第3話 頭を撫でたい

 ヴェロニカが眠ってから数時間が経過した。この間、面白いことは特になかった。あるとすればずっとヴェロニカに膝枕をしてあげているくらいか。

 魔物も人も襲ってこない。気配すらない。逆に怖くなるくらい気配を感じない。まぁなにか出てきて戦闘になり平穏が失われることと比べれば良いのだが。


 点々と輝きを灯す夜空。冷たい空気を思いっきり吸い込んで、ゆっくりと吐き出しながら見上げる。色々あって火照った身体が徐々に落ち着く。だけれど目線を落とした瞬間に火種に炎が着火した火のようにぼわっと再熱する。くらっとした。

 胸が、頬が、額が、全身が火照る。

 真っ赤になっているのだと自覚する。ヴェロニカはすやすや眠っているので多分今の私を見ることはないら、だけれど万が一がある。万が一。なにかの拍子にふと目が覚めるかもしれない。起きて、この真っ赤な顔を見られたら今以上に恥ずかしくなって、恥ずかしさが限界突破して死ぬかもしれない。というか死ぬ。死ぬな。絶対死ぬ。だから明かりが月と焚き火しかないこの環境に最大限の感謝をする。というかこの状況を作ってくれたのもこの環境だ。感謝してもし足りない。


 空いている両手を顔の前に持ってきて見つめる。そしてまた私の太ももの上で気持ちよさそうに眠っているヴェロニカを見る。


 ……。


 葛藤が芽生えた。それは小さな欲望であった。

 ヴェロニカの綺麗な髪の毛に触れたい。そして指で梳きたい。ただそれだけのこと。

 なのに私には決心がつかない。


 「ヴェロニカさん」


 声をかけてみる。

 すぴーすぴーと眠ったまま。

 どうやら結構深い眠りについているらしい。それだけ疲れているのかと憂うべきか、私のことを信頼してくれているんだと喜ぶべきか。少し考えてみたけれどわからない。


 まぁそんなことはどうでも良くて。

 今はヴェロニカの頭を撫でる千載一遇の大チャンス。ここを逃したら……そうきっと、もう彼女の頭に手を触れることはできないのだろう、と思う。少なくとも今の私に「頭撫でさせてください」と声をかける覚悟はない。それにそうことをしている光景も想像できない。でも今は目の前にある。ちょこっと手を伸ばすだけで、動かすだけで、頭を撫でることができる。好きな人の髪の毛に触れることができる。

 なのに。

 やらなくて良いのか私。あれこれ理由をつけて逃げて良いのか私。後悔しないか私。する。絶対に後悔する。というか後悔しかしない。


 ど、どうにでもなれ!


 後頭部に手を当てる。彼女の体温が手のひらにほんわりと広がる。心臓がバクバクする。うるさい。やかましい。一つ大きな深呼吸を挟む。一旦、一旦落ち着こう。

 未だにドキマギし続けている胸にそっと左手を当てる。どくんどくんどくんどくんと心臓の鼓動が手のひらに伝わる。ああ、生きてる。なんて思う。それから彼女の頭に当てていた右手で撫でる。そして指で髪を梳く。絹糸のような銀色の髪の毛はさらさらっと指と指の間で解ける。


 「すごい……ちゃんと手入れされてる。私とは大違い」


 ここで女子力の差を痛感させられる。さすが聖女。身なりには人よりも何倍も気遣っているのだろう。髪の毛のケアなんてしたことがない私とは雲泥の差。段々と美容意識の欠片もないことが恥ずかしいなと思ってしまう。


 「てか、サラサラ……サラサラ過ぎる。なにこれ……一生撫でてたい」


 一度行動に移すともう止まらない。理性という名のストッパーが外れてしまった。

 髪の毛を触って、撫でて、それだけで満足するはずだった。その予定だった。だけれど人間という生き物は愚かで欲深い。贅沢をすると、さらにさらにとその奥を求めるようになってしまう。


