第6話 遠ざかるリズム


 次の日の放課後、陽は音楽室に向かう足を止めた。

 昨日、麻央と奏が一緒にいた場面が、頭から離れなかった。


 ――自分だけの場所だったはずなのに。

 そう思ってしまったことが、どこか情けなく、そして自分勝手に感じた。


 けれど、それでも、胸の奥に沈んだ重たい感情は拭えなかった。


 階段を上がる途中、背後から声がした。


「高城くん!」


 振り返ると、三宅麻央が息を切らせて立っていた。


「よかった、ちょっと話してもいい?」


「あ、うん……」


 廊下の端に移動して、ふたりは向かい合った。

 麻央はどこか言いづらそうにしながらも、まっすぐに言葉を続けた。


「昨日のこと……ごめん。なんか、私、空気読めなかったかなって思って」


「え?」


「だって、あの音楽室って、高城くんと奏ちゃんにとって特別な場所だったんだよね?」


 陽は言葉に詰まった。


「別に……そんなつもりは……」


「嘘だよ、それ。気づいてるよ。奏ちゃんのこと、好きなんでしょ?」


 ドクン、と心臓が跳ねた。


「……えっ?」


「私、見ててわかったもん。目の向け方とか、言葉の間とか……」


 麻央は静かに微笑んだ。


「ごめんね、変なこと言って。でも、私……奏ちゃんのこと、応援したいって思ってる。だから、高城くんにもちゃんと向き合ってほしいなって思ったの」


「向き合う……って、どうやって?」


「知らないよ。恋って、そういうものでしょ?」


 冗談めかした麻央の言葉に、陽は小さく笑ってしまった。

 けれどその笑みの裏で、心の奥にある確信が、少しずつ形を取り始めていた。


 その後、陽は音楽室に向かった。

 扉の前で深呼吸して、そっとノブを回す。


 そこにいた奏は、ひとりだった。

 静かな音楽が、彼女の指先から紡がれていた。


「……ごめん、遅れた」


「ううん、大丈夫。……来てくれて、よかった」


 奏は少しだけ安心したように笑った。

 その表情を見て、陽は言葉に詰まる。


 この笑顔を、誰にも取られたくない。

 そんな感情が、胸の奥で確かに揺れていた。


「……奏」


「ん?」


「昨日……麻央さんと楽しそうだったな」


 自分でも、思った以上に率直な言葉だった。


「え……?」


「いや、悪い意味じゃない。ただ……なんていうか……」


 言葉が続かない。うまく説明できない。

 だけど、伝えたかった。今の気持ちを、ちゃんと。


 奏は、少し戸惑ったように視線を落としたあと、小さく呟いた。


「……麻央ちゃん、すごくいい子だよ。優しくて、すぐに仲良くなれた」


「……そっか」


「でもね、あの場所は……私にとっても、特別なんだ。陽くんといる時間、私はすごく好きだよ」


 陽の胸が熱くなった。


「……ありがとう」


 奏が微笑んで、手元の楽譜を指さした。


「じゃあ、今日はまた二人で弾こっか。あの曲、もう一度合わせたいな」


「ああ、うん」


 ふたりは鍵盤に向かう。

 昨日のざわつきは、まだ完全には消えていない。でも、少しずつ呼吸が合っていくように、心もまた重なっていく気がした。


 音楽室に流れる旋律は、ふたりだけのリズムで響いていた。

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