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 来賓のために用意されているスリッパは歩きづらかった。そもそもスリッパなんて家でも履こうとした経験はなかったし、履きなれていないのだから歩きづらいのも仕方がない。ただ、それでも廊下の方へと進むたびに滑るような感じを覚えるそれは、きっといつまでたっても慣れないものだろうなぁ、と私はぼんやりと思った。


「それにしても久しいねぇ」と中原先生は口を開いた。


 中原先生は夜の部を担当している教師で、自然科学部の顧問でもある。私は昼の部に在籍していたから授業の中での関わりはなかったけれど、それでも部活動を通して話した機会は何度もある。まあ、それも事務連絡のようなものが多かった気がするが。


 中原先生に案内されるままに廊下の奥の方へと進んでいく。事務室、校長室と続いていって、その隣にある会議室、そして多目的室の方へと。


 てっきり会議室の方で話し合いをするのかと思いきや、そのまま中原先生は多目的室の方へと入っていく。学校に通っているときでも入ったことのない空間。そして、使われていないことがよくわかるような、埃臭さが鼻を刺激した。


 多目的室後方にはたくさんの積み上げられている机と椅子の残骸。そこから中原先生は一部を取り上げて、そこに人数分のものを用意していく。どこか昔に経験した三者面談のような、そんな雰囲気のある光景。一席と二席に別れ、少ない方に中原先生が据わり、残っている方に私たちは座った。


「いやあ、卒業生と会話をする機会なんてないので、すごく感慨深いよ」


 着席して、私ときょんちー、どちらから話を振るか雰囲気を伺っていたけれど、その隙をもらったように中原先生は言葉を紡ぎ始めていく。


「そうなんですか?」ときょんちーは聞く。中原先生はそれに頷いた。


「定時制の学校に通う人の大半は訳アリだったりするからね。卒業後、私のような教員と話したい、っていう人も少ないんだよ」


 中原先生はどこか懐かしむような声音でそう答えてくる。私たちもそれに頷いて返す。言葉にはしなかったものの、翔ちゃんの件がなければ、きっとこのまま学校に来る機会なんてなかっただろうから。


「それで、どうしたんです。あなた方が学校に来たのは何か目的があるのでしょう?」


 中原先生の言葉に、私たちは再び頷きを返した。


「えっと、……その。すごく言いづらい話にはなるんですけれど」


 私から言葉を吐いて、どのように結婚式へと話を転換していくかを考える。こういったときに直接的に話すことのできないもどかしさ、というか、そうしてはいけない暗黙の了解のようなものが頭の中にちらついて、なかなか言語化することはできない。


「大丈夫。ゆっくりで構わないからね」


 少ししどろもどろとなる私に、落ち着いてと伝えるようなジェスチャーを加えて中原先生は話す。


「ここには急かす人もいないし、ゆったりと話しましょう。だから、焦らず」


 これが大人の余裕というやつなのかなぁ、と私は中原先生の振舞いを見てそう思った。





「ほうほう、結婚式ねぇ」


 結局、大人になり切ることはできないまま、ほとんど直接的な言葉を中原先生へと呟いていた。


 転校する形にはなってしまったものの、途中まで在籍していた翔ちゃんと皐ちゃんが結婚する、……というか、結婚式のようなことをしたい、という話。そして、彼らが兄妹であるからこそ、普通の挙式ではそれが難しい話。だからこそ、ゆかりのあるこの学校で結婚式を、たとえ真似事であっても挙げたい、という、そんな気持ち。


 中原先生は翔ちゃんたちが兄妹であることは知っていたようで、彼らが結婚する、という話を聞いて相当な驚きを見せた。「なるほど、彼らがねぇ」とどこか感心するような様子さえも見せて、ただただ中原先生は頷いた。


「それで、どうでしょうか。結婚式、ここで挙げさせてはもらえないでしょうか」


 私の言葉を借りるように、隣にいるきょんちーがそう言葉を紡いでいく。私も重ねて「お願いできないでしょうか」と頭を下げてみる。


「ちなみに、結婚式をやるとして、その日付などの詳細は決まっているかな?」


「……え、ええと」


 具体的な日付などは決まっていないし、決めていない。とりあえず、週末の中から翔ちゃんやさっちん、私たちが空いている日を選択しなければいけないのだが、そもそも結婚式の会場を借りられるかもわからないからこそ決められていない。


 言葉に詰まった私に、きょんちーは答えていく。


「まだ、具体的な日付については決まっていません。まず、学校とお話を通してからが筋だと思いましたので、最初にこちらへと伺った次第です」


「……おお」


 きょんちーの言葉に、中原先生は驚いたように息を吐く。何に驚いたのかはわからなかったけれど、その答えをすぐに中原先生は話していく。


「本当に成長しましたねぇ。以前の伊万里さんとは見違えたようです」


 唐突に褒められたきょんちーは少し困惑を浮かべながら「そ、そうですか……?」と返したけれど、それでもその表情には少し微笑が混じっている。


「ええ、ええ。卒業式の時にもその成長は実感していたけれど、こうして緊張するような場面で、きちんと自分の意見を適切に伝えることができている。それは立派な成長だと思うんだ」


 中原先生はきょんちーをしっかりと見据えながらそう言う。私は彼のクラスじゃなかったから、そういった成長した具合とかは口にされないんだろうなぁ、と少し寂しくなった。


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