032 聖女懐胎

 牢獄に到着すると、イリスはベッドの上に座っていた。


「イリス」


 俺は鉄格子の外から、声をかけた。


 イリスは、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女はこちらをちらりと見たが、何も言わなかった。


 いまのイリスは幼く見えた。

 小さな頃の彼女の姿が思い出される。


「懐かしいな」


「……そうですね。覚えていますか? 私が教会の決まりを破って、地下のお仕置き部屋に入れられたときのことでした。アッシュが忍び込んで、励ましてくれましたよね」


「そんなこともあったな」


 遠い昔の記憶だ。


「アッシュの望みは何ですか? 人間を滅ぼしたいのでしょうか?」


「いや、そんなことは望んでいない」


「研究所を追われ……その復讐を企てている、という噂が街で流れていますが」


 俺がダンジョン・マスターになったことは、広く知られるようになったようだ。


「すでに復讐は済んでいる。いまの俺の望みは、ルゥナの病気を治すことだ。ただ、それだけ」


「目処は立っているんですか?」


「いや……」


 ダンジョンの魔力は増えている。

 研究も進めてはいる。

 ルゥナの体調も少し良くなっている。


 だが、根本的な解決には、ほど遠い。


 いまの俺にできるのは、ダンジョンを強化し、得られる魔力量を増やすことだ。


「辛くはありませんか?」


 俺は、その問いには答えられなかった。


「アッシュ。こちらへ来てもらえますか?」


 イリスは牢へと誘った。

 もし不意打ちをされたとしても、クリスティがなんとかするだろう。

 俺は牢のなかへ入った。


「もっと近くへ」


 イリスに言われるがまま、俺は彼女のもとへ近づいていった。


 イリスは、不意に俺を抱きしめた。


「アッシュ。いままで、よく頑張りましたね」


「……何を言っているんだ」


「辛かったでしょう」


 辛かった……のだろうか。

 いまの俺にはわからない。


 しばらく、イリスに抱きしめられていた。

 なんだか心が安らかになっていくような気がする。


「アッシュ。私たちが最後に話したこと、覚えていますか?」


「えっと……なんだったかな」


 最近、過去の記憶が……人間だったときの記憶が、少しずつ薄れている。

 思い出すのに時間がかかる。


「私、聖女をやめて、アッシュと一緒に生活したいって言ったんですよ。アッシュは学生だった頃から、賢者の卵として、たくさん冒険をしていましたよね。私、それがすごく羨ましくって」


 そんなことも、あったような気がする。


「アッシュ。生きていてくれて良かった。研究所をやめたあと、音信不通でしたから。もしかしたら、自ら命を絶ったのではないか、と心配していました」


「……何を言っているんだ。俺は、お前を牢へ入れた男だぞ」


 敵に対して生きていて良かっただなんて、馬鹿らしい話だ。


「ありがとうございます」


 場にそぐわない言葉だった。

 俺を呪いこそすれ、感謝などするわけがないのだ。


「聖女としての役割……嫌ではありませんが、生まれながらに決められた人生。正直に言うと、少し窮屈でした」イリスは、俺の腕の中で小さくつぶやいた。「外の世界への憧れは、ずっとありました」


「そうだったのか…」


「はい。アッシュは、いつも自由に冒険していて……私には、それが眩しかった」イリスは少し顔を上げ、俺を見つめた。「だから、いまの、この状況も嫌じゃないんですよ」


「イリス……」


「私は、あなたの力になりたい。アッシュを救うために、できることがあれば何でもしたいんです」


 想定外の展開だった。

 俺は、イリスのことなど、遠い過去の思い出となっていた。


 イリスは、強い視線を俺に向ける。


「アッシュ。私は、あなたと一緒にいたい」


「イリス……。本当に良いのか? 俺はお前にモンスターを産ませようとしているんだぞ」


「はい。あなたのものにしてください」


 イリスは少し照れたような表情で答えた。


 俺は心を決めた。

 イリスを利用し、さらに悪の道へと落ちていく。

 行き着くところまでいってしまおう。

 もはや、後戻りはできないのだ。


「クリスティ、準備を頼む」


「はい、かしこまりました」と室内にクリスティの声が聞こえてきた。


 室内から触手が生えてきて、イリスの体を拘束する。

 そのままイリスはベッドへと横たえられた。


「この触手はなんだ?」


「ダンジョンのレベルが上がったことにより、私の手足として自由自在に動かせるようになりました。この牢と、水晶の間の範囲ですけれど」


 なるほどな……。

 他の部屋でも使えたら、便利すぎるしな。


 イリスは少し緊張した表情だった。


「イリス。怖がらせるつもりはない」


 俺は、できるだけ優しい声で言ったつもりだった。

 だが、その言葉がどこまで彼女に届いているのかは分からない。


 ベッドに横たえたイリスの瞳は強い光を宿したままだ。

 じっと俺を見つめている。


「アッシュ様。私は……あなたの全て受け入れます」


 イリスは、静かに、しかしはっきりと告げた。


 イリスの子宮に魔力を注入しなければならない。

 そのためには腹部をあらわにする必要があった。


 俺はイリスの服に手をかけた。

 滑らかな純白の生地が、指先をくすぐる。

 ゆっくりとボタンを外し、衣服を剥いでいく。


 イリスの腹部が見えるようになった。

 露わになった肌は、陶器のように白く輝いていた。


「綺麗だ」


 思わず言葉が漏れる。

 それは、偽りのない本心だった。

 だが、俺はすぐに我に返り、本来の目的を思い出す。


 イリスは何も言わない。

 ただ、じっと俺を見つめている。

 その瞳には、恐怖も、嫌悪も感じられなかった。

 静かに俺を受け入れてくれている。


 俺はイリスの下腹部に手を当てた。

 そこに、魔力を集中させていく。

 イリスの体温が、じわじわと上昇していくのが分かった。


「アッシュ」イリスが目を閉じて言った。


 イリスの体は震えている。怖いのかもしれない。


「……大丈夫だ。すぐに終わる」


 俺は、そう告げるとさらに魔力を込めていく。


 イリスの体が微かに震え始めた。

 呼吸も荒くなっている。


 苦しいのだろうか。

 一瞬、ためらいが生まれた。

 だが、ここで手を止めるわけにはいかない。


 俺は、さらに魔力を注ぎ込んでいく。

 イリスの体は熱を帯び、発光しはじめた。


「アッシュ……愛してる」


 イリスがかすれた声で俺の名を呼んだ。


 やがて、イリスの体から光が溢れ出した。

 それは、まるで生命の誕生を祝福するかのような、神々しい光だった。


 光が収束し、イリスの下腹部に、小さな紋様が浮かび上がる。

 聖なる力を宿した、特別な紋様。


「終わったぞ」


 俺はイリスに告げた。

 同時に、クリスティの触手がイリスの体から離れていく。


 イリスは、深く息を吐き出し、ゆっくりと目を開けた。


「これが、私とアッシュの子……」


 そう言って、イリスは腹部を大切そうに撫でていた。


――――――――――――――――――

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