第3話 幽霊にぶつぶつ言う女

 頭が半分欠けていて、長い髪が片方にしか垂れていない。目は白濁して、黒目が無い。

 八木は、悲鳴をあげて足がもつれて倒れた。それでも這いつくばって逃げようとする。

 隣にいた、もう一人の背の低い方には、良美は見えていない。何が起こったのか分からず、「兄貴、急にどうしたんですか」と、中腰で八木に両手を差し出すが、八木はとにかく逃げようとして、七転八倒しながら離れた。

 その姿が道向うの歩道を歩く人に撮影されてたようで、SNSにアップされ八木の被害にあった人達によってまたたくまに拡散されてしまった。

 強面のたかり屋の不様な姿は、ずっとSNSに残ることになった。

 這っていく八木を気にも止めず、良美は前を向いて歩き出した。


 しばらく歩くと、月夜を背景に映し出された、高い木のシルエットが見えた。公園の中の木だった。街路灯が照らし出す夜の公園は、何故か魅力的で園内に吸い込まれるように入っていった。

 さらに、その中に黒い水面の池があった。何とも良い雰囲気である。池はフェンスで囲まれている。その手前にトイレがある。そのトイレとフェンスの間の狭い隙間に入った。奥は、金網で行き止まりになっている。その足元に象がいた。乗るとゆらゆら揺れる乗り物の象だ。古くなったので、ここに置かれているのだろう。

 あまりにも居心地が良さそうなので、良美は象の前に座り込んだ。それでも、頭の痛さと耳障りは消えてはくれない。

 ここにずっと座っていようかと思っていたら、一人の女がこの隙間に飛び込んで来た。若い女だった。良美が見えていないので、躊躇なく象に向かって座り込んだ。そのため良美の目の前に彼女の顔があった。


「何で、家の前にいるのよ。信じられない」

 彼女が象にぶつぶつ喋りだした。


「初めは、優しくて良い人だと思ったのに」


「毎晩、帰りの電車で会うし。変だと早く気付けばよかった」


「夜中に目を覚ましたら、家の前にいたのよ」

 良美は、目の前で文句を言ってる彼女の愚痴を聞いていた。どうやらストーカーされているようだ。


「それで、つきまとうのは止めて下さいって言ったのよ」


「分かったって言ったくせに。今日帰ったらアパートの前にいて、様子がおかしいから逃げたら、追いかけてきたの」


 彼女の名前は、篠崎郁子しのざきいくこ。今年就職したばかりで、アパートに一人で暮らしている。髪も目もくりくりしていて可愛いい女子だ。

 先輩の指導に懸命についていっていたら、その先輩が郁子に付きまとうようになった。夜中までアパートの前にいたことがあった。

 付きまとうのを止めて欲しいと頼んだら、了承してくれた。しかし今日、会社から帰ったら、既に先輩がアパートの前に立っていた。

 郁子は怖くなって逃げた。すると、先輩が気が付いて追いかけて来たのだった。

 


 良美は、目の前で郁子がぶつぶつ言っているのを聞いていた。

 すると、男の声が聞こえた。

「見つけた」

 先輩が隙間に顔を出した。


 郁子は振り向くと、先輩を見て立ち上がった。


「どうして逃げるの。でもいいとこに逃げ込んでくれたね」

 男がポケットから手を引き抜くと、手の先にナイフが握られていた。

 郁子の顔が強張った。


「好きなんだ。ずっと一緒に居たいんだ。だから一緒に死のう」

 男は、ナイフを持って隙間の中に入ってきた。隙間の奥は行き止まりになっている。彼女はもう逃げられなかった。

 男が狭い空間に入って来る。郁子は、象に遮られてそれ以上いけない。

 男が彼女の腕を取ってナイフを振り上げた。彼女の脳裏に、ナイフの鋭利な刃先が自分の肩に突き刺さる映像が浮かび上がる。

 しかし、男はなかなかナイフを振り下ろさない。動き止まっていると思ったら、「うわっ」と叫んで後ろに飛び退き、尻餅をついた。

 郁子の顔の横に、頭か割れた白目の女の顔がある。 良美は、自分の意志で姿を現したのだ。

 男は、壁にぶつかりながら、必死に逃げて、隙間から転げ出た。

 郁子は何が起こったのか理解が出来ない。後ろを振り向いた時には、もう良美は姿を消していた。

 


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