そういうものに憧れた

hibana

そういうものに憧れた

 アイドルになった理由、きっかけはと訊かれることが多くなってきた。そういう時はにこっとして、「みんなに夢を届けたくて」とか言っている。答えになってないがなんでだかそういう答えでみんな納得する。

 実際のところ、理由なんてあってないようなものだった。私たちが子供の頃はアイドル業界が活気づいていて、小学校に上がる前の私たちはみんなアイドルになりたかった。夢というよりは、ブームだ。女児のアイドルブーム。みんなひらひらの衣装に憧れて、歌って踊っていた。そしてそれを、みんな忘れていく。実際、小学校に上がれば『アイドルになりたい』と声高に言う女の子たちは私の周りからはいなくなっていた。

 私だけだ。私だけがいつまでも本気で、アイドルになれると信じていた。まあ、可愛かったからね。


 だから、『どうしてアイドルになったのか』という問いにはこう答えられる。『アイドルになりたい女の子なんて当たり前にたくさんいて、その中でも私は可愛かったから』である。


 とまあ、本音と建前はしっかり区別し、一応清楚系アイドルとしてやらせてもらっている。


「で、なんでアイドルになったの?」


 そう訊ねる男に、私は眉を顰める。

「話聞いてた?」

「あんたにアンチが多い理由なら、今わかったけど」

 別に多くねえし。

 私はため息をついて、「そんなことよりアンタが何者かそろそろ教えてほしいんだけど」と男を見る。男は人懐っこい表情で「だから、ジンタだって」と言った。


「名前とかじゃなくてさ」

「強いて言えばヒーローかな」

「元気そうだし、出てってくれる?」

「あーまだ傷が痛む……外に出たら死んじゃいそう……」


 この男はジンタ。自称ヒーローで、その辺で怪我してたのをこの前拾ってきた。何やってるかわかんないし、病院にも行きたがらないし、フルネームも言わないし、『ジンタ』って名前すら本当か怪しい。

 アイドルが家に男連れ込んでていいのかって? いいわけがない。アイドルじゃなくたってこんな怪しい男を家に連れ込むなんて到底正気ではない。でもあの時は怪我して弱っているように見えたし、殊勝な顔してたから連れてきてしまった。放っておくっていうのはできない性分だった。それで、『通報しないで、病院に連れて行かないで』と懇願されたのは想定外で、それでも一度手を貸してしまった手前無理やりには追い出せないでいる。

「ヒーローってのは職業じゃないじゃん? なんていうか、心意気じゃん。ちゃんとした肩書を訊いてるんだけど。じゃなかったら活動内容とか」

「ちょっと言えないようなこと」

「早く出てってほしい」

 ジンタは脇腹あたりを押さえて「いててー」と転げるふりをした。そんなとこ怪我してねえだろ、と私は思う。


「で、アヒルちゃんはさ、楽しいの? アイドルやってて」


 原阿晝はらあひる。信じがたいことにそれが私の本名だ。アイドルとしての芸名は、白鳥よる。本名の方が僅差でアイドルっぽいというか、面白い。でもなんていうかアヒルって顔してないんだよね。どう考えたって活発カワイイ路線でしょ、“アヒル”って。そういう売り方は考えられなかったので芸名としては使わなかった。


 この馴れ馴れしい男に「下の名前で呼ぶのやめろ。原さんって呼べ」とは何度も言っているが、どうも改めるつもりがなさそうだ。

 別に、と私はため息まじりに言った。

「仕事になっちゃったら、楽しいって感じじゃないよ。アンタだってちゃんと働けばわかるだろうけど」

「なんで俺がちゃんと働いたことない前提なんだよ」

「どうでもいいけど、アンタこの部屋出てくときはそこにあるウィッグとか被ってってね。この部屋から男が出てくとこ撮られたくないから」

「女装しろって言ってる?」

「じゃなかったら窓から飛び降りて。そうすれば空き巣に入られたとか言い訳ができるし」

「俺が捕まっちゃうよ」

「現在進行形で捕まってないことを感謝した方がいいんじゃない?」

 というか、そこの窓から飛び降りたら捕まるとかそういう問題じゃないと思う。ここは五階だ。


 夕飯は食べない主義の私の前で、この男はカップ麺を豪快に食べている。汁を飛ばさないように見張っている私の視線を感じたのか、ジンタはニヤリと笑いながら立ち上がって台所からもう一つカップ麵を持ってきた。

