12
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結局、特に会話もしないまま時間が過ぎていって、夜は更に暗くなっていく。変わらずついている電灯の明かりだけが私たちを照らしていて、その間に済まされる炊事やそれ以外の家事、もしくは身支度というか、身なりを整える行為であったりが済まされていく。
風呂から上がって爽やかな雰囲気を漂わせる兄貴の姿。少し湯気が立っているその姿に、変にオーラがあるな、とかぼんやりくだらないことを考えてみたりして、ただ過ぎる時間に身を包み続ける。
そのあとは、居間の中心に置かれていたちゃぶ台みたいな小さいテーブルを隅っこに追いやって、広がった空間に布団を敷き詰めていく。
おらよ、と声をかけられた私は、兄貴に従うままに布団を敷いて、それを呆然と見続ける。布団は一つしかないようで、兄貴はそのまま素の畳の上で、自身の腕を枕にして眠ろうとした。
それを突っぱねるように私は兄貴に布団なり、せめて枕なりを渡そうとしたけれど、「寒いからいい」とだけ言葉を返して、静かにそれを押し返してくる。兄貴こそ明日があるのに、と言葉を返したけれど、それに兄貴が返答することはなかった。
だいぶと早い時間に睡眠についていたはずだ。精神的な疲れこそはあったけれど、肉体の疲労はそこまで重なっていない。いつまでもやってこない眠気と、たまに覗く携帯の光。表示されている時間を確認して、こんなにも早い時間から寝るのか、と驚いた記憶がある。
まだ寝息は立っていないまま、静かな空間の中に二人で並んでいる。その間の距離は離れていたとしても、それでも家族であるような温もりをどこかに感じて、安堵を重ねて涙がこぼれそうになる。
「何も聞かないの?」と私は聞いていた。
寝息は立っていないから、まだ兄貴は寝ていないと思った。もし聞こえていないのならばそれでもよかった。独り言のような気持ちになりながらつぶやいていた。
「何が?」
「……その、家出のこと」
「……ま、興味ねぇしな」
「……そっか」
私は兄貴の返答に納得した。普段の自分であったなら、そんな不躾な兄貴の返答にもムカついていたのかもしれないけれど、興味がないからこその、ここまでの行動なのかもしれない、と不思議に自分を落ち着けることができた。
「そういやさ、お前って高一だよな?」
そうして、短い沈黙に針を刺すように、兄貴は言葉を吐いた。
うん、と兄貴の疑問に頷くと、恭平はそれに苦笑するようにくすくすと笑った。思い出しながら話すような声だったと思う。
「俺んとこにな、お前と同い年のやつが入ってきたんだよ、今年」
「……そうなんだ」
興味がないっちゃ興味がなかったけれど、スマホをいじるような気力もなくて、相槌を打ちながら兄貴の話に耳を傾けた。
「紗良と同じくらいの年齢で入るやつにろくなやつはいねぇ、って持論があるんだけどもよ、そいつはなんか面白くてなぁ」
「……うん」
「結構前によ、冗談で、煙草吸えなきゃ大人になれねぇ、って呟いたら、なんかマジにしちゃったみたいで、吸ったんだよな、そいつ」
「……」
犯罪じゃん、と私は返した。兄貴はそれを、がはは、と笑った。違いねぇ、と馬鹿みたいに笑った後、それでも兄貴は話を続ける。
「大人っていうのは、そんな簡単なものじゃねえんだけどな」
ふっ、を息を潜ませた笑みを浮かべながら、少し慎重になるような声で兄貴はつづけた。
「大人はなりたくてなれるものじゃないし、なりたくなくて逃げられるものでもない。だから、煙草を吸ったところで大人になるなんて、そんなこと、あり得るわけもねえんだよ。
だから、そいつには子供のままでいてほしかったなぁ、ってそんな気持ちにもなるし、その年相応の元気さって言うのかな。そういうのを俺は見ていたいんだよなぁ」
私は、そんな言葉を、ただ、うん、と頷いて聞いていた。
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不思議と、その言葉はすとんと心の中に落とし込まれていた。それは兄貴が私に言い聞かせるための作り話だったのかもしれないけれど、それでも納得のできる材料が話の中には含まれているような気がした。
もし、件の少年がいたとするのであれば、私は彼と同じなのかもしれない。
その一年の中で繰り返していた大人のようなまねごとをして、私は大人になり切ったつもりで、無自覚にいたのかもしれない。
だけれど、私はどこまでも子供で、子供のままでしかなく、大人になり切れない人間だった。きっと、ただそれだけだった。
だから、人に絶望をするし、憤りを覚えるし、悔しさを覚える。だから、こんな風に家出をして、そして自分が子供であることを自覚させられる。
私は子供だ、どこまでも子供だ。こんなことをしている自分は子供だ。そりゃ、父親のやったことはろくでもないことのひとつでしかないけれど、それでも私は大人になり切れない子供でしかなかったのだ。
母がなぜ残ったのかを考えた。私が出て行ったのと違って、母はただ言葉を浴びせるだけで済ませていた。そんな振る舞いからも、母が大人であるという根拠が生まれているかもしれない。
本当に、私は子供なんだなぁ。
そんなことを、兄貴の寝息が聞こえる夜の中、一人でそう落とし込んでいた。
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