炬燵の中、きっと同じ時を過ごす

夜霧久遠

第1話

 炬燵の上には蜜柑がある。籠の中に山のように積まれ、冬という感じがする。

 台所の方から、年越し蕎麦が運ばれてくる。お盆の上に三つの丼、落とさないように気をつけながら、蜜柑の側に置いた。母さんは寒がりながら炬燵の中に足を入れ、丼を配膳してくれた。湯気がテレビを覆い隠す。父さんの眼鏡が曇る。皆で挨拶をして、割り箸を割った。もう少しで年が明ける。蕎麦を啜る音が部屋中に木霊した。カーテンの隙間から雪が微かに見える。確かに寒さは増していた。エアコンが部屋を暖める。窓の側に寄れば、凍えそうになる。窓は結露していた。軽く触れると指先がふやけてしまいそうだった。

 年越し蕎麦を食べ終え、炬燵から出た。体が震える。直ぐにでも炬燵に帰りたかった。しかえてソファーに腰掛けた。スマホの画面を点ける。ネットの世界は年越しで盛り上がり、神社の写真を上げる人、甘酒を飲む人、何事も無く過ごす人と、十人十色で面白い。

 通知音が響き、私はメッセージを開いた。気の早い「あけおめ」がそこにはあった。口元がにやける感覚を覚えながら、返事をする。


「あけおめにはまだ早いでしょ」

「いやいや〜もう年越しと一緒だって〜」


 時計を一瞥いちべつする。秒針は時を刻み続け、気づけば残り一分であった。スマホを持ったまま窓際に駆け寄り、カーテンを開く。まだ雪が降っていた。雲が星々を覆い隠し、どこか視界が悪い。吐く息は窓を曇らせる。雪は積もるまでは行かず、地面をほのかに湿らせる。冬であるという感じがした。残り数秒の時を味わった。時計の音、フローリングに引っかかる足の音、屋根に雪が触れる音、食器同士が重なり合う音、音量の大小あれど、聞こえる音が心地良い。テレビからカウントダウンの音がする。今までに感じたことのないほど長い十秒だった。スマホにもう一度目をり、文字を打ち込んでいく。


「明けましておめでとう。今年もよろしくね」

「こちらこそよろしくだよ!!!」

「初詣は行くの?」

「もっちろん。何なら今から走って行っちゃうよ〜」

「そっか。私は日が昇ってから行くよ」

「え、今から来ないの?」

「うん、行かない」

「え〜行こうよ〜」


 私はスマホの画面を切って、窓を開けた。数分経ったか怪しいやり取りの間に雪は止んでいた。空は澄んでいる。プラネタリウムのように星々が浮かぶ。大抵は小さな星だった。きっとその奥にも、隙間にも、見えない星が存在する。肉眼でもカメラのズームでも見えない、さらに遠くに存在する。メッセージの先、顔の見えない彼女みたいだ。スマホという媒体を通して話ができる。然し表情も、何をしていたのかも分からない。文章の温度を感じながら存在を得る、この直接会うとも電話とも違う温度の感じ方には、寂しさがある。

 私は窓を閉め、玄関に走った。足の裏に伝わるひんやりとした感覚が心地良い。クローゼットから上着を手に取り、羽織った。靴紐を緩めて結び直した。ドアノブを握る手が軽い。指先から伝わる静電気すら許してしまう。外の景色はほとんど変わらない。然し美しさだけは数倍にも思えた。星の煌めきが街中を照らし、その輝きは夢の中に居るようだった。

 人気の少ない住宅街を歩いていく。街灯の明かりが暗がりに思えるほど街は星明かりに満ちている。マフラーか手袋かを着けて来れば良かったと思うほど、気温はまだ低かった。握った手を開けば握る前よりも寒い。手の甲は赤く染まり乾燥する。吐く息はカイロのように暖かい。鼻先にそれが微かに当たり、暖かく感じ、すぐに冷たさが押し寄せる。

 寒さを堪えながら十字路に辿り着く。カーブミラーが一本立ち、そこには一人の少女が映っている。彼女はスマホから目を逸らし、私の方に気づくと、手を振った。


「明けましておめでとう。今年もよろしく」

「まさかこんな所で会うとは思ってなかったよ。あけおめことよろ、だね」

「そうだね。こんな所で何してるの?」

「僕は彼を待ってるんだよ。一緒に初詣に行こうって、冬休み前に約束したからね」

「いいね。私も優空ゆあが初詣行くらしいから、今から一緒に行くんだ。約束はしてなかったけどね」

「それでいいじゃあないか。運命的とでも言っておこうか」

「運命的なんて言うにはロマンチックじゃないかもしれないけれど……うん、やっぱり運命的かも」

「そうそう。奇跡とか運命とかは本人がどう思うかなんだから」


 彼女は寒がりの中、嬉しそうな声を上げる。微かに濡れた肩は優しさの塊であるかのように振る舞う。マフラーから零れる息は愛情の具現となる。

 角から現れる人影に、彼女は愛しの飼い主と、久方ぶりに再開した犬のように手を振った。私は一歩離れて眺めていた。徐に近くなる影は実体と化し、互いに走り出し、抱擁する。

 早く奥に進みたくなった。今にも接吻せっぷんしそうな彼女たちを見てはいけない気がした。私は邪魔しないよう、気づかれなくても気にしないほどの気持ちで言った。


「先に私は神社に向かうよ。二人とも楽しんでね」

「おっと……すまない、盛り上がりすぎてしまったよ。お詫びなんてわけじゃないけど、これをあげよう」


 彼女の鞄から取り出されたのは手袋だった。真っ赤で、親指だけが別の部屋に入れられている。毛糸で編まれた新品に見える手袋だった。


「それ、さっき着けようと思ったら、小さくて入らなかったんだよね。君ならきっと入ると思うんだ」


 私は恐る恐る左、右と手を入れる。すると元々私のものだったみたいにサイズが丁度だった。


「やっぱり入った! よし、それは貰って欲しい。君の手、真っ赤だし丁度よね?」

「いいの? 確かに寒かったからありがたいけど……」

「もちろん。使えない僕が持っているよりも良いことだからね」

「ありがとう」


 彼女に手を振りながら、十字路を真っ直ぐに進んだ。初めて会ったときから変わらず、やはり王子様みたいだった。美男子と見間違えるほどにショートの髪の毛、男子と遜色ないほどに高い背。服装は勿論のこと、慈悲深く、誰よりも積極的に動くその性格は正に王子のようである。私の手は世界で一番暖かかった。息を吐いても冷たくはならない。そこには確かに優しさがあった。

 年を越したからといって、途端に変わるわけではない。然し気分は恋に落ちたときと同じように興奮していた。

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