「おまちどう! そんなに食いたいならどうぞ」

「言ってないんですけど」

「物欲しそうな顔しちゃってさ」

「うわ、お湯入れてある。どうすんのこれ」

「食わないの?」

 盛大にため息をつき、私は割り箸を割って三分待機する。


 まったく、一週間後にライブが控えているというのに。


 カップ麵が出来上がるのを待ちながら、私はふと「辞めようかな」と呟いていた。

「何を? カップ麺食うのを?」

「アイドル」

「辞めんの?」

「ずっと思ってたんだよね。私、アイドル向いてないなって」

「結構売れてんのに」

「私何歳に見える?」

「めんどくせークイズ始まったな」

 蓋を開けて湯気を顔面いっぱいに浴びながら「要は、アイドルなんていつまでも続けられる仕事じゃないってこと。そろそろ潮時かなーって思うわけ」と言う。こんなことなんでこいつに喋ってるんだろうとは思ったが、無関係の好きでも嫌いでもない人間相手の方がこういうことは話せるものなのかもしれない。


「そりゃ子供の頃は、アイドルっていうのが夢だったし目標だった。まさかこれを踏み台に次を考えなきゃいけない時が来るなんて、年月って残酷よね」

「なるほどねー。男は四十五十ぐらいまではアイドルやってんの見たことあるけど、そういや女でそこまでアイドルやってんの見たことねえかもな」

「需要ないじゃん。女のアイドルはみんなどっかで、業界に残るなら女優とか歌手とかタレントとかに方針転換するわけよ」

「でも男だってアイドルやりながら俳優やったりするんだから、女だってアイドルやりながらドラマ出たり映画出たり歌ったりすりゃいいんじゃない? なんでアイドル必要があんの?」


 だから需要がないからだって、と私は呟く。四十五十の私にアイドルとしてファンがついてくるか、って言ったら考えらんないし。需要がないなら別にアイドルなんかに固執する必要がない。

 どうだろう。言い訳かもな。アイドルは、『しなきゃいけない』『しちゃいけない』が多すぎる。アイドルはファンと距離が近い。ファンに活動を支えられている。だからファンを喜ばせなきゃいけないし、ファンを裏切ってはならない。キラキラしたステージに立つために、犠牲にした自由が多すぎる。もちろんそれに後悔してなんかないし、楽しませてもらったとは思うけど。

 それはそれ、これからの人生はこれからの人生だ。なんか始めようかな、と思った時にアイドルという肩書きは不自由すぎる。


「アンタ、私のファンだったりする?」

「全然」

「失礼なやつ。知ってたけど」


 全然私に興味がなさそうな男を見た。まあ、だからこそまだ部屋に置いているんだけど。

 カップ麺をすする。ご丁寧にモヤシと卵が載っていた。こいつ、人の台所を我が物顔で漁りやがって。スープを飲んで、一息つく。背徳の味がした。






 ジンタとかいう男は全く出ていく素振りもなく、ずっと部屋にいた。洗濯物を干したり取り込んだりする程度には役に立ったので私も追い出さず、なあなあになりつつある。こういうのを、要するにヒモというのではないだろうか。

 週刊誌にすっぽ抜かれたら最悪だとは思っていたものの、もしそうなったらそれを機に引退かなと考えていた。

 そういう経緯だとテレビ出演とかはしばらくできなくなるだろうし、動画配信とかでやっていこうかな。責任取ってあの男にも出てもらう。あの怪しい男は、案外バズるかもしれないし。


