033 セレフィ・ハルピュイア
水晶の間で、次の策を練っているときだった。
「ダーリン、ちょっと息抜きにお出かけでもしません?」
不意に現れたシエラが、そんなことを言った。
シエラはいつ見ても楽しそうだ。
あまり悩みとかはないのだろうか。
「間もなくヴェローナが襲ってくるだろうし、そんな余裕は……」
「そんなに難しい顔ばかりしてたら、いい考えも浮かびせんよ~。ほらほら。遊びにいこう」
シエラは俺の腕に絡みつき、上目遣いで俺を見た。
「少しだけだぞ」
結局、俺はシエラの押しに負け、渋々頷いた。
ダンジョンの外に出るのは本当に久しぶりだった。
太陽の光が眩しく、思わず目を細める。
「さあ、ダーリン、行きましょう!」
シエラは、俺の手を引いて、軽やかに歩き出した。
……かと思えば、そのまま空へ飛び立った。
俺の体は、指輪の魔力か、ふわりと浮いた。
「ダーリン、捕まっててね」
シエラは背中の翼を大きく広げた。
ハルピュイアの翼は、陽光を受けて白銀に輝いている。
「どこまで行くんだ?」
「ちょっとそこまで」
シエラは悪戯っぽく笑った。
風を切る音と、シエラの楽しげな笑い声。
眼下には、ダンジョン周辺の森が広がっていた。
しばらく飛んだ後、シエラは切り立った崖の上に着地した。
足元には、雲海が広がっている。
「すごいな……」
思 わず、感嘆の声が漏れた。
眼下には、雲の海がどこまでも広がっている。
遠くには、朝日に照らされた山々が、島のように浮かんでいる。
「ここは、ハルピュイアしか来られない場所なの。どう、ダーリン? 綺麗でしょう?」
シエラは自慢げに胸を張った。
「ああ…見事な景色だな」
俺は素直に感動を口にした。
「ふふ、気に入ってくれたなら良かった。ここは、私の特別な場所だから、ダーリンに見せたかったんだ」
「いいところだな」
「うん。ダーリン、私と結婚して、良かった?」
「ああ。幸せだ」
「それなら良かった良かった」
シエラは満足そうにうなずいた。
「ダーリン。もう一箇所、案内したいところがあるの。いい?」
「ああ。そんなに遠くなければな」
さすがに、長時間ダンジョンを開けるわけにはいかない。
レベルの低い侵入者であれば、クリスティたちが対応してくれるだろうが……。
シエラは再び俺を抱え、空へと舞い上がった。
先程の崖よりも、さらに高く、風も強い。
しばらく飛ぶと、眼下に巨大な樹が見えてきた。
その大きさは、今まで見てきたどんな樹木をも凌駕している。
まるで、天を支える柱のようだ。
「あれが?」
「ええ。あれが、私たちの本拠地。巨大樹の梢にある、ハルピュイアの集落だよ」
シエラは、巨大樹の枝の一つに着地した。
そこには、木の幹や枝を巧みに利用した家々が立ち並び、ハルピュイアたちが生活している。
「……すごいな」
俺は、その光景に圧倒された。
まるで、空中に浮かぶ都市のようだ。
「他の種族は、ここへは来られない。ハルピュイアの翼がなければ、辿り着けない場所なんです」
シエラは誇らしげに言った。
集落の中を飛んで進んでいく。
その奥に、ひときわ大きな家が見えてきた。
「ここが、私の家でーす」
シエラは、そう言って俺を家の中へと案内した。
家の中は、外観以上に広々としており、豪華な調度品が並べられている。
壁には、ハルピュイアの歴史を描いたと思われる美しい絵画が飾られていた。
「お母様、ただいま戻りました」
シエラが声をかけると、奥の部屋から、一人の女性が現れた。
シエラによく似た、気品あふれるハルピュイアだ。
「シエラ、おかえりなさい。……そちらの方は?」女性は俺をじっと見つめ、静かに言った。
「はい、お母様。私の大切な人です!」
シエラは笑顔で明るく答えた。
「あなたが、シエラの選んだ人なのね」
女性……シエラの母親は、俺を値踏みするような視線を向ける。
「アッシュと申します。シエラには、いつも世話になっています」
俺はシエラの母親に深々と頭を下げた。
「私は、セレフィ・ハルピュイア。ハルピュイア商会の現当主であり、シエラの母です。アッシュさん、顔を上げてください」
シエラの母親……セレフィは穏やかな口調で言った。
その声には、威厳と優しさが同居している。
当主だと?
知らない話だった。
隣を見ると、シエラはいつもどおり楽しそうな表情だった。
「シエラから好きな人の話など、一度も聞いたことがありませんでした。誰かと結婚するなどとは今まで一度も言わなかったので、心配していたのです」
セレフィは少し困ったように笑った。
「娘は少し変わったところがありますが、根は優しい子です。どうか、幸せにしてやってください」
セレフィは、改めて俺に言った。
その言葉には、娘を思う母の愛情が滲み出ている。
「はい。必ず」
俺は短く答えた。
「シエラ、あなたも聞きなさい」
セレフィは娘に視線を移した。
「あなたは、ハルピュイア商会の次期当主です。そのことを、忘れないで」
「うん。大丈夫だよ。ダーリンがなんとかするから」
「いや、はじめて聞いたぞ」
「言わなかったっけ?」
「まったく聞いてない」
「まぁいいじゃない。ダーリン。これから二人で頑張ろうね!」
「あぁ……」
まぁいいか。
シエラの底しれぬ明るさに、俺は救われている。
そういえば……。
「【聖鳥の守護盾】をシエラが借りてきましたよね。あれは本当に助かりました」
「事後報告でしたけれど」セレフィは微笑んだ。「大切な人を守るために必要だったのであれば、仕方ありません。それに、宝具はただ飾っていても意味がない。本当に必要なときには使わなければ」
「ありがとうございます。おかげで助かりました。あれがなければ、命を失っていたかもしれない」
俺は改めて礼を言った。
セレフィは静かに頷いた。
「アッシュさん。もう一つ、あなたに貸し出したいものがあります」
セレフィは、奥の部屋から一つの箱を持ってきた。
「これは?」
「聖鳥の守護盾は、返却せず、そのままお使いください。そして……」
箱の中には、見たこともない美しい宝珠が収められていた。
宝珠は、淡い光を放ち、周囲の空気を浄化しているかのようだ。
「この宝珠は?」
「聖樹の雫。巨大樹の力が凝縮された、ハルピュイア商会に代々伝わる秘宝です。強力な結界を張る力があり、あらゆる邪悪なものから身を守ることができます」
セレフィは宝珠を手に取り、俺に差し出した。
「これを、俺に?」
「ヴェローナとの戦いで役に立つときが来るでしょう」
「しかし、こんな貴重なものを……」
俺は躊躇した。
ハルピュイア商会の秘宝を、そう簡単に借りるわけにはいかない。
「これは、シエラを託した、私からの餞別です。そして、あなたへの期待料でもあります。ハルピュイア商会当主として、正式にあなたをシエラの夫として認めます。どうか、受け取ってください」
セレフィは、静かに、しかし力強く言った。
「分かりました。必ず、お返しします」
俺は宝珠を受け取った。
「ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
セレフィは優しく微笑んだ。
「……二人とも、幸せになりなさい。そして、ハルピュイア商会をよろしくお願いしますね」
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