19


 数年ぶりにくぐった校舎の雰囲気は、昔と何一つ変わっていないような気がする。


 数年、といって片手の指ほどにしか収まらないだけの年数しか経過していないのだから、そこまでそれらしい変化というものはないのだろうけれど、それでも馴染みのある雰囲気が視界に広がれば、どこか安心感を覚えるのは事実だ。


「変わってませんねー」ときょんちーは言った。私もそれに頷いた。


 校門をくぐってすぐ見える細い樹木のそれ。枯れ木のようにも見えるけれど、実際には枯れてもいないし死んでもいない。卒業式に見たときと同じように、こんな細い樹木でも生きていて、枝には葉っぱを生やしている。それがどこかノスタルジーに感じてしまう自分がいる。


 校門をくぐって、まず最初はどこに行こうか、と考えてみる。


 いや、頭の中で行くべき場所はわかりきっている。それこそ、教師たちがいるであろう職員室、そして事務室なんだろうけれど、その前にこの校舎の雰囲気を身体全体で味わいたいような、そんな気がした。


 今日はまだ週末ということで、周囲に生徒らしい影は見えない。もし、部活というものが運営されていたとしても、休日である週末まで活動する熱気は今のところ感じない。私たちのいた時代であれば、休日に熱量を発揮して、部活動に勤しむ人はいた記憶はあるけれど、今のところそんな雰囲気はどこにも感じない。


 変わってない、見た目は何も変わっていない。変わっていないけれど、中身がどこか変わっている。そんな寂しさを覚えてしまうのは何故なのだろう。理由ははっきりとしないまま、私はただ息を吐くことしかできなかった。


 まずその足を向けるべきは事務室だけれど、それよりも先に懐かしむことを優先したくて、それから私たちは昇降口の方へと向かった。事務室ではなく昇降口に足を向けたことにきょんちーは気づいていただろうけれど、それでも彼女が何かを言うことはなかった。同じように懐かしさを楽しみたかったのかもしれない。


 そして。


「うわ! 懐かしい!」と私は大きな声を出してしまう。


 昇降口付近にある花壇のそれ。いつか自然科学部で野菜を育てるための畑として改造した記憶が頭の中に残っている。


 今でこそそんな畑は花壇として元の姿を取り戻していて、紫色の色彩がそのすべてを占有しているけれど、それにしたって懐かしい。私たちはここで活動をしたのだから。


「本当に、懐かしいですね」


 うんうん、と私は彼女の声に頷く。


 翔ちゃんたちが転校してからも、この花壇は私たちが管理していた。冬に向けての植え込みであったり、夏野菜の収穫であったり、きちんと私は昼の部として水やりを忘れずに行ったし、必要な管理があればきょんちーが率先してそれを行っていた。


 そんな記憶が残っている花壇を眺めていると、感慨深いような気持ちもあるし、やはり寂しさのような気持ちも抱いてしまう。きょんちーの声も心の底から呟くような、そんな声だったように思う。


「……そろそろ、いこっか」


 私は切り替えるような気持ちできょんちーに声をかけてみる。このまま学校の探検をするのも悪くはないけれど、もう卒業してしまっている私たちがそのまま居座ってしまえば、どうしたって不審者扱いをされてしまう。流石にそれは私の望むところではない。


 そうですね、ときょんちーは息を吐いた後、一緒に足を事務室の方へとむける。花壇から香る花の匂いが、風に揺れて届いたのを私は嬉しく感じた。





 週末であるということは、大半の人間であれば休日として過ごしているはずだ。休日として過ごしているのであれば、本来私たちが事務室を覗いたとしても、そこから見えるのは無人の空間くらいだろうに、実際には数人の教師や管理職の先生方がいた。


 そんな人たちの姿を見て、唐突にきょんちーが声を上げる。うう、とどこか怖がるような様子でそれを見ているから「どしたのきょんちー」と端的に私は彼女へと聞いてみた。


「……いえ、私も学校に就職したらこうなるのかな、って」


「……あー」


 忘れていたわけではないけれど、きょんちーは現在教師を目指して勉強中。つまり彼女の行く末を想定するのであれば、目の前の事務室に広がる休日労働というものも含まれているはずだ。


「ま、まあ、数人だしさ。きょんちーがそうなるって決まったわけじゃないでしょ」


「……そうですよね。うん、そうしておきましょっか」


 私の言葉に、それでも俯きながら彼女は答えていく。雰囲気を誤魔化すような言葉を私は繰り返したかったけれど、これ以上事務室を前にそんなことをしていたら、そろそろ不審な目で見られてもしょうがない気がする。


 事務室が隣接している職員用玄関の扉は鍵がかかっており、一度開けようとしたが、がたがたと震えるだけでそれ以上の手ごたえはなかった。事務室の中には人がいたので、あのー、と大きな声を出そうとしたけれど、そんな拍子にきょんちーは扉付近にあるチャイムのボタンを押した。視野が広いな、と少し感心した。


 そして、しばらくの沈黙。扉の近くにはチャイムだけしか設置しておらず、そこには応対用のスピーカーもマイクもない。端的にひとつのボタンがあるだけ。だから、このチャイムで誰かが来るのを待つだけの時間を過ごすわけだけれども、途端に現実感のようなものが湧いてきて、心の中が慌ただしくなっていく感覚がした。


 きょんちーも特に言葉をあげることはなく、ただ茫然と目の前のガラス扉を眺めている。透けて見える教師の影、だんだんとこちらに寄ってくる姿が──。


「──ってあれ、中原先生じゃない?」


「……中原先生ですね」


 見覚えのある姿に私はその名前を声に出した。同様に、きょんちーも少し驚いた様子の声音で繰り返すように言葉を吐いていた。


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