030 【聖女の行進】

 薄暗い寝室。

 ルゥナは俺の腕の中で穏やかな寝息をたてていた。


 俺はルゥナの髪をそっと撫でた。


「……愛してる」


 果たしてルゥナの耳に届いたかどうか。

 それでも、伝えなければならなかった。


 彼女の寝顔は、まるで幼子のようだ。

 この世界でたった一人、俺を信じ、全てを委ねてくれた存在。

 何があろうと守り抜くと誓う。


「アッシュ兄様。緊急事態です」クリスティの声が聞こえてきた。「【聖女の行進】です。二十名ほどの聖職者が、ダンジョンへ近づいていております」


「わかった。いま行く」


 俺はルゥナの髪をそっと撫で、静かに寝室を出た。

 ルゥナには、このまま眠っていてほしい。


 水晶の間へ戻ると、クリスティが待っていた。


 俺の体は、かつてないほど魔力に満ち溢れている。


「クリスティ、状況は?」


「白光聖会の聖職者たちが、ダンジョン入口に到着しました。総勢、二十名ほど。全員が、高い魔力を有しています」


「狙い通りだな」


 白光聖会に送った脅迫状が、功を奏したのだ。

 聖女自らが、捕らえられた聖職者たちを救出に来た、というわけか。


「リリィとメルトには、戦闘準備を?」


「はい。いつでも迎撃可能です。エルミナ様とライラ様も、戦闘に参加できます」


「わかった。俺もすぐに出る」


 俺は杖を手に取り、水晶の間を出た。

 向かうは、第一階層、中央広場。

 そこが、決戦の場となる。


 広場に到着すると、既にリリィが、甘く魅惑的な歌声で、聖職者たちを誘い込んでいた。

 メルトとスライムたちは、広場の隅で待機している。


「クリスティ、侵入者の映像を」


「はい、アッシュ様」


 白光聖会の聖職者たち。

 純白の法衣を纏い、それぞれが聖なる力を宿した杖や、聖典を携えている。

 その中心にいるのが、聖女だろう。


 長い金髪を風になびかせ、周囲を見回している。

 顔は覆われていて見えない。


 そして、聖女を守るように、一人の女騎士が寄り添っていた。

 銀色の甲冑を身につけ、手には大剣を携えている。

 その顔には、強い決意が浮かんでいた。


「……手強そうだな」


 俺は思わず呟いた。

 聖女の魔力は、並の聖職者とは比べ物にならない。

 そして、あの女騎士も、かなりの使い手だろう。


「アッシュ兄様、どうされますか?」


 クリスティが俺の指示を待っている。


「……まずは、リリィとメルトで、雑魚を減らす。聖女と騎士は、俺とエルミナで相手をする」


「かしこまりました」


 俺はリリィに指示を出した。


「リリィ、歌を強めろ! 聖職者たちを、完全に魅了するんだ!」


 リリィの歌声が、さらに大きく、甘く響き渡る。

 すると、聖職者たちの動きが目に見えて鈍くなった。


「メルト、行け!」


 俺の合図で、メルトとスライムたちが一斉に飛び出した。

 聖職者たちの足元に群がり、その動きを封じる。


「くっ……! これは……!」

「スライム……!?」


 聖職者たちはスライムの粘液に絡め取られ、身動きが取れない。

 しかし、聖女と騎士は、リリィの歌にも、メルトの攻撃にも全く動じない。


「さすがだな」


 俺は小さく呟いた。


 聖女は、静かに杖を構え、周囲に光の結界を張り巡らせた。

 その結界は、リリィの歌声を遮断し、スライムたちの侵入を防いでいる。


「……エルミナ!」


 俺は背後に控えていたエルミナに声をかけた。


「わかってる!」


 エルミナは俺の言葉に短く答え、剣を抜き放つ。

 そして、聖女を守る騎士に向かって、一直線に駆け出した。


「……来い、裏切り者!」


 女騎士が、エルミナの突進を真正面から受け止める。

 二人の剣が激しくぶつかり合い、火花が散った。


「……くっ!」


 エルミナは、女騎士の力に押され、一歩後退した。

 しかし、すぐに体勢を立て直し、反撃に転じる。


「……はああああっ!」


 エルミナは剣に魔力を込め、渾身の一撃を繰り出した。

 女騎士は、その攻撃を大剣で受け止める。


 しかし、エルミナの剣は、女騎士の大剣を、わずかに押し返した。


