038 謝罪

「アッシュ様」クリスティが言った。「来訪者です」


「誰だ?」


「アヴァロン皇国、王立魔法研究所の副所長と名乗る女性です。アッシュ様にお会いしたいと」


 アヴァロン皇国。

 それは俺を追放した国の名前だった。

 王立魔法研究所は、俺がかつて所属していた場所だ。


「副所長だと?」


 ぼんやりと記憶を探るが、はっきりとした顔は思い出せない。

 研究に没頭していた俺は、所長以外の幹部にはほとんど興味がなかった。

 確か、実務能力に長けた女性だったような気はするが……。


「アッシュ様に謝罪をしたいとのことです」


「謝罪だと?」


 俺は思わずクリスティの顔を見返した。

 一体、どういう風の吹き回しだ? 研究所が、俺に?


「護衛は連れているのか?」


「いえ、おひとりでいらっしゃっています」


 魔法研究所の副所長であれば、多少の魔法は使えるだろう。

 だが、このダンジョンの深部まで単独で来るのは、無謀に近い。

 戦闘専門の魔法使いではないはずだ。


 それでも俺に会わなくてはいけない、切羽詰まった理由があるわけか……。


「わかった。通せ」


 クリスティが部屋を出ていき、しばらくして、一人の女性を連れて戻ってきた。

 記憶の中の姿よりも少しやつれた印象だが、見覚えのある顔だった。

 深緑色の上質なローブを身に纏い、知的な印象は変わらない。

 長く艶やかな黒髪を一つに束ね、厳しい表情をしている。


「私はアヴァロン皇国、王立魔法研究所の副所長、エリアナ・フォン・シュトライヒと申します」


 エリアナは俺の前で立ち止まり、深々と頭を下げた。


「いったい、なんの用だ? 俺はすでに研究所とも、アヴァロンとも無関係の人間だ」


 俺は冷たく言い放った。

 研究所での不遇な扱い、そして追放された時の屈辱が蘇る。


「重々承知しております。本日は、王立魔法研究所を代表し、そして陛下の密命を受け、アッシュ様に謝罪をさせて頂きたく参りました」


 エリアナは顔を上げ、真っ直ぐに俺を見つめた。

 その瞳には、疲労と、そして強い決意の色が見えた。


「謝罪……だと?」


 俺は信じられない思いで聞き返した。

 あのプライドの高い研究所が、俺に頭を下げるとは。


「はい。アッシュ様を王立魔法研究所から追放したこと、心よりお詫び申し上げます。あれは、所長をはじめとする一部の者の独断であり、研究所全体の意思ではありませんでした。多くの研究員が、あなたの才能を惜しみ、追放に反対しておりました」


「今さら、何を言っても遅い」


 俺の手は血に染まりすぎている。

 人の道を踏み外してしまった。

 もはや戻る気など、毛頭ない。


「このダンジョンの魔力が強くなりすぎて、周囲に強力なモンスターが湧くようになった。それで困っている、ということか?」


 俺はエリアナに尋ねた。

 ダンジョンの主となった俺の影響は、地上にも及んでいるはずだ。


「ええ。それも、深刻な問題の一つです。ですが、それだけではありません。どうか、今の、アヴァロン皇国の、そして王立魔法研究所の現状をご理解いただきたいのです」


 エリアナは悲痛な表情で訴えた。


「現状とは?」


「アッシュ様もご存知の通り、アヴァロンは、長年、聖女様の加護と、王立魔法研究所の技術によって、魔物の脅威から守られてきました」


「ああ、そうだな」


「しかし、我が国は、聖女様を事実上失い、そして、最年少で賢者の領域に達したアッシュ様をも、愚かにも手放してしまいました」


「それがどうした?」


 そんなことをしでかした俺に謝罪と協力要請など、矛盾している。

 俺を危険因子として排除しに来た、という方がまだ理解できる。


「アッシュ様を追放したことは、研究所内部に、修復困難な亀裂を生みました。多くの有能な研究員が、研究所の方針に絶望し、アヴァロンを去りました。その結果、魔力制御システムや国土防衛結界の研究・維持管理に、深刻な支障が出ております。加えて、聖女様の不在により、国内の魔力バランスは大きく乱れ……各地で、これまで観測されなかった強力な魔物が出現し、活動を活発化させているのです。防衛結界も弱体化の一途を辿り、このままでは、魔物の大規模侵攻を防ぎきれないかもしれません」