 頭撫でれたし、次は顔を撫でたい。頬を触って、唇に指を触れて……。

 と、どんどんと求めるものが上がっていく。


 「いやいやまずいでしょ」


 髪の毛を触っている手をそのまま顔の方へ動かそうとして、失っていたはずの理性がひょこっと顔を出して止めてくれる。頭を撫でていた手を止める。

 そしてしばらく逡巡した後に、すっと手を戻す。頭から手を離す。もしもこれ以上撫で続けていたら、取り返しのつかないことをしてしまうような気さえした。もちろんその根拠はどこにもないのだけれど。なんとなく、そんな気がしただけ。


 手を離して一息吐く……も同時に私の手首に圧迫感を覚えた。

 ヴェロニカが私の手首を掴んでいた。しかも結構ちゃんと。力を入れて。寝相が悪くてたまたまこうなった……という感じではない。しっかりと、手首を掴むんだという意識を持って、私の手首を掴んでいる。ゆっくりと彼女の顔を見る。ヴェロニカは目を見開いていた。目が合う。瞳がキラリと光る。鋭さに驚いて肩をビクッとさせる。


 「なんでやめちゃうの?」


 ヴェロニカは甘えた声を出してきた。今まで聞いたことのない声であった。好きな人の見たことのない一面を見た気がして狼狽える。うおっ、と汚い声を出さなかったことを褒めて欲しい。

 というか、なんでやめちゃうのってどういうこと? いや、意味はわかる。意味はわかるんだよ。そうじゃなくてさ、どういう意図でそう言ったのって思うわけ。脳内お花畑な私が言葉をそのまま受け取るのなら、もっと撫でてと言われてる。そう解釈しちゃうけれど。でもそれはあまりにも私にとって都合の良い解釈である、という自覚はある。だから多分違うのだろうと思うし、違うだろうと思うから正解を探ろうとする。


 「えーっと、その」


 掴んだ手を離してくれないら、でも本当のことを言うわけにもいかない。やっちゃいけないことをしちゃうかもしれないのでやめました、とは口が裂けても言えない。これは墓場まで持っていかなきゃならない。


 「起こすと……まず……あっ。そうです。起こしちゃいけないかなと思って。やめました」


 良い言い訳を見つけた私はそれに飛びつく。


 「じゃあもう関係ないね」

 「関係ないって……」

 「だってもう私起きちゃったし」

 「それは……まぁたしかにそうですけど」

 「ほらもう関係ないんだから。撫で放題だよ。頭。撫でたかったんでしょ? いいよ。撫でて」


 ニマニマしながらそんなことを言ってくる。小悪魔みたいな悪戯っぽい笑みを浮かべ、腹部に向けてぐりぐりと頭をぶつけてくる。痛くはないのに痛かった。主に心が。


 「……てか、いつから起きてたんですか」


 ふと気付く。今起きたばっかりというような反応ではないことに。

 恐る恐る訊ねる。

 さっきまでニマニマしていたヴェロニカはより一層口角を上げる。


 「どこからだろうね〜」

 「え、ちょ、ヴェロニカさん!?」

 「うーんとねー、私の名前を呼んだところくらいからかなぁ」


 それって最初からってことじゃないか。

 じゃあ頭撫でてる時ずっと起きてたってこと? 葛藤している時も起きてたってこと?

 ヤバいどうしよう。めちゃくちゃ恥ずかしい。


 「起きたてたなら早く変わってください。それじゃあ私……寝るんで。良いですか、寝ても。寝ますよ」


 間髪いれずに言葉を続けて、木に寄り掛かる。さっきまでヴェロニカがかけていたブランケットのようなもので下半身を覆う。まだヴェロニカの温もりが残っている。


 「膝枕してあげようか? 私が頭撫でてあげるよ」

 「い、いらないです」


 強がって拒否する。そしてゆっくりと瞼を閉じて早速やっぱりお願いすれば良かったかなぁと後悔する。頭撫でるのはともかく膝枕なんて早々してもらう機会ないよね。もしかしたら最初で最後だったかもしれない。

 きっとことある事に、あの時膝枕してもらえば良かったなぁと思うことになるのだろうなぁと憂鬱な気持ちを抱えながら、私はそっと意識を手放した。








 「えいっ、とりゃ、あっち、あっち行って……なんでこんなところに」


 夢の世界から帰ってくるトリガーになったのは、ヴェロニカの切羽詰まって震えた声であった。

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