第4話
部屋に戻り、スマホの電源を入れた。彼女に対するメッセージを開き、連絡を取る。部屋の扉を開いたまま、玄関にゆっくりと向かい、ドアノブを捻り、誰の痕跡も見当たらなくなった道を歩く。もう十字路は独りだった。信号待ちをする車も、背後から聞こえる声もない。初詣に来た人は居るはずであるが、不思議と静かだった。
私は一礼し、鳥居をくぐり、五円玉が財布にあるか見た。たった一枚、十円玉の中に紛れ込むそれはやはり独りだった。賽銭箱に近づき投げ入れる。鈴を触れども、しゃらしゃらとした音色は聞こえない。やるせない願いだけが飛んだ。届いた気配はなかった。
階段を踏み外さぬよう、ベンチに走った。気づけば手がかじかんでいた。手袋は家に忘れてしまっている。上着も忘れている。何故寒さを感じなかったのか、不思議な格好のまま、くしゃみをした。
ただ彼女が来ることを待ちわびる。数時間越し、同じ日でありながら、
「ごめんごめん、遅くなっちゃった……ってそんな格好で待ってたの!? ほら、これ着けて着けて」
彼女は首に巻いていたマフラーを、私の首へと移動させる。私は人の温もりを感じていた。そっと手を首元に遣ると、かじかむ冷たさが柔和されていく。側に座る彼女の肩が触れ、服越しに優しさが伝わる。私は口を開こうとして、すぐに噤んだ。瞳を閉じる横顔を見た。光を受ける琥珀糖のように、透き通る。きっと彼女以外にそんな表情を浮かべる者は居ないだろう。それほど美しい横顔だった。
目を閉じた。私たちは繋がっているのだと思った。ベンチの上で手を重ね合わせ、時には優しく握る。呼吸のペースが呼応していき、白い息が雲のようになる。そろそろ参拝客がやって来てもおかしくない時間だった。然し誰一人として鳥居をくぐる気配はなかった。話す時間はいくらでもあるというのに、ただ無言で居る、今が心地良い。脈拍のみが微かに聞こえるばかりの静寂はいつか絶えるものである。確信などあるはずもない妄想であったが、それは確かであった。
彼女の口が開かれた。口の中が乾燥し始めるのを感じた。緊張感が高まり、張り詰めた空気が辺りを覆う。重ね合わせた手が固く握り締められ、私は彼女の目を見つめた。
「誰も来ないね。何だかひとりぼっちになったみたい」
「今って何時なんだろう。こんなに人が居ないなんて不思議だね」
「うーん、そんなに時間、経ってない気がするんだけどなぁ〜。多分十時過ぎくらいだと思うな〜」
「やっぱりおかしいよね、誰も居ないなんて」
「そうだね〜でも私は嬉しいよ。誰にも邪魔されないでゆっくり話せるでしょ?」
「それは……そうかも」
互いにはにかんだ。スマホの震える音がした。彼女はポケットからスマホを取り出し、画面を見つめる。画面が真っ暗に変わり、ベンチの上にそっと置かれた。私も寄り添わせるように、スマホを置いた。誰からの連絡だったかなんてどうでもいい。瞼の裏には炬燵が映り、向かいには彼女が座る。籠から蜜柑を一つ手に取り、皮を剥く。彼女は既に一房、口の中に放っていた。私も真似をして、蜜柑を一房食べた。炬燵の温度は冷えきっていた。然し暖かいと思えた。
瞼を徐に押し上げ、境内を眺めた。やっと一組、参拝しているグループが居る。それは見知った顔で、確かにクラスメイトであった。こちらに気づく様子もなく、気ままに談話を続けている。その後ろにまた一組、カップルらしき二人が居て、昨日会った王子様によく似ていた。然し彼女たちは私たちと同じように、昨晩参拝しているはずである。初詣を二回もするなんて、稀有な存在であるとしか思えない。他人の空似だと思った。然し私たちに向かって揺れ動く手の平を見るに、彼女は王子様なのだろう。よく考えれば、私たちだって二回目の初詣であるのだから、何ら違いはない。彼氏らしき人物と手を握る彼女は、昨日と同じとは思えなかった。握り締めた手を緩め、指先を絡める。すぐ側で頬を染める彼女は愛おしかった。