 そんなことを考えていると、マネージャーが「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。

「明日のライブのことですけど、」

「なんだっけ?」

「チケット完売です」

「マジ? 気持ちよくなってきた」

 それほど大きな会場ハコではないが、それでも『チケット完売』という言葉は本当に嬉しい。もうちょっとアイドル続けようかな、とちょっと思った。


「なんだか最近、ちょっとぼうっとしてませんか?」

「……マネージャーさ、私に何が向いてると思う? アイドル以外で」

「ないですね」

「ないの?」

「白鳥さんがアイドル以外で向いてるものなんて、ないですね」


 明日頑張りましょうね、と言って歩いていくマネージャーを見ながら私は、「一つくらいあるんじゃない?」とひそかに眉をひそめた。






 ステージの裏で汗を拭いながら、私は入念にストレッチをする。ライブは三曲歌ったところで、小休止。今はスクリーンに映像が投影されている。

 席はちゃんと埋まっているし、みんな盛り上がってくれている。

 よかった、という思いと不思議な違和感があった。


「ねえ。なんか出歩いてるスタッフ多くない? 何か探してんの?」


 スタッフの一人に声をかける。スタッフはしどろもどろで、「いや」とか「えっと」とか言っている。私はマネージャー経由で、『何か問題が起こってるなら共有しろ』とスタッフたちに伝達した。

 そうして発覚した事態が、


 今朝がた、会場に爆破予告が届いていたというものだった。


「爆破予告? 聞いてないんだけど!」

「今日の今日だったので、どうすればいいかわからなくて」

 そう、会場のスタッフが言う。どうやらうちの事務所ではなく、会場あてに届いたもののようだ。しかしもちろん私が無関係というわけではない。文面にはしっかり『白鳥よるのライブ中に爆破する』と書いてある。


「なんで通報してないの!?」

「悪戯の可能性が高いと判断して……ひとまず不審物がないかを確認してからと思いまして……」

「ばか! 本物だったらどうすんの? 今すぐ客を避難させて」

「爆破予告だなんて言ってパニックになりませんか?」

「“なりませんか?”じゃねえんだわ。なら私が急に体調崩してライブ再開できないとか言って全員帰しなさいよ」


 待ってください、とマネージャーが口を挟む。いつも冷静な彼女がこの時はすでにパニックになっているように見えた。

「そんなことをしては白鳥さんの悪い評価につながります。最悪、炎上します」

「いいよ、そろそろ引退するし」

「引退するんですか!?」

 試しに言ってみただけなのだが、私の発言が尚更マネージャーをパニックに陥らせたようで、彼女は一生懸命に「でも、でもっ、チケットの返金対応とか、でも、何も起こらなかったら、」と可能性を言及し続ける機械のようになってしまった。

 私は落ち着いて、「私からみんなに話してくる」と言ってステージに出ることにする。


 その時、地鳴りのようなものが聞こえた。

 どぉんと映画のような音がして、ちょっと揺れる。私はマネージャーと、会場のスタッフたちを見た。彼らもまた無言で私のことを見ていた。


 ドッキリかな、という考えが脳裏をよぎる。それで私はちょっとほっとした。というか、そうに決まってる。私もそこそこテレビに出られるようになったけれど、こんな大掛かりなドッキリを仕掛けられるようになったとは思わなかった。

 なんだドッキリか。もう取れ高は十分だろう。ここで私がステージに立って観客に何か呼びかければ、そこで“ドッキリ大成功!”の看板を持った誰かが来て――――


 とにかく私は浮足立ちながらステージに戻った。騒然となっているファンに向かって、「みんな落ち着いて! スタッフの人が案内するから気を付けて避難して!」と呼びかける。

 何があったんだ、と声が上がった。私は、どうせドッキリだと思って「今朝、この会場に爆破予告が届いてたみたいで」とへらへら言う。


 途端に、会場全体がパニックになるのがわかった。


 ふーん、と私はなぜか落ち着いていた。どうやらドッキリではなさそうだ。


「ごめん、嘘。全然嘘。爆破予告とか全然嘘でーす! みんな落ち着いてー! 地震かなー? ダメダメ、そんな前の人押して逃げようとしちゃダメ。スタッフの人の言うとおりにしてー! こらっ、そこ! 女の子押しただろ! 私のファンなら女の子に優しくしろっ」


