僕にとって、違和感とは人生そのものだ。僕は協調性がない。だから、集団生活が苦手だ。学校生活が苦痛だ。さっき、青沢に学校に行けなかったのは気の毒に思うと言ったのは正直な気持ちだ。でも、僕のもっと正直な気持ちは、学校はそんなに良いところだとは思わないと言ったことだ。協調性がないから、集団生活が苦手な人は案外いると思う。僕が学校に違和感を覚えたのは、それとはまた違うものだった。僕は割と考えるタイプだ。小学校に入って、すぐに思った。僕たち子どもは、一種の調教をされているのではないか、と。何のための調教か? 企業にとって使いやすい人間になるためのもの。もっと大きく言えば、国家にとって有用な人間になるための調教を受けているのではないかと思った。この考えが正しいのか間違っているのかは分からないけれど、小学生で、ここまで考えた僕は、今振り返ってみても、かなり早熟だと思う。こう考えた僕にとって、学校は危険な場所になった。でも、他の子はみんなそんなことは考えず、毎日の授業を受け、秋には元気に運動会で徒競走をした。「全てが調教なんだぞ。みんな危険だ!」。僕は何度もこう叫ぼうと思った。だが、できなかった。そんなこと叫んだって、僕の頭がどうかしていると思われるだけだと分かっていたから。
青沢の運転する車は、丘の上の道を走っていた。僕の住む町が一望できる。真夏の午後の陽ざしが、容赦なく町に降り注いでいた。
僕の学校への疑問は、中学、高校と進むにつれ大きくなるばかりだった。いよいよ高校では、誰とも会話を交わさなくなり、休み時間もずっと一人で受験勉強をしていた。高校生になるまで何の疑問も持たず、調教を受け続けてしまった同級生を僕は軽蔑していた。同時に、絶望していた。もう僕には彼らを助けることはできない。だから、僕は一人で受験勉強をした。
僕なりに一生懸命勉強して、地元では、比較的優秀なP大学に合格した。本当は社会学部に入りたかったのだけど落ちた。それで、合格した経済学部に入った。経済学部には興味が無かったのだけれど、両親からどうしても受けろと言われて受験したのだ。
僕は大きな勘違いをしていたことに入学して気づかされた。特に経済学部だということも大きかった。
僕は入学してから、同級生と話をしてみて、大学とはみんなにとって何かということを思い知らされた。大学とはみんなにとって、「就職予備校」だった。同級生はみんな、小学校から高校までの長い調教生活を経て、既にすっかり「企業戦士予備軍」だった。そして、みんな国家にとって有用な人材だった。高校の時、休憩時間に一人で受験勉強をしていた僕は、大学に入って、完全に一人だけ浮いていることに気づいた。実際には、小学校に入学した時から、ずっと浮いていたのだろうけれど、僕は気づかなかった。僕は鋭敏なようで鈍感だった。
「杉原さんは、大学生ですよね」
運転しながら、青沢が尋ねてきた。
「はい。P大学の経済学部の二年生です」
「ほう。それは優秀だ」
青沢は特に表情を変えることもなくそう言った。
「学校は優秀かもしれないけど、僕は落ちこぼれです」
僕の言葉に、
「落ちこぼれっていうのは、枠におさまらない規格外だからです。それだけ、杉原さんの器が大きいということです」
青沢がこう言った。それに対し、僕はこう言った。
「青沢さんは宗教家だから、信者さんを慰めるために、いつもそう言っているのだと思います。だから、僕は信じません」
すると青沢が、
「ほら! そんな視点から、今の私の言葉を捉えられるなんて、普通はできませんよ。杉原さん。あなたは、物事の本質を見極める眼を持っています。だからこそ、生きにくい人生を送っているのです。よかったら、これまでのあなたの人生を話してください」
こう言って、僕の顔を見た。力強い眼だった。確信に満ちていた。僕は、これまでの人生を語った。
「あなたが、おかしいんじゃない。先ほどお話したように、僕はほとんど学校に行っていません。だからこそ、杉原さんの話が本当だと分かります。同時に、学校教育の欺瞞も。杉原さんが言うように、学校教育とは国家による集団調教です」
青沢の声は熱を帯びた。熱を帯びた青沢の声には、人を強く惹きつける力があった。それに、僕は生まれて初めて、僕の持論を全面的に肯定してもらった嬉しさがあった。僕は、青沢を信じると決めた。先ほど、青沢に車がこれからどこに行くのか尋ねようとして、僕は尋ねるのをやめた。彼に任せれば、陽の当たる場所に導いてくれる。そう信じたいと思ったからだ。そして、今、青沢を「信じたい」から、「信じる」に僕の心は変わった。青沢は、必ず、僕を陽の当たる場所に導いてくれる。ずっと居場所のなかった僕に、居場所を与えてくれる。僕はそう信じたのだ。
「礼命会とは青沢さんが開祖の宗教ですか?」
僕は青沢に尋ねた。
青沢は、
「そうじゃない。礼命会は杉原さん。あなたを幸せにするためにある宗教です。主人公はあなたなのです」
と大きな声で言った。車の中に彼の声が響いた。
「我が新しき仲間。杉原和志氏子の入会式を取り行います」
「今からですか?」
「そうです。もうすぐ礼命会の教会に到着します」
「教会に向かっていたんですか?」
「はい。杉原さんと出会った瞬間、この人は特別な氏子となる人だとすぐに分かりました。だから、教会に向かっています」
「僕が特別?」
「特別です。選ばれた氏子です」
僕は、良い意味で特別だった経験がない。常に周囲との隔たりと違和感がある。そういう意味では、ずっと特別だった。要するに、変わり者だ。それが、選ばれた氏子だと言われた。僕は生まれて初めて、自分を認めてもらった。僕はとても安堵した。僕は、僕の居場所を見つけたのだと思った。
僕がそんなことを考えていると、青沢の運転する車は左に曲がった。タイヤが砂利を踏む音がして車が止まった。僕は我に返り、車の窓から外を見た。
林の中に白い建物が建っていた。建物はまだ新しく、壁の色が真っ白で清潔な感じがした。これが教会だと思ったが、礼命会の文字はどこにもなかった。真っ白な建物があるだけで、辺りに人の気配もなく、そこは、しんと静かだった。
青沢が車を降りた。僕も車を降りて、彼の後について建物に向かった。
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