「女子校のお姫様」と名高い先輩、家では事実上俺の妹です

夜野十字

第1話 ただいまのギュー

 馬上もがみりつは自称・しがない男子高校生だが、それでも一つ、決定的に普通でない点がある。

 それは、同居人がいることだ。



 放課後。律は帰宅するなり、「ただいま」と声を上げた。その声は反響するばかりで、返事はない。やはり今日は同居人よりもずいぶん早く帰ってきたらしかった。


 荷物を部屋に置くと、律はささっとラフな格好に着替えた。ついでに空調もつけ、部屋を温めておく。これで同居人が帰ってきても万全の状態で迎えることができるだろう。


 そうこうしているうちに外からがやがやと話し声が聞こえてくるようになってきた。窓から外を見てみると、下校中の高校生の姿が見える。どうやら同居人も、もうすぐ帰ってくるようだった。


 それからまもなくして、ドアが開けられる音が聞こえてきた。律は自室から顔を出して、玄関に目を向ける。


 果たして、そこには同居人の姿があった。


「ただいま、律」

「おかえり。遅かった、ね……」


 律の言葉は徐々に小さくなっていった。なにを隠そう、同居人のせいでである。


 肩甲骨のあたりまで伸びた白い髪。端正であどけない顔貌かおかたち。スラッとした体つき。焦げ茶色をベースとしたセーラー服には、近所の女子校の校章が刻まれている。


 大石おおいし緋町ひまち。律の同居人で、「女子校の姫様」と呼ばれ学内外問わず名高い存在。現在高校二年生で、高校一年生である律にとっては一つ上の先輩だった。


 そんな緋町は今、律の眼の前で静かに不機嫌を表明していた。


 緋町は頬をぷくーと膨らませ、決して律の方を見ようとせず、そっぽを向いてしまっている。腕は腰の横に据えられ、きゅっと口をつぐんでいる。


 律はおそるおそる声をかけた。


「ひ、緋町……? どうかした?」

「…………ふんっ」

「……もしかして、俺のせい?」


 緋町から漂う不機嫌オーラが一層濃くなった。まず間違いなく、律にその原因があるようだった。

 律は胸に手を当てて、己の行動を順に思い返そうとする。しかし、先程着替えていたときのことを思い出すよりも前に、緋町が動いた。


 緋町は、律の首元に手を回し、ぐいっと体を近づけてきた。


 律はたまらず声を上げる。


「……っ、緋町!?」


 対して、緋町からの返答はない。


 律のほうが緋町よりも頭一つ分背が高い。ゆえに自分よりも低い位置から引かれたことで律は前傾姿勢になり、緋町は少し背伸びする形となった。


 緋町の柔らかな髪が律の頬をくすぐり、シャンプーの香りがほのかに香ってきた。互いの体がゼロ距離で接し、心音さえも聞こえてきそうだった。


 そう。律は緋町に抱きしめられられている――ような体勢でヘッドロックを決められていた。

 緋町が腕にぐっと力を込める。律の首筋に激痛が走った。


「痛い痛い痛いっ! なにすんだよ急に!」

「律のせい。自分の胸に手を当ててよく考えて」

「今まさにそれをしようとしていたんですけど!? ちょっと待って、息できない……!」


 体勢が体勢である以上、必然的に律は耳元で緋町にささやかれることになるのだが、もはやそんなことはどうでもよかった。


 緋町は囁きとは程遠い大きな声で言葉をぶつけてくる。律の耳殻に緋町の吐息が吹きかかる。

 しかし律も抵抗するのに必死で他のことに気を回している暇はなかった。


 律がその気になればすぐに抜け出すこともできるのだが、荒っぽく立ち回れば緋町に傷をつけてしまう恐れがある。それだけはなんとしてでも――たとえ身の安全がかかっているとしても、避けなくてはいけなかった。


 律の頭をがっちりとホールドした緋町が、さらに語気を強める。


「本当に、心当たりない?」

「ないよ! 部屋に立ち入った覚えもないし、間違えずに無糖のコーヒー買ってきたし!」

「じゃあ律は、今日誰と一緒に帰ってきた?」

「そりゃ一人で帰ってきたけど……え? まさか」


 首を絞めてくる緋町の腕が、少しだけ緩んだ。その隙に律はするりと束縛から抜け出すと、緋町の肩を掴んで正面から向かい合う形を取った。


 緋町は頬を赤らめて、「そうだよ!」と言い切る。


「一緒に帰るつもりだったのに、律だけ一人で帰って……! お父さんとの約束忘れたの!?」

「忘れてないよ! てか、俺ちゃんと『今日は一人で帰るつもり』って言ったよな?」

「聞いたけど……そんなのOKしてないから無効」

「権限が強すぎるだろ……!」


 まるで緋町の言うことは絶対、とでも言いそうな口ぶりだった。いや、実際に緋町に頼み込まれてしまえば、律はなにも言えなくなるのだが。


「そもそも律が一人で帰ろうとしなければ良いんじゃん!」

「だって人目が気になりまくるだろ! 『女子校のお姫様』と二人きりで登下校だぞ」

「お姫様だろうと王子様だろうと一緒でしょ。ホンモノじゃあるまいし」

「たとえホンモノでなくともホンモノに引けを取らないんだよ、緋町は! 今はまだ大丈夫だけど、一度でも姿を見られたら学校でなんて噂されるか……」

「……ふぅん」


 律は緋町の肩から手を離した。緋町はまだ律に目を向けてくるが、そこに怒気どきからくる鋭さはなかった。

 律はじりっと後ずさる。


「ど、どうしたんだよ」

「べっつにー。なんでもないっ」


 緋町は先程までの様子が嘘のようにコロッと態度を改めると、律の横を足早に通り過ぎていった。緋町は自室に入ってしばし姿を消すと、マジックの如き速度で部屋着に着替えて姿を現した。


「それで、今日の晩御飯はなに? ?」


 緋町はいじらしい笑顔を浮かべながら、律の前でくるくると回ってみせた。律はまだ痛みの残る首を撫でながら、ふぅと息を吐いた。


「今日はまだ決めてない」

「えーそうなんだー。ところで私、寒い日に温かいうどん食べるの好きなんだよね」


 そう言って、緋町はちらちらとこちらに上目遣いを向けてくる。……しょうがない。


「わかった。今日はうどんにしよう」

「やったー! お兄ちゃんさっすが」

「やっぱりうどんはうどんでも、ざるうどんにしようかな」

「前言取り消し。大人げないよ」

「でも緋町は先輩だろ」

「でもでも今私は律の妹だもーん」

「妹、ねぇ……」


 律はまた一つ息を吐いた。悲しいかな、分は完全に緋町にあった。

 律はキッチンへと向かうと、掛けてあったエプロンを手に取り、身にまとう。

 さてと、冷蔵庫に油揚げがあったかどうか、確認しなくちゃな。



 馬上律について、一つ訂正を加えておこう。

 律の特異な点は、ただ同居人がいることではない。

 それは――同居人が、もとい緋町が「女子校のお姫様」と名高い、律の一つ上の学年の先輩であること。

 そして何よりも、先輩であるはずの緋町が、家では律のとして振る舞っている、ということだった。

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「女子校のお姫様」と名高い先輩、家では事実上俺の妹です 夜野十字 @hoshikuzu_writer

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