「やるな! エルミナ、お前と本気でやり合いたかった!」


 女騎士はエルミナの力を認め、口元に笑みを浮かべた。

 二人の戦いは、互角。

 一進一退の攻防が続く。


 その隙に、俺は聖女に狙いを定めた。


「お前の相手は俺だ」


 俺は杖を構え、聖女に呼びかけた。


 聖女は俺を見る。

 その瞳は慈愛に満ち、どこまでも澄んでいる。


「アッシュ、久しぶりですね」


 そう言って、彼女は顔を覆っていた布を取った。


 そこにいたのは……。


「お前は……イリスか」


 俺はイリスと、小さな頃に遊んだことがあった。

 ルゥナの病気を治してくれと、教会へ通って祈っていたからだ。


 あの頃は聖女見習いだったイリスも、大人になっていたのだ。


「アッシュ、あなたが、このダンジョンのマスターなのですね」


「ああ、そうだ。俺は、この『ブラッディ・エデン』の主だ」


「なぜ、アッシュは、このようなことをしてしまったのですか? あなたは人間でしょう? なぜ、人間を苦しめるような真似を……」


 聖女イリスは悲しげな瞳で俺を見つめた。

 その声は非難の色を帯びつつも、どこか優しさを残している。


「……ルゥナのためだ」


 俺は短く答えた。

 それ以上、説明する気はなかった。

 イリスに理解できるはずもない。


「アッシュ。毎週、教会に祈りを捧げに来てくれていましたね。あなたは、いつだって困っている人を助けていました」


 俺は黙った。

 そんなときも、あった……。


「いつしか、あなたは教会へ来なくなった。心配していました」


「この世界に神などいない!」俺は言った。「どれだけ祈っても仕方がない。俺は、自分の力で未来を切り開くんだ!」


「私の聖女としての力が不足しており、申し訳ございません。私が、もっと神に愛されていれば……奇跡を起こすことができれば、あなたはこのような道を選ばなくて良かった」


「黙れ」


「アッシュ。あなたは私が断罪します。人であるうちに、安らかに眠りなさい」


 イリスは杖を構えた。

 その杖は明らかに異質だった。


 その杖から底知れぬ魔力を感じた。

 並の魔法具ではない。


「それがお前の切り札か」


「はい。これは聖遺物【白光の杖】です。神の力を宿す、聖なる武具」


 イリスは静かに答えた。


「神の力か」


 俺は嘲笑した。

 そんなものが、存在するわけがない。

 神に祈ればすべて解決するのであれば、俺は、ダンジョンマスターになどなっていない。


「妻を救うためなら、俺は、悪魔にだって魂を売る」


「妻?」イリスは首をかしげた。「ルゥナ様は、あなたの妹御ではありませんか?」


「なに?」


 俺はイリスの言葉に耳を疑った。


 ルゥナが俺の妹……?

 そんなはずはない。


 ルゥナは俺の妻だ。

 俺が、この世界で最も愛する女性だ。


 激しい頭痛が、俺を襲う。

 俺は頭を抱えた。

 まるで、頭の中を何かでかき回されているような感覚だ。



「……ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺は頭を抱えて叫んだ。

 まるで頭が割れるような痛みだ。

 記憶が、感情が、濁流のように押し寄せてくる。


「……アッシュ様!」


 クリスティの声が俺の脳内に響く。

 しかし、その声は、どこか遠く聞こえた。


「……妹にまで手を出したのですね」イリスは言った。「外道は、ここで断たなければなりません。終わらせます」


 イリスの持つ【白光の杖】が眩い光を放ち始めた。

 その光は、先ほどまでの比ではない。

 まるで太陽をそのまま杖に宿したかのような、圧倒的な輝きだ。


 俺は咄嗟に魔力の盾を展開しようとした。

 しかし、頭痛が酷く、うまく魔力を集中できない。

 俺は死を覚悟した。


 そのときだった。


 ダンジョン内にさわやかな風が吹いた。


「ダーリン、助けに来ましたよ!」


――――――――――――――――――

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