 俺は黙ってエリアナの話を聞いた。

 そこまで悪化していたとはな。


「アヴァロンは、今、建国以来、最大の危機に瀕しています。そこでアッシュ様。どうか、過去の遺恨は水に流し、アヴァロンと和平を結び、お力をお貸し頂けないでしょうか」


 エリアナは再び深々と頭を下げた。


「和平、だと?」


 俺は驚きを隠せなかった。

 アヴァロンの危機の原因は、聖女を無力化し、ダンジョンを活性化させた俺にあると言っても過言ではない。

 その俺に、頭を下げて助けを乞うとは。


「はい。アッシュ様のその比類なき魔力と知識は、今のアヴァロンにとって、最後の希望なのです。どうか……どうか、ご再考ください」


 エリアナは懇願するように言った。

 その目は真剣で、嘘をついているようには見えない。

 だが、簡単に信じるわけにはいかない。


「信じられないな。俺はアヴァロンに仇をなす存在だ。そんな人間に協力を求めるなどとは……」


 俺は率直な疑問をぶつけた。

 本来であれば、研究所は総力を挙げて俺を討伐しに来るべきだろう。


「確かに、アッシュ様を危険視し、排除すべきだという意見も、研究所内部、そして宮廷にも根強く存在します。しかし、陛下と、そして私を含む一部の者は、それ以上に、この国家存亡の危機を乗り越えることが最優先だと判断いたしました。アッシュ様への対応については、多くの議論がありましたが……今は、ただ、国を救うために、なりふり構ってはいられない状況なのです」


 エリアナは言葉を選びながら、しかし切迫した様子で答えた。


 よほど切羽詰まっているということか……。


「先ほど申し上げた魔物の活性化ですが、単なる散発的な出現に留まらず、明らかに組織化され、知性を持った動きが見られるのです。複数の高位魔法使いたちが命がけで調査した結果、近いうちに、アヴァロン全土を対象とした、大規模な魔物の同時侵攻……【魔物の氾濫(スタンピード)】が起こる可能性が極めて高いと予測されています」


 俺はエリアナの言葉に息を呑んだ。

 魔物の氾濫。

 それは、古代の文献に記された、国一つを容易に滅ぼす厄災だ。

 もし、それが真実なら、アヴァロンは滅亡寸前と言っても過言ではない。


「アッシュ様という最高の頭脳を追放し、多くの研究員が去った今の研究所に、そして聖女様の守護を失ったアヴァロンに、この危機を防ぐ力は、もはや……」


 エリアナは言葉を詰まらせ、唇を噛み締めた。

 その白い顔には、深い絶望の色が浮かんでいる。


「協力は断る」


 俺は、はっきりと告げた。


「な……!?」


 エリアナは驚愕の表情で俺を見つめた。

 懇願すれば、あるいは同情でも得られると思っていたのかもしれない。


「アヴァロンには恨みしかない。お前たちがどうなろうと、知ったことじゃない」


「アヴァロンは、あなたの故郷ではありませんか! あなたが育ち、その才能を開花させた場所……!」


「もはや、俺は人間をやめたんだ。このダンジョンこそが、今の俺の故郷だ」


 エリアナは何も言えず、ただ唇を震わせ、じっと俺を見ていた。

 その瞳が、わずかに潤んでいるように見えた。


「一つだけ、協力してやってもいい条件がある」


 俺は、ふと思いついたように言った。


「条件とは……?」


 エリアナは、わずかな希望を見出したかのように、すがるような目で俺を見た。


「ああ。アヴァロンの国王の座を、俺に譲れ。そうすれば、力を貸してやってもいい」


 これは、事実上の、アヴァロンの乗っ取りだ。

 当然、受け入れられるはずがない。

 研究所の副所長ごときが決断できる話でもない。


「そ、それは……! いくら何でも、そのような要求は……」


 エリアナは激しく動揺し、言葉を失った。


「そうか。ならば、話は終わりだ」


「お、お待ちください!」エリアナは焦った表情を見せる。「他に条件はございませんか!? 金銭でも、研究所の所長の地位でも、可能な限りのことは……!」


「興味ないな」


 金銭も、地位も、今の俺にとっては何の価値もない。

 俺が欲しいのは、ルゥナを救うための絶対的な力。

 そして、俺を裏切った世界への復讐だ。


「アッシュ様……」エリアナの声は、か細く震えていた。「アヴァロンが滅べば、多くの民が死にます。あなたがかつて守ろうとした人々も」


 確かに、アヴァロンには俺を慕ってくれた者もいた。

 だが、俺が追放される時、彼らは何もしてくれなかった。

 いや、できなかったのかもしれないが、結果は同じだ。


「俺を追放したのは、お前たちだ。その結果、国が滅ぶというのなら、それも自業自得だろう。帰ってくれ。クリスティ、外まで連れて行け」


 俺の言葉を受け、目を閉じた。

 ぎゅっと目をつぶり。

 そして、何かを決意したかのように、俺を見た。


「わかりました。アッシュ様。それでは、私たち王立魔法研究所と共に、クーデターを起こしましょう」


――――――――――――――――――

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