第2話
信号機が静かに色を変える。ほんの一瞬で車が止まり、流れが変わる瞬間はいつ見ても面白い。今止まっている車たちとは、きっとまた再会する。全員がウインカーを出し、右に曲がっていく。誰一人隊列を乱さず、一様に、規則正しく曲がっていく。
眺めていると声がした。振り返ると、そこには既に顔があった。思わず肩が跳ね上がる。
「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します」
「明けましておめでとう、委員長。今年もよろしく。初詣、やっぱり行くの?」
「はい、毎年除夜の鐘が鳴ったら初詣に行くと決めておりますので」
「毎年よく寝過ごしたりしないね」
「毎年のことですから」
三つ編みの真面目そうな少女は鋭い眼光を持っていながら、決して圧が強くない。身長は私よりも頭一つ分小さく、クラスの中でも背は低い方である。堅苦しい話し方で一見話し掛け辛く思えるが、クラスでは
「しかしその格好……寒くないのですか?」
「うーん、少し寒いくらいかな」
やはり私の格好は薄めであった。ダウンジャケットを着るような気温の中、カーディガンに近い上着を着ている。鼻先は赤く、息をする度鼻腔がツンとする。何かに急かされるように、家を飛び出たのが悪かった。
「やっぱり寒いですよね。はい、これカイロです。使わないよりはマシになると思います」
「ごめん、助かる」
「いえ良いんですよ。カイロは沢山買い溜めているので」
彼女はカイロをシャカシャカと振った。信号機の色がまた変わった。肩を並べ、歩き出した。すぐ先には鳥居が見え、さらに奥には石畳が続く。石畳を隠す人の多さは毎年のことで、それでいて非日常だった。その中に潜む日常、見知った顔は安堵を
「初詣来たけど、どこにいるの?」
「本当に来てくれたの!? いつもだったら来てくれないのに……このツンデレさんめ!」
「今委員長と一緒にいるからこのまま二人で参拝しても良いんだけど」
「ごめんごめん。私も入れてよ〜」
「だからどこにいるのって」
「あ、そっか。私はお守り買う所にいるよ!」
スマホを閉じ、鞄に仕舞う。側で眼鏡を押し上げる彼女の整った横顔は美少女そのものだった。顔を左右に振り、声を掛けた。
「お守り売ってる所に優空いるらしいんだけど、行かない?」
「ああ露崎さんですか。折角ですので行きましょうか」
石畳から外れた、土が押し固められた道を歩く。コンクリートと比べても遜色ないほど歩きやすい道は、人通りが少なかった。皆取り敢えず参拝を終わらせてしまいたいのだろう。その横を通り過ぎ、神社の外れへ向かった。本殿と比べてかなり小さな建物がある。隠れるように自販機が存在していた。側に優空は居た。微かに湯気の立つ缶を両手で抱えながら、空を眺めていた。いつも元気な彼女の珍しい表情だった。私たちは顔を見合せながら、彼女の元に寄る。彼女は気づいたのか、明るい表情を浮かべながら、こちらに向かって手を振る。
「委員長、明けましておめでとう!」
「明けましておめでとうございます露崎さん」
「もっとゆるく話そうよ〜」
「いえ、癖ですから」
挨拶を終え、自販機横のベンチに腰掛けた。三人横並びで、缶から湯気が途絶えるまで待った。喧騒とは無縁の時が流れる。心揺らぐことのない穏やかな時間だった。
鞄でスマホが震える。私は鞄に手を伸ばした。然し指先すら触れる前に、委員長が立ち上がる。
「申し訳ありません、家族から電話が掛かってきたようで……少し離席します」
静寂を破る携帯は遠ざかり、喧騒の中に呑まれていく。再びベンチ周りは
「ねえねえ、あの人混みの中に何人の知り合いがいると思う?」
「うーん……十人くらいじゃない。こんな夜にわざわざ来る人も少ないだろうし、そもそも初詣に行かない人もいるしね」
「それぐらいなのかなぁ……もっとかいると思ってたんだけど……やっぱりそこまでいないのかな。私もまだ二人にしか会えてないし……」
「分からないけどね。すぐにでも初詣に行くって人が多かったら、もっといっぱいいるかもしれない」
「そうだといいな。だって皆同じ時間に年を越したのに、次に会うのはただの日常なんだよ? せっかくの特別な日が何だかもったいないよ」
「そう? 全員でまったく違う場所で、まったく同じ時間を共有してるって、面白くない?」
彼女は黙ったままだった。空に浮かんだ月を眺めるばかりだ。真似をして天を仰ぐ。雪が降っていたのが嘘だったみたいに空は澄み渡っていた。
「ねえ、もし私が遠くに行ったとしても、同じ時間を過ごしてると思う?」
私は質問の意図を汲み取らねばならなかった。然し嘘で塗り固めた言葉を発するのは嫌だった。口元が綻んでいく。発す言葉はきっと本当だった。
「もちろん、同じ時間を過ごしてるよ」
「そっか〜そうだと良いよね〜」
雪が降ってきた。月が霞んでいく。私は写真を一枚撮った。霧の中から撮ったような、曇りきった写真。壁紙に設定した。二人一緒に微笑みながら、屋根の下に逃げた。両手を前に出し、繋ぎ合った。手袋の肌触りは無機質なものに思えた。委員長が駆け足で戻ってくるのが見えて、繋いだ手を解いた。そして背中の方で指を交わらせた。絡まり合って解けなくなるほどに激しく、指は動いた。雪の降る勢いは増していた。
私たちは転けないように気をつけながら走った。
石畳の上に立ち、本殿の方へ向かう。家に帰ろうとする参拝客たちを横目に、本殿は近くなっていく。
賽銭箱の前に到着する。二人は瞼を閉じ、手を合わせる。その様子を眺めていれば、何をお願いしようとしていたか忘れてしまった。ただ五円玉を投げ入れただけだ。
一礼して去る彼女たちの、後ろをついていく。滑りそうになる階段を
ふと座っていた方を見ると、ベンチには雪が積もり始めている。石畳の上、私たちの足跡が、雪に埋め尽くされていくのを見て、私たちは会話も交わさず、ただ手を振るだけで散り散りになった。カイロはすっかり冷えていた。またねと言うことすら叶わず、帰路に就いた。街灯が街中を照らしていた。
家に入ると、年明け前に戻ってしまったみたいだった。カイロから手を離し、手袋を外す。重さとは無縁の軽やかな音を立て着地した。そこには哀愁の塊があった。拾い上げ、靴箱の上に載せる。上着をクローゼットの中に隠した。手洗いもせずに階段を上った。ドアノブが軋む。真っ暗な部屋で、気怠げな様子のベッドに飛び込んだ。反発してくる感触はない。静かに受け入れてくれる懐深さが嬉しかった。私は眠った。太陽が昇り、月が眠りにつくその時まで、眠り続けた。
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