一人が鳥居を抜け、参拝しようとする素振りも見せず、石畳から外れ、私たちの方へ寄ってくる。顔を上げるとそこには委員長が居た。昨晩と同じ格好で、私たちを見下ろす。二人揃って端の方へ動く。生まれた隙間に委員長は腰掛ける。再放送のように変化のない時間が流れていた。
「おはようございます。お二人も昨日雪のせいで帰らざるを得なかったから、もう一度参拝しに、って感じですかね」
「いや〜私はもう一回行かない? って言われたから来ただけだよ〜。そういえば何でもう一回行こうって言ってくれたの?」
「委員長と似たような感じだよ。お守り買えてなかったけど、一人で行くのはな、って思ったから」
「そうなの? でもあれでしょ? そんなこと言って私と会いたかっただけなんでしょ?」
「……」
「そ、そんな目で見ないでよ〜」
「仲が良さそうで何よりです」
昨晩、突然解散させられた時間が戻ってきたような気分のまま、談話を続けた。ただ笑い合う、穏やかな時間だった。もう二度と過ごせないのではないかと思える時間だった。この時間が永遠に続けばどんなに良い事かと思った。然し時間が止まることなど有り得ない。石畳を通って、こちらに向かう王子様たちを眺めながら、優空に聞いてみる。
「……皆がさ、同じ時間を過ごしてると思う?」
「どうなんだろう〜今こうやって皆で集まってるとさ、同じ時間を過ごしてるようにも思えるけど、それでも感じてる価値は違うかもだろうな〜そしたら結局違う時間なのかなぁ、って思っちゃったり」
私は彼女の返事を聞いた。まださらに深くへ踏み込みたく思って、あまりにもパーソナルスペースであると、やめた。手を離し、彼女の頬に手を添えた。頬は赤かった。その理由は確かではないが、愛おしい赤さだった。クラスメイトたちとの距離は近づく。時計の針は無遠慮に進む。私たちは立ち上がり、集まっていく。夢で、この様子を見ていた気がした。メッセージには、皆で集まろうと記されていた。中央には炬燵があった。本当に集まるその前に、目が覚めてしまった。彼女は眠りについていた。眠る穏やかな顔を眺めていた。夢と違うところはいくつもあるが、然しデジャビュを感じる。本当に同じ時間を過ごしているのか分からなくなった。きっと彼女もそうだろう。私は炬燵に入りたいと思った。彼女と一緒に蜜柑を食べれば、分かることがあるかもしれない。体は暖かかった。彼女の体温が私には残っていた。快晴の空から降り始める雪は、やけに細やかだった。
雪が降るということは、解散の合図と成り得る。傍に腰掛ける彼女たちを横目に、鼓動が早くなるのを感じた。帰りたくないと思った。どれだけ
私が優空の元に着いたときには、やはり皆散り散りになっていた。また二人きりだった。然し独りではない。私たちは繋がりあっている。それは確かであった。
またねと言って、帰路に就く。雪の積もる道路は淋しい感じがする。誰かとすれ違うことのないまま、それでいて独りではない。見慣れた街並みを見ながら、自分の家はどこかと探していると、メッセージが送られてきた。
「今日は楽しかったね! またどこか遊びに行こう!」
数秒間、時が止まったように眺めた。次はどこに遊びに行くのだろうと思った。もし本当にそうなれば、幸せであろう。然し本当にはならない気がしていた。ふと彼女の顔が頭に浮かぶと、彼女なら、もしかしたら、と思う。矛盾する思考の渦に呑まれてしまいそうだった。頭を起こし、スマホを両手で抱えた。
「そうだね、遊びに行こう。進級してからも、ずっと」
空は白く染まっていた。残った課題が机の上に置かれている様子が思い浮かぶ。面倒臭いという感情が心の中を埋め尽くす。心は穏やかになった。街並みの静かさが心地良かった。
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