 私の言うことなんか聞いちゃいない。小さな会場とはいえ、否小さな会場だからこそ、人々がパニックになると大変なことになる。爆発がどの程度の規模だかまだわからないが、みんなの混乱のせいで怪我人が出てしまいそうだ。


 ――――そういえば昔、こんなことがあったな。


 子供の頃、地元のお祭りで。

 あの頃は本当にアイドルが飽和状態で、田舎の小さなお祭りでだってアイドルを呼ぶことができた。名前は覚えてない。もう活動もしていないだろう。

 あの時、地震があった。少し大きめの地震だった。子供たちは泣いて、パニックになっていた。

 それでアイドルの若い女の子が、困ったような、だけど確かに綺麗な笑顔で『大丈夫だよ』と言った。

 パニックになってそのまま座り込んで、逃げることもできずにいた子供の手を引いて、『大丈夫だよ』と繰り返した。

 それだけだった。あのアイドルがしたことは。

 なのに私は、そういうものに憧れた。


 そういうものに、私もなりたいと思った。


 息を吸い込む。私はマイクを握り締め、口を開いた。


「お前ら、落ち着け――――ッ!!!!」


 一瞬でしんとした。「今、お前らって言った?」と誰かが言う。「言ったよ」と私は堂々と言い返した。

「いいか? お前ら、いいか? こんなことになったのはこっちの不手際です。謝ります。でもとにかく今は、全員無事に避難してほしいの。あたしのこと好きなら言うこと聞けるよね? スタッフが迎えに行くからそこで待機して。外側から順番になっちゃうけどちゃんと誘導するからね」

 誰か、たぶんまだ若い女の子が「わかったよ、よるちゃん……」と呟く。よかった。さっきよりはだいぶ落ち着いてくれた。


 そんな中、声が響いた。

 ためらうような、飛び込むような、悲鳴のような泣き声だった。


「しらとりっ! しらとりーっ!!」


 今度はなんだ、と辺りを見渡すと、男が一人こちらを見ている。その手には銀色の鋭い鋏が握られていた。私は思わず、「手荷物検査してないんか、バカ!」とステージ裏に怒鳴った。

 もうどうにでもなれ、という気持ちで「来いよおっさん。私んとこ来い」とステージの上から煽る。もちろん来てほしくはなかったが、客を相手に暴れられても困る。男は「うおおおお」とおたけびを上げている。

 するとファンが何人かその男の前を塞ぐようにして躍り出て、「よるちゃんは俺が守る」「よるちゃん、逃げろ!!」と言い出した。私は思わず、「いいから! 私とそのおっさんの問題だから!」と彼らを制止する。私とおっさんの間に思い当たるような問題はなかったが、無謀なファンをそのまま怪我させるわけにはいかなかった。


 男は鋏を振り回し始める。周囲で悲鳴が上がった。どこかでまた何か爆発するような音がする。立見席でも悲鳴が上がった。

 もうめちゃくちゃだ。ムカついてきた。私がこのライブのために我慢したストゼロの分だけムカついてきた。

「この野郎、この日のために私が何を犠牲にしてきたと思ってんだ」

 そう拳を握る。ファンが「よるちゃん……!」と気遣わしげに私を見た。この最高のコンディションを見ろ。この日のために私は、血のにじむような思いでスタバの期間限定商品だってスルーしたんだ。


 不意に男が動きを止めた。何か喚きながら後ろを見ようとしているが、どうやら誰かに腕を掴まれているようだ。するとあっという間に羽交い絞めにされ、鋏を奪われた。


「一体何を犠牲にしてきたんですか?」


 ニヤニヤ笑ったジンタが、そう言いながら鋏をくるくる回した。


「言いつけを守ってこの格好で来たぜ。あんたより可愛いかもよ?」


 ジンタはウィッグの長い髪をなびかせながらウインクする。

 こいつなんでこんなところにいるんだと思ったが、まあ自称ヒーローならいてもおかしくないかと思い直した。

 とにかく真っ先に対処が必要な脅威は去ったようだ。しかし今もどこかで爆発音が聞こえている。

「おっさん何個爆弾仕掛けとんねん」

「……五個」

「もっと有意義なことに時間使えって」

 男を後ろ手に縛りながら、ジンタが「早く避難しろよ、あんたも」と私に言ってきた。「みんなを避難させたらね」と私は腰に手をあてる。


「馬鹿だなぁ。こいつらみんなあんたのこと好きで来てんだから、あんたが率先して逃げなきゃ動かないだろ」

「最後の一人になった人が可哀想じゃん。私が後ろにいた方が安心するでしょ」


 呆れ顔のジンタが「あんたほんと馬鹿だね」と言った。なんでそんなこと、こいつに言われなきゃいけないのか。とはいえさっき助けてもらったばかりなので言い返さずに堪えた。

 観客たちはスタッフに連れられて次々会場を後にする。「スタッフの子たちもどんどん避難してー。私もすぐ行くから」と言って私はステージを降りた。


 いつの間にか自分の席に戻ってうずくまっている男を見おろし、「おっさんも避難しようよ」と声をかける。おっさんは顔を上げ、途方に暮れた目で私を見ていた。私は問いかける。

「なんでこんなことしたの」

「……死のうと思って」

「うん」

「だから白鳥、俺と一緒に終わってくれと思って」

「やだよ」

 きっぱり、私はそう言う。


 なんでこのおっさんがご丁寧にも会場に爆破予告なんてしたのか。自己顕示欲だろうか。あるいは、それでライブがおじゃんになってくれればと思って送ったのかもしれない。まあこういうのは自分に都合のいいように受け取るのがいいだろう。私は『おっさんも最後の最後で、みんなを巻き込みたくなかったのかもな』とか思う。的外れかもしれないけど、そう思っておく。


「なんでアイドルになろうと思ったか、思い出した」


 私はぽつりとそう言う。それから瞬きを一つして、「みんなに夢を届けたかったらしい」と笑って見せた。


「『俺と一緒に終わってくれ』なんて頼みは聞けないけどさ、『俺と一緒に続けてくれ』なら聞いてやれないこともないよ」

「……でも、もう俺……終わりだよ、こんなことして」

「そうかぁ? 私も、もう終わりかもしれんと思ってたよ。でも別にババアになってやっちゃいけない理由なんてないんだよね。あのさ、アンタが『もう走ってるの自分だけなんじゃないか』って思った時、私が絶対後ろで走ってるよ。アンタのこと、最後の一人にさせない。だから、もうちょっと続けてみなよ」


 男は情けない顔で笑いながら、「ほんとか?」と私を見つめる。「ごめん、正直いつ気が変わるかわかんない」と言えば男は脱力したように「何が清楚系だよ、今まで騙されてたな」と言った。

 それから男は、「最後の爆弾はこの席に仕掛けた。早く避難しな」と非常口を顎で示す。

 私は一瞬ジンタをちらっと見てから、男の腕を掴む。「だからおっさんも避難するんだってば」と引っ張った。ジンタは『マジかよ』という顔をしながらもそんな私を手伝う。


「俺はいいって。もういいんだって」

「さっきの私の感動的な話聞いてた? 一緒に走ろうって」

「そうやって『一緒に走ろう』とか言ったやつほど裏切る」

「私は裏切らないって割と」

「じゃあその男誰なんだよ」

「私が一番聞きたい。誰なんコイツ」


 私とジンタで引っ張って、ようやく男を立ち上がらせることができた。


 その時、すぐ真後ろに雷が落ちたような音がした。どんと押されてその場に倒れこむ。一瞬熱さを感じ、焦げ臭いにおいが鼻腔を刺激した。というか、重い。

 何とか起き上がろうと、自分の上に乗ったものを押しのける。すると私の上に乗っていたジンタが「あち、あちっ」と転げまわり始めた。

 どうやら私たちを庇ってくれたようだ。背中に火の粉がついている。

 私はアイドル衣装を脱いで、それでジンタの背中の火の粉を鎮静化させようとした。


「やめろ、そんな燃え移りそうな布で!」

「じゃあおっさん脱げ! おっさんの服で消火しろ!」

「わ、わかった」


 何とかジンタの背中を消火し、私たちは何となく一息つく。「じゃあ、避難しよっか……」と言いながらも私は疲れてしまって辺りを見渡した。

「大丈夫?」と一応私はジンタに声をかける。

「大丈夫に見える?」と彼はそこにあった大道具を背もたれにして天を仰いでいた。初めて会った時も、こんなやり取りをしたような気がする。「助けてくれてありがとね」と私は言った。


「あんたの馬鹿が感染った」

「何のこと?」


 ジンタもさすがに疲れたらしく、だるそうに息を吐く。

「俺、本当はヒーローになりたかったんじゃないんだ。人間になりたかったんだよな」

「アンタ、人間じゃないわけ?」

「ばーか」

 今の流れでなんで罵られなきゃいけないの?

 眉を顰める私を見て、ジンタはくすくす笑いながら「人間ってのは、あんたみたいなやつのことだよ」と言った。

「善良で、妙にプライドが高くて、矜持だかなんだか知らんがそういうものを曲げられずに損してるような。そういう生き物に、俺もなりたかったの」

「それ褒めてんの?」

「聞いててわかんないの?」

 私はジンタの横に膝をつきながら、「何言ってるかよくわかんないけど」と小首をかしげる。


「私はアンタになりたいけどね」

「なんで?」

「かっこよかったから。私、本当はアイドルじゃなくてヒーローになりたかったのかも」


 ジンタは数秒無表情で私を見て、それから何か難解な問題にぶち当たったかのように眉をひそめた。それから苦笑し「あんた、いつまでその恰好なんだよ」と言って私に上着をかける。これさっき燃えてたやつだよな、と思って匂いを嗅いだ。やっぱり焦げ臭い。


 あまりにも遅すぎる私たちを心配したスタッフが数人戻ってきてしまったので、私たちは大人しく避難することにした。






 爆弾魔は捕まり、ジンタはやはり病院に行くのを嫌がった。火傷は絶対医者にかかった方がいいと言ったが、『大したことない』の一点張りだった。

 私はあの時の暴言に近い発言のせいで毒舌キャラみたいなノリでバラエティーウケしてしまい、清楚系アイドルの面影はなくなっていた。正直、それが一番ショックである。

 ちなみにジンタのことはすぐバレた。とはいえジンタの正体が暴かれたとかではなく(こいつの正体なら私が一番知りたいけど)“白鳥よるに男の影!?”みたいな感じですっぱ抜かれた。テレビで話を振られたので「あれは用心棒です」と言っておいた。


「用心棒ってなんだよ。せめて『お友達です』とか言えよ」

「アンタって男と女の友情は存在すると思ってるタイプ?」

「するんじゃないの」

「私もすると思ってるけど、世間的にはそうじゃないから。男女の友情は存在が不確かだけど、男女の主従関係なら確かにある」

「男女の主従関係の方がエロくない?」

「手ぇ出してこないことを条件にうちに置いてるの、わかってるよね?」

「わかってますよご主人。あんたみたいなの、別にタイプじゃないしね」


 減らず口、と私はジンタを睨む。ジンタは台所からカップ麵を持ってくるところだった。

「俺は気の利く用心棒なので、最初からちゃんと二つ作ることにしましたよ」

「嫌がらせ?」

 三分待っている間に、「ジンタってどう書くの?」「ジーアイエヌに太でGIN太」「ヒーローっぽいわ」「ヒーローっぽいか?」とくだらないことを喋る。割り箸を割り、蓋を開け、二人とも顔面いっぱいに湯気を浴